【探偵と偶像】2/3

 その声はフロアとは反対側の楽屋の方から聞こえた。出入り口の脇の関係者用通路の奥から聞こえたその声はフロアの観客には届かなかったようだが、入り口近くのバーカウンターに座っていた二人の耳には届いた。

 バーテンや他のカウンターに座る客もその声に気づいたようだが、一瞬、たじろぐようなそぶりを見せた後、なんとも奇妙な沈黙とともに、聞こえなかったふりをするような雰囲気が生まれた。


 魔法使いになど関わりたくない。そんな思いがその沈黙に現れていた。


 けれど、そんな空気を読まない客が一人いた。


「ねえねえ、今の聞こえたわよね?」


 ミライが楽屋の方へ首を伸ばす。


「魔法使いが出たって聞こえたけど?」


「……ああ。そうみたいだな」


 嫌な予感を抱きつつ、エルメラルドがナッツを摘んだまま呟いた。


 この街は只人タビトと呼ばれる人間が作った街だが、様々な人種が住んでいる。

 さまざまな種類の亜人もいれば魔術士も魔法使いもいる。異国との貿易が盛んなので他種族に対する偏見は少ない。 

 だが、それでも魔法使いに対しては恐怖心を抱いている人が多いのも事実だ。

 実際、魔法使いが魔法を使うことには厳しい制約がある。むやみやたらに魔法は使ってはいけないことになっているのだ。

 それに、誰もが面倒ごとには巻き込まれたくないと思っている。魔法使いに関わると碌なことがない。それが一般的な只人タビトの認識だった。

 だから、『魔法使い』という言葉が出た瞬間、カウンターの周りは異様な緊張感に包まれたのだ。

 しかし、この娘はそんな緊張感など微塵も感じている様子はなかった。むしろ物珍しさに目を輝かせているくらいだった。


「ねえ、エルメラルドさん。魔法使いって見たことある?」


 バーテンや他の客の緊張した面持ちとは対照的な好奇心でいっぱいの顔つきだった。


「わたし魔法使いって見たことないの。ちょっと見に行こうよ」


 聞いておいて返事も待たず、ミライがカウンター席から飛び降りた。


「待て待て。おい魔法使いだぞ! 面倒しかないって」


 慌ててエルメラルドも席を立つ。

 騒然とする人混みの中を掻き分けて、ミライを追って楽屋の前まで走った。



 バルの入り口の分厚い鉄製のドアの横、楽屋の入り口に人だかりができていた。

 その輪の中心に倒れた亜人の女と、それを抱き抱える只人タビトの青年。そして、そんな二人を呆然と見つめる金髪の男がいた。

 倒れている亜人の女は意識を失っているようだ。耳の大きな狼人種。このバルで何度か見たことがあるバンドのボーカルだ。

 それを抱きかかえているのは只人タビトの男。バンド名が書かれたシャツに関係者パスを首からぶら下げている。

 そして、その二人を顔面蒼白で見つめて立ち尽くしているの金髪の男。


「ねえ。何かあったの?」


 ミライが輪を作る野次馬の一人に尋ねた。


「なんでも、ナイトウォーカーズのアンナさんが、そこの金髪の男に魔法で攻撃されたらしい。マネジャーのライドさんが偶然現場を見かけたらしくて……」


 そうだ、ナイトウォーカーズだ。何度か演奏を見たことがある。エルメラルドは記憶の中の彼らの演奏を思い出した。メンバー全員が狼人種の楽団で最近人気が増している。確か今日もトリを務める予定ではなかったか。それがこんな事件に巻き込まれるとは。

 

