【探偵と偶像】1/3

 その昔、この世界は魔法使いたちによって支配されていた。生まれつき魔力を体内に宿すことのできる魔法使いは『神の使い』と称され、魔法を使えない只人タビトから畏怖の念を一身に浴びてきた。

 しかし、栄枯盛衰が世の常だ。魔法が使えないことで被支配者階級だった只人タビトの中に「体内に魔力を宿せないのならば外部から魔力を取り入れれば魔法のような術が使えるのではないか」と考える者が出た。

 何十年にもわたる試行錯誤の結果、只人タビトは間接的に体内に魔力を取り入れる術を編み出した。

 只人タビトは魔力を含む植物や魔法生物、魔源液と呼ばれる液体などを無理やり摂取することによって、魔力を体内に宿すことに成功したのだ。

 そして、その魔力を用いて、魔法にも劣らない秘術を作り出した。

 ……それが魔術である。


 魔術を扱う只人タビトは自らを『魔術士』と称して、理不尽な支配を続ける魔法使いに対し反旗を翻した。今なお続く魔術士と魔法使いの因縁はここから始まったのだった。


 長い闘争の果てに魔術士は魔法使いの地位を奪うことに成功する。それは先天的に魔力を体内に生成できるからといって、魔法に進化を求めなかった魔法使い達の慢心が生んだ必然であったのかもしれない。


 それまで我が物顔で世界を闊歩していた魔法使いは一転、魔術士たちから迫害を受ける側になった。世界はひっくり返ったのだ。魔法使いは魔術士に土地を奪われ、荒地に追いやられ過酷な生活を強いられるようになった。


 只人タビトは歓喜した。魔法使いの支配から逃れたことに祝杯をあげた。


 だが、結局は役割が入れ替わっただけで世界の構図は変わらなかったとも言える。

 魔法使いの代わりに覇権を握った魔術士たちは次第に増長し、魔法使いだけでなく、魔術が使えない一般人……つまりは元々仲間であった只人タビトに対しても傲慢な態度をとるようになった。魔術士による新たな支配が始まったのだ。


 しかし、歴史は繰り返す。

 虐げられていた只人タビトの中にも、魔術士や魔法使いを出し抜く頭脳を持った人々が現れた。それが後に『賢王会議』と呼ばれる新たな支配者達だ。賢王会議は魔法使いや魔術士に直接的な争いは挑まず、産業や貿易、政治的な根回しによってその地位を奪っていった。

 そして、魔術士が最も必要とする魔力の源を管理することにより、ついに世界を支配下に置いたのだ。


 賢王会議は自らが支配するヒイラギリス大陸の中央に魔術都市サルカエスを築き、魔術士協会の本部を置いた。これにより魔術士たちは賢王会議に頭が上がらなくなった。賢王会議の資金援助のもと、魔術士は地位を約束されたが、多くの魔術士は賢王会議に対して良い感情は持っていなかった。そんな中、歴史の表舞台から姿を消した魔法使い達もまた【魔法使いの家族ファミリー】という強い結束を持った組織を作り上げ、再起の時を伺っていた。

 そして、現在。


 只人タビトの貴族が実権を握る賢王会議と、表向きはその賢王会議に従う姿勢を見せる魔術士協会。そして、その両者に媚びへつらいながらも牙を剥く機会を伺う魔法使いの家族ファミリーの三竦みは絶妙なバランスで世界に平穏をもたらしていた。


 ……と、まぁ堅苦しく世界の事を説明すれば、こうなるのだが、そんなことよりなにより人間は飯を食って寝なければ死ぬのである。世界のことより飯のことだ。魔法使いだろうと魔術士だろうと只人タビトだろうと、メシが何より大事なのだ、と私立探偵のエルメラルドは定食屋のテーブルに座り、ひとり思うのだった。


 ☆


 魔術都市サルカエスより遥か南に位置する水上都市アルムウォーレン。

 季節を問わず観光客に溢れるこの街のメインストリートから少し外れた路地裏にその定食屋はあった。

 油まみれの床、汚れた漫画雑誌、座面のスポンジがはみ出した古い丸椅子。

 年季の入った『魔伝道無線機』ラジオのチューニングは魔術都市サルカエスの音楽番組に合わせられ、アイドル歌手の媚びるような歌声が店内の色褪せた壁紙にべっとり張り付いている。


 美しい景観の水上都市には、少しばかり場違いな印象の異国風の定食屋である。

 鉄鍋を持った店の主は『魔伝道無線機』ラジオから流れるアイドルの曲を上機嫌でハミングなどしている。


「ちょっと、おやっさん。ラーメンまだぁ?」


 料理を待っている客が厨房に声を投げかける。


「そんな耳障りな歌、聴いてる暇あったら、さっさと作ってよ」


「なんだよ、エルちゃん。やってるよ。どうしたんだよ。ご機嫌斜めかい? 『機嫌なおして笑ってダーリン♪』ってなぁ」


 店主はラジオの歌声に合わせてオタマをマイクに見立てて歌って見せる。


「あのさぁ。いい加減その呼び方やめてくれないかな。私はクールでミステリアスな探偵で通ってるんだ。そんな情けない呼ばれ方をしてたら、せっかくのイメージが崩れちゃうじゃないの」