「アンナ! しっかりしろ!」


 ぐったりとした亜人の女を抱き抱えて叫んでいるのがマネジャーのライドということだろう。そして、


「あの金髪の人が魔法使い……」


 ミライが青ざめた顔をしている金髪の男を見つめてつぶやいた。

 男は短髪中肉中背。服もカジュアルな普段着。特にこれといって特徴のない男だ。ぱっと見は只人と区別はつかない。

 なんとなく想像した魔法使いの姿と違ったのだろう。ミライは首を傾げた。


「ねえエルメラルドさん。彼、本当に魔法使い? 見た感じは全然普通のタビトじゃん」


 人混みを掻き分けてやってきたエルメラルドに耳打ちする。


「君は何も知らんのだな。魔法使いだって見た目は私達のような只人と変わらない」


「え、そうなの? もっと悪人ヅラしてる黒づくめの奴を想像していたわ」


「それは偏見だ。新聞の風刺画や性悪なゴシップ誌のイラストじゃいまだにそんな風に描かれるけど、今そんな魔法使いはいない」


「知らなかったわ。てっきりそういうものだと思ってた」


「まあ一般人の認識はそんなものだろう。それもこれも賢王会議や魔術士協会が魔法使いに対するネガティブなことばかり喧伝するからなんだけどな」


「ふーん。なんか拍子抜け」


「魔法使いは身分を明かすだけで迫害されることもあるから素性を隠してる人は多いしな。……それにしても、魔法使いを見たことが無いなんて珍しいな。出身はどこだ?」


「マジルキヨトのケーンバケブよ」


「なるほど。魔術士教会の支部がある都市か。なら魔法使いがいるわけはないな。魔法使いと魔術士は犬猿の仲だ。偏見が蔓延っているのも致し方ないか」


 野次馬の輪に加わり二人がコソコソと会話をしていると、亜人の女を抱きかかえているマネジャーのライドが叫び出した。


「なんとか言ったらどうだ! サカキ! お前、魔法を使ってアンナを殺そうとしたんだろ」


 ぐるりと周りを野次馬に囲まれて、容疑をかけられた金髪男は立ち尽くしたまま口を開かない。魔法を使われたという亜人の女はぐったりとして意識を失っている。


「サカキ……。お前、魔法使いだったのか」


 楽屋から人だかりのせいで気づかなかったが、楽団の他の亜人メンバーもそばにいたようだ。狼人種のメンバーたちが金髪男を見て言葉を漏らす。


「ずっと隠してたのかよ」


 金髪の男、サカキを睨みつける楽団メンバー。

 どうやら容疑者の金髪は通り魔というわけではなく、メンバーたちと知り合いのようだ。


「……ああ、そうだよ。俺は魔法使いの血を引いてる。お前たちに隠してたのは謝る」


 それまで黙っていた金髪のサカキが暗い声で答えた。


「じゃあお前、本当にアンナに魔法を使ったのか……」


 メンバーのひとりが聞く。


「それは……」


 口ごもるサカキ。店内の空気が重くなる。野次馬たちも輪の中心で繰り広げられる光景を、固唾を飲んで見守っている。


 目の前の緊迫した状況を静観しながら、ひとりエルメラルドはため息をついた。片手にはナッツの小皿を持ったままだ。


「あーあ。こりゃ今日のライブはオジャンだなぁ」


 誰に言うわけでもなくつぶやく。

 事件か事故か、痴情のもつれか恨みの線か。サカキという青年が魔法使いだろうが、犯人だろうがなかろうが、何にしてもすぐにこの騒ぎはフロアにも広がって、ライブどころじゃなくなるだろう。

 せっかく優雅に土曜の夜をエンジョイしていたのに、すぐに都市警察が来て面倒なことになる。

 その前にさっさと退散して、別の店で飲み直したほうがいい。

 世間知らずのミライを心配して現場までノコノコついてきてしまったが、魔法使いと言われている青年も大した能力者でもなさそうだし、暴れ出しそうな気配もない。放っておいても危険はないだろう。ここはそそくさと退散した方が良さそうだ。

 ぽりぽりとナッツを噛みながらエルメラルドはそんなことを考えていたのだが、


「ちょっと待ちなよ!」


 隣に立つミライが唐突に大声を上げたのでエルメラルドは驚いてナッツの乗った皿をひっくり返してしまった。


「うわっ何すんだよ!あんた!」

「す、すんません」


 隣の野次馬に睨まれ、タジタジになりながら頭を下げる。

 クールさとは程遠いエルメラルドの様子は気にもとめず、ミライは輪の中へ一歩踏み出した。

 群衆の視線が集まる。


「な、なんだね、君は」


 マネジャーのライドは突然現れたミライを見上げて不審がる。


「わかんないけど、なんとなく、その人は悪いことをしてない気がして!」


 ミライは臆することなく胸を張って声をあげる。


「バカ、何を自信満々にトンチンカンなことを言いだすんだ。わかんないなら言うな! 無闇に首を突っ込むんじゃないよ」


 エルメラルドが慌ててミライのシャツの袖を引くが、ミライは耳を貸さない。


「あ、そうだ! ちょうどいいところに適任者がいるじゃん。こちら、私立探偵のエルメラルドさん。警察が来るまでに、その人が本当に犯人かどうか、この探偵さんに調べてもらおうよ」