 客は長く艶のある黒髪をかきあげ、不満げに口を尖らせる。


「へへ。なぁにがクールでミステリアスだよ。そんな玉がこんな場末の定食屋に来るかっての。まったく、笑わせてくれるな、このエルちゃん」


「ともかく、エルちゃんは止めてって。私にはエルメラルドっていうイカした名前があるんだからさ。てか、この流れてる歌はなんなの。もうちょっとマシな音楽チャンネルにしてよ」


 不満を言うエルちゃん、ことエルメラルド。


「なんだなんだ、エルちゃんはライミィ・ウェスパイネも知らないのか。魔術都市サルカエスで今一番の人気アイドルだぞ。踊りも顔もスタイルも最高! 今度この街にもライブで来るって話だ。観に行きたいなぁ。可愛いんだろうなぁ」


 うっとりした顔で言うが、エルメラルドは細く長い足を組み苛立ちの表情を浮かべている。


「あのね、おやっさん。音楽ってのは顔とかスタイルとか関係ないでしょ。歌と演奏で勝負しなきゃ。アイドルなんかレコード流して歌うだけのただのお遊戯じゃん。そういう子供騙しの音楽もどきを祭り上げるバカがいるからヒットチャートはどんどんつまらなくなってるんだよ」


「はいはい。エルちゃんはアイドル嫌いだもんな。なんかオタクっぽい変な音楽ばっか好きだもんな。今日も行くの? 音楽バル。なんて名前だっけ。ハズラン?」


「そうハズラン。行くよ」

「だから、こんな時間からウチに来てんのか。探偵の仕事はいいのか?」

「いいの。それが自由業のよいところさ。それよりさっさとラーメン作ってよ」

「あ、麺、茹でてんの忘れてたわ。がはは。まぁ、伸びた方が量が増えてお得だわな。ほれ。ガルモンラーメン。おまち」


 大口を開けて笑う店主がどんぶりをテーブルに置く。じろりと、店主を睨んで見たものの、店主は気にもせず愉快そうに笑っている。

 この人に何を言っても無駄だと諦め、長い黒髪を頭の後ろで結んで邪魔にならないようにしてから割り箸を割った。

 さっさと食べてハズランに行こう。

 不満げな顔でズルズルと麺をすするエルメラルドであった。


 私立探偵のエルメラルド・マガワにはいくつかのポリシーがある。例えば、大金を積まれても気に入らない仕事はしない。権力や暴力には屈しない。平日の午前と日曜日は仕事をしない。土曜の夜は酒と音楽を楽しむ。などだ。ポリシーが多すぎて時に矛盾することもあるが、矛盾も認める、というのことも大事なポリシーの一つだった。

 ……そう、面倒臭いやつなのである。


 そして、今日はその土曜の夜であった。


『カフェ・ハズラン』は日が暮れると、お酒と音楽の店『バル・ハズラン』へと名を変える。


 店の明かりは温かみのある色味の魔術灯に代えられ、腕に覚えのある音楽家が日替わりで楽器を奏でたり歌を歌ったり、ダンスを踊ったりする。

 今日は異国出身の亜人たちのバンドが来ると聞き、エルメラルドは仕事を早めに切り上げたのだった。


 ステージを横目にカウンターに座りバリアン酒のダブルを注文する。バーテンは静かにグラスを取り出し、氷と透き通った飴色の液体を注いでくれた。

 グラスを回し、芳醇な香りを楽しみながら音楽に耳を傾ける。

 ステージでは前座のバンドがゆったりしたグルーヴの楽曲を奏でていた。なかなか良い演奏だ。仕事を忘れて浸る夢の時。

 指先でリズムを刻みながら、気持ちのいい音楽と酒に揺られる。幸せだ。これぞ週末の憩いだ。エルメラルドは至福の時を満喫していた。


 ……だがしかし。


「ねえねえ。お姉さん。一人ぃ?」


 タバコ臭い男に話しかけられた。

 一人でバルにいれば誰かに話しかけられることもあるし、それが縁で仕事に繋がったり新しい知見を得る機会にも繋がる。なので、話しかけられたら基本的には愛想良く返事をするようにしている。

 とはいえ、今回のようなナンパは論外である。


 エルメラルドは黒く長い髪と翠玉色の瞳を持ち、肌は白く、年齢よりも若く見える、黙って酒でも飲んでいれば、それなりに良く見えるのか、時々、こうして酔っ払いが鼻の下を伸ばして近づいてくるのだ。