「探偵?」「あの男が?」「え、女だろ?」「そういう趣味?」「いろんな人がいるのがアルムウォーレンだろ」


 ざわめきと心無い言葉と、不躾な視線がエルメラルドに集まる。


「お、おい。何を言ってるんだ。私はただ働きはしないぞ。それがポリシーだっ」


「いいじゃない。ここで名前を売っておけば、依頼がじゃんじゃん来るかもよ?」


「そう言うことを言ってんじゃないんだよ」


 ヒソヒソと声を潜めるが、マネジャーは興奮した様子で口を開く。


「あんた探偵さんか! ならこいつの犯行だって証拠を見つけてくれ! たしかに 俺は聞いたんだ! こいつが魔法を唱える声を!」


「いや、だから。その」


「ほら、エルメラルドさん。聞いてあげてよ。ここまで言われて無視するようじゃ男じゃないよ。そんな女々しいことしてたら、また女に間違えられるよ?」


 ミライに小突かれるエルメラルド。


「うぐぐ。わかった。私も男だ。いいだろう。聞くだけ聞くよ。とりあえず、その女性の様子を見せてくれ。多少医学の心得もある」


 嫌々ながら、輪の中心に歩み出たエルメラルドはマネジャーに抱きかかえられた亜人の女性を観察する。


 頭部に二つ大きな獣耳がついた特徴的な狼人種の若い女だ。全身は柔らかく青みがかった体毛に覆われている。ぐったりとした表情で意識もない。胸元から喉元にかけて少々擦り傷があり、ドレスの胸元も少々焦げている。しかし見たところ軽症だ。


「怪我は大したこと無さそうだな。……脈もある」


 肉球のある手を取り確認する。


「でも、意識を失ったままだ!」


「落ち着いて。一時的に意識を失っているだけです。安静にしていればじきに回復しますよ。大丈夫。安心してください」


「……本当だな? なら、ひとまずよかった」


 マネジャーの顔色も多少は落ち着く。


「ふむ……」エルメラルドはあることに気がついた。女の首から下げられたレザーネックレス。そのペンダントトップが胸元で砕け散っている。胸元から喉元にかけての擦り傷はこのペンダントトップが弾けたことによる怪我のようだ。

 キラキラと赤いドレスに青白い宝石の粒子が散っていた。


「なるほど……」指先で散らばる粒子を採取する。


「おい、アンナをソファに連れて行ってやってくれ」


 マネジャーが指示を出すと、スタッフが何人かやってきてぐったりとするアンナを運んでいった。その間、容疑をかけられている魔法使いの男は相変わらず黙ったまま俯いていた。騒ぐでもなく、弁解するでもなく、ただ黙って下を向いていた。


「えーっと。大体わかりました。まあ都市警察が来れば遅かれ早かれ真相は判明するので、そちらの方達に任せたい所なのですが、私も探偵ですし、男です。男らしく真相を究明してみようと思いますが、どうですか?」


 男というフレーズを強調する。


「頼む!」


 マネジャーは興奮した様子で頷く。


「では、状況を改めて聞かせてもらえますか?」


 ワイシャツのポケットから手帳を取り出した。


「ああ。もちろんさ」


 一つ頷いてマネジャーが立ち上がった。



「俺はライド。このバンドのマネジャーだ。ご存知の通り、今日はうちのバンドがメインのイベントでね。もうすぐ出番だとボーカルのアンナに伝えに楽屋に入ろうとしたんだ。そうしたら、楽屋の中で争う声がして、何事かと中を覗こうとした瞬間、そこのサカキが魔法を唱えたんだ。詠唱っていうんだろ。俺は魔力は無いが、魔術士の使う魔術は見た事がある。あれとおんなじだった。叫んでる言葉は聞き取れなかったが、確かにサカキは手のひらをアンナに向けて叫んでいたんだ。次の瞬間、アンナの体に稲妻が走って、何かが爆発してアンナは痙攣して、そして倒れたんだ!」


「なるほど。つまり、ライドさんはサカキさんが何か魔法のようなものを唱えて、アンナさんに危害を加えたところを偶然目撃してしまったと。……という事をマネジャーのライドさんは仰ってますが容疑者のサカキさん。何か反論はありますか?」


「……べ、別にないさ」


 うつむいたままサカキは答えた。


「と言うことは、ライドさんの仰っていることをお認めになられていると言うことでよろしいでしょうかね。あなたが魔法を使ってアンナさんを殺害しようとしたと」


「……」今度は答えない。


「なるほど。まあ大体のことはわかりました」


 エルメラルドは細い顎に手を当てて、ふむふむと頷いた。


「何がわかったのよ。もったいぶっちゃって。サカキさんがやっぱり魔法でアンナさんに攻撃したってこと?」


 ミライが首をかしげる。


 犯行を見ていた人がいて、容疑者が犯行を否定しない。ならばこの事件は推理も何も必要ない。普通ならそうだ。


「ほら! やっぱり! そうだ! サカキはアンナを殺そうとしたんだ!」


 確かにマネジャーが言うように普通ならそうなるのだが、


「いやね、それはちょっと違うかもしれませんよ。ライドさん」


 エルメラルドは長い髪をかきあげて言った。


「なんだよ、どういうことだよ! 本人だって認めてるじゃないか!」


「彼が認めたのは、アンナさんに魔法をかけたと言うことだけですよ」


「どういうことよ。全然、状況がわからないわ。説明してくれる?」


 ミライの言葉に頷くと、エルメラルドは先ほどまでアンナが倒れていた場所に言って、しゃがみこんだ。


「ほら、ここにアンナさんが身につけていた宝石の残骸があるでしょ。これ、なんだかわかる人はいますか?」


 手のひらに乗せたキラキラを周囲に見せるエルメラルド。


「そういえば、アンナはあまりネックレスとはつけないやつだったよな」


 楽団メンバーの一人が言う。


「そうですか。なら、より一層、私の推理は強固になりますね」


「どういうことだ。もったいぶらずに教えてくれ」


 マネジャーのライドが言う。


「ええ。その前に。聞きたいことがあるのですが……あの、サカキさんとアンナさんは恋人同士だったんですか?」


 サカキはうつむいたまま何も答えない。たじろいだのはマネジャーのライドだった。


「ど、どうしてそれを……」


 口にして慌てて押し黙った。答えずともその仕草で二人の関係はわかった。


「やっぱり。でも、マネジャーのあなたとしては、あまりその恋を応援できなかった。そうでしょ?」


 エルメラルドに問われると、ライドはゆっくりと頷いた。


「……ああ。そうだ。このバンドはこれからって時なんだ。恋よりも仕事に集中して欲しかった。それは認める」


「でしょうね。まあ恋が燃え上がってしまって、結婚、妊娠でもして活動休止、なんてことになったらマネジャーとしては困りますもんね。いやいや心労は理解できますよ。でもね、そのまあ仕事熱心なライドさんの考えが今回の事件を起こす一端にもなった、とも言えるかもしれませんね」


「なんだってんだ。いいから結論を言ってくれ。どちらにしても俺はサカキがアンナに魔法をかけているのを見たんだ。それは本当だ!」


「ですから、それについてはサカキさんも認めてます。でも、逆だったんでしょうね」


「逆?」


「ええ。危害を加えるために魔法を使ったのではなく、彼女から自分の身を守るために魔法を使った。ということも考えられるわけです」


「守る? 攻撃魔法でなく防御魔法を使ったっていうのか?」


「ええ。その可能性は残っています」


 エルメラルドの言葉の意味が理解できない様子のマネジャー。


「ほら、アンナさんが身につけていた、このペンダントの破片を見てください。これは魔石と呼ばれる魔力を秘めた石です。魔石とは言いますが本当は石ではなく魔樹木の樹液を錬金術師が加工して硬度を出したものなのです。まあそれは話の筋とは違うので置いておいて、この魔石は魔力を持たない人でも魔術が使えるという素晴らしいアイテムなのです」


「そんなのがあるんだ」


 ミライが横で感心しているが、とんだ世間知らずだとエルメラルドは思った。


「煙草に火を付ける着火機ライターだって。ラジオだって原理は同じですよ。便利な道具は全て魔力のおかげで動いているのですから」


 冷蔵庫だって帆船だって魔力がなければ動かない。


「言われてみれば、そうか」


 納得したようでミライは口を閉じた。


「それに、魔石だって安物は雑貨屋でも売ってますよ。これは結構高価な品物なので普通の人にはなかなか手が出しにくいんですけどね。ともかく、この魔石は今は青白く変色していますが、元々は赤色の魔石だったと思います。魔力を放出した結果、色が抜け落ちたんです。誰か、砕ける前のネックレスを見た人はいませんか?」


 ぐるりと周りを囲む野次馬に聞く。


「見た……。確かリハの時に見た。その時は赤かった気がする」


 楽団メンバーが証言する。


「よかった。当たりですね」


「つまりどういうこと?」


「つまりですね。もしかしたら、サカキさんがアンナさんを殺そうとして魔法を使ったのではなく、アンナさんが魔石の魔力を使って、サカキさんを殺そうとしたのかもしれないということです。それを防ぐためにサカキさんは魔法を使い勢い余ってアンナさんに危害を加えてしまい、それをたまたま見たマネジャーのライトさんが、サカキさんがアンナさんを攻撃していると勘違いしたと、そういうことです」


 言い終わってエルメラルドはサカキを見た。それまで俯いていたサカキが目を見開いてこちらを見ていた。


「ち、違う! それは違う!」


 さっきまで俯いていたサカキが目を見開き、震える声で叫んだ。

 するとエルメラルドは待ってましたとばかりに頷いた。


「そうです。それも違うんです。すみません。サカキさんがあまりにだんまりを決め込んでいたもので、意地の悪いことをしてしまいました。実はアンナさんが使用した魔石のネックレスは、ある一部の人にとってはそれほど珍しいものではないんです。むしろ身近なものなんです。えっとですね。ちょっと言いにくいんですが、アンナさんがつけていたネックレスは自決用なんですよ」


「自決……て自殺ってこと?」


「そうです。その魔石は五〇年前の戦争の時、魔術士達に配られたものと同じ種類なのです。敵に捉えられて捕虜になるくらいなら潔く自決しろ、と。戦時中は魔法使いは鬼畜だと教えられてましたからね。そんな危険なものをアンナさんは身につけていたのです。そして、今日、魔術を発動したということは自らの命を絶とうとした、ということでしょう。そうですよね。サカキさん?」


 サカキは再び俯いて黙り込んだ。


「いい加減、真実を話してください。私は早く別のバルに行って酒と音楽を楽しまなきゃいけないんです。本当は土曜の夜にこんな仕事っぽいことはしたくないんです」


 エルメラルドが促すと、観念したようにサカキは顔を上げた。


「ああ。そこまで明かされちゃ……わかったよ。全部話すよ」


「ご協力、感謝します」


「アンナは俺が魔法使いの血を引いていると知っても変わらず好きでいてくれた。けど彼女は人気バンドのボーカルだ。世間に知られれば、せっかく波に乗り始めているバンドなのに悪い噂が立つ。だから俺は彼女の未来のために別れを決意したんだ。俺は彼女の夢を応援したかったんだよ。だけど、別れ話はこじれてしまって、もうワガママは言わないから最後にライブに来てと言われてのこのこ来たんだが、彼女はあのネックレスの魔石を使って、俺の前で死のうとした」


「それであなたは魔法を使って彼女の凶行を止めようとしたんですね」


「そうだ。本当は人前で魔法なんか使いたくなかったけど、そんなこと言ってられる状況じゃなかった。でも、俺は魔法使いの血を引いてるだけで特別な訓練を受けてきたわけじゃない。だから魔力の制御がうまくいかず、魔術の発動を完璧に防ぐことができなかった。マネジャーさんが来たのはちょうどその時だった」


 全て吐き出して、サカキは再びうなだれた。


「でも、あなたのおかげでアンナさんは一命を取り留めたんですから、自分を責める必要はないですよ」


 エルメラルドがサカキを慰める。


「……と、まあこれが真実なわけですが、マネジャーのライドさん。いかがですか?」


 二人の会話を黙って聞いていたライドに尋ねる。ライドは神妙な面持ちで口を開いた。


「アンナが魔法使いのサカキと付き合っているのは知っていた。だけど、アンナがそこまで思いつめていたとは知らなかったよ……。俺はマネジャーだってのに彼女の心までケアできなかった。サカキが魔法使いだということだけで、別れるように言ったこともある。俺の浅はかな考えがこの悲劇を生んだんだな。アンナにもサカキにも謝らなければならない。……すまなかった」


 ライドはサカキの前で頭を下げた。偏屈そうな男に見えたが、意外と物分かりの良い性格だったようだ。


「偏見でものを見ると真実も歪んで見えてしまいますからね。ですが、今回はアンナさんの方も大事には至らなかったですから。今後、サカキさんとアンナさんがどうするかは、私には関わりがないので意見はしませんが、両方にとって良い選択がなされることを願います」


 これにて一件落着、と言わんばかりにお辞儀をして、エルメラルドは輪の中心から離れた。


「探偵さん。ありがとう。よし、ひとまずサカキはアンナのそばにいてくれ! フロアの客にはこのことは悟られないようにしてくれ」


 ライドはマネジャーらしくテキパキと周りに指示を出し始めた。運よく、周りにいるのはスタッフや関係者ばかりのようで、皆一様に頷くと各自の仕事に戻っていった。

 エルメラルドはライドのお辞儀に手をあげて答えてミライの隣に戻った。

 ミライは手を叩いて迎えてくれた。


「すごかったわ! エルメラルドさん」


「タダ働きはポリシーに反するのだけどね。まあ、今回はアンナさんが身につけていた魔石について詳しく知っていたから簡単に解決できただけで、別に推理らしい推理はしてないよ。私がいなくても警察がきちんと調べればすぐにわかることだしな」


「そんなことないよ。感心しちゃった」


「それはどうも。先入観を持たずに、客観的に見れば真実が見えてくるってことさ」


「なるほどねー。ウンウン。勉強になったよ」


「とはいえ、偏見や差別意識ってのは無くならないからね。こんな悲劇を生んでしまうんだ。さ。酒でも飲もう。なんか酔いも冷めちゃったよ」


「うん。でも、ちょっと待って」


 そう言ってミライはステージを見た。シンとしたステージの上で、アンナたちの楽団メンバーが楽器のセッティングをしている。


「ん? ステージがどうした? ありゃ、こんな事件があったのに、演奏は中止にしないのか。さすがプロだな」


「でもボーカルのアンナさんはいないわ。どうするのかしら」


 確かにミライの言うとおりボーカルのアンナはいないし、楽団メンバーも浮き足立っているのは見てとれた。


「インストでもやるのかしら……。あ、そうだ。いいこと思いついた」


 パッと顔を明るくしたミライが振り向く。


「いいこと?」


「ええ。さっきあなたが言ってたでしょ。先入観を持たずに、客観的に見ることが大事だって。そのことを証明してあげる」


「……は? 何のこと?」


 エルメラルドがぽかんとしていると、ミライは「待っててね」と言い残し、ずいずいとステージの方へ行ってしまった。


 マネジャーや亜人のメンバーに何か話しかけている。話しかけられたメンバーたちは初めは戸惑ったような顔をしていたが、ミライが何かを言うと、急にかしこまったような驚いたような顔をして、握手を求めたり歓声をあげたりした。

 そして、すぐにミライをステージにあげた。


「おいおい、あいつら。何をする気なんだ」


 テキパキと準備を進める亜人バンド。さっきまでの落ち着きのなさは消えていた。

 体も大きく、筋骨隆々の亜人たちの中に入ると女性のミライはより一層小柄に見える。ステージの真ん中で屈伸をしたり腕を伸ばしたりして、準備を始めた。客席も謎の乱入者に戸惑った空気を醸し出していた。


 準備が終わると、ミライは後ろを向いてバンドのメンバーに何か声をかける。バンドのメンバーたちはミライの言葉を真面目な顔で聞くと頷いた。


 ミライが振り向く。センターマイクの前に立つ。オシャレに揃いのスーツを着る亜人のメンバーの前に普段着のミライだ。場違いすぎる。帽子を目深にかぶったままで、ミライはすうっと息を吸う。


「あいつ、まさか歌う気か?」


 エルメラルドが突拍子もない展開に驚いていると、ミライが喋り出した。


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