 エルメラルドは男を無視してグラスを口に運ぶ。まろやかで深い味わいのバリアン酒が喉を温めていく。


「なんだヨォ。おネェさん、無視しないでよー。ひとりっしょ?」


 男はすでに相当酔っ払っているようだ。ゆらゆらと体を振りながらエルメラルドに近づくと、タバコ臭い息を吐きかけた。

 せっかくの夢見心地を台無しにされてエルメラルドの眉間にシワがよった。


「ねえ、おネェさん。一人じゃ寂しいでしょ? 俺と飲もうよー」


 酔っ払いは口の端を歪めながら、肩を抱くようにして腕を伸ばしてきた。


 たとえ、どんな相手に対してもクールにエレガントに対応する。決して感情的な態度は取らない。

 それが私立探偵エルメラルド・マガワのポリシーの一つであった。

 だが、今回は我慢ならぬ。色々と許せぬ理由がある。

 エルメラルドが自らに課したポリシーを破って、無言のまま、酔っ払いの手を振り解こうとした。

 その時。


「あんたやめなよ。嫌がってるじゃないか」


 威勢の良い声とともに現れた若者が酔っ払いの肩を掴んだ。

 エルメラルドに救いの手を差し伸べたのはキャップを深く被った細身の青年だった。


「んだぁてめえは! 俺は今、このお姉さんと話してんだヨォ。野郎は黙ってろ」


 酔っ払いは若者の腕を振り払い、そのまま拳を若者に向けて振り回した。

 若者は素早く身をかがめ、大ぶりな拳を避けると、空振りして無防備になった酔っ払いの脇腹に拳を叩き込んだ。


「ぐげぇ」


 酔っ払いの情けない声が響いた。


 膝から崩れ落ち「く」の字に折れ曲がった酔っ払いは、フロアに倒れ苦痛に顔を歪めた。


「ったく。弱い犬は吠えるなって」


 若者は腰に手を当て、やれやれと酔っ払いを見下す。


「クッソ、ガホゴホっ……。お、覚えてやがれ……」


 酔っ払いはヨロヨロと立ち上がるとおきまりの捨てセリフを残して店を出て行った。


「ふんっ。おととい来やがれってんだ」


 鼻を鳴らし、酔っ払いが店を出て行くのを見届けると、若者はエルメラルドのとなりに座った。


「……ありがとう」


 エルメラルドは行き場のなくなった自らの拳を解きながら礼を言った。別にこの若者が現れなくても、自分で始末できたのだが。


「いいって。気にしないで。お姉さん美人だから一人でいると大変でしょ。もし、よかったら一緒にいい? 一緒にいれば面倒なナンパも少ないだろ?」


 若者はニカッと笑った。キャップの下に金色の前髪が揺れた。涼しげば瞳の色は青。少年のような幼い顔つきだが、ここは酒場だし十代ということはないだろう。

 店に来たばかりなのか、まだ外着を着ているがそれでも細身である。

 きっと、若い女の子だったら、こういう時にときめいちゃうんだろうな、とエルメラルドは細目で彼の姿を見ながらも、ため息をついて黒髪をかきあげた。


「あのね。君もさっきの酔っ払いと同じ誤解をしていると思うので、先に言っておくけどね」


 自分で言うのも少々気が引けるのだが、エルメラルドはさっさと言わなければいけないことがあったのだ。


「……私は男だ。助けてくれたのは感謝してるけど、君も男と酒を飲みたいわけじゃないだろう?」


 そう。エルメラルド・マガワはもう二〇代も半ばの男なのだ。


 髪は長いし、体は細いし、ヒゲもすね毛も一向に生えては来ないのだが、これでも立派な男である。


「うっそ!? まじ?」


 金髪の若者はその青い瞳を丸くした。


「マジですから。全然男ですから。勝手に勘違いしたのはそっちだからね。苦情は一切聞かないぞ」


 エルメラルドはうんざりした様子でそっぽを向く。誰に対しても紳士的に振る舞うのがポリシーだが、自分を女性と間違える輩に対してはこの限りではない。


「たしかに声を聞くと……。いや、ふふふ。ごめんね、ならこっちも好都合だよ」


「……好都合?」


 ジロリと隣を見ると、若者は白い歯を見せて外着を脱いだ。


「わたし、女だもん」


 若者が外着を脱げば、下に着ていたシャツの前に女性特有の膨らみがあった。


「おや、……なんだよ。まったく、それならそうと先に言ってくれよ」


 エルメラルドが苦笑いを浮かべる。


「あなただって、男にナンパなんかされないでよ。勘違いするに決まってるじゃん」


 女はニカっと白い歯を見せるとカウンター席に腰掛けバーテンに酒を頼んだ。


「私はエルメラルドだ。君は?」


 名を聞くと、女は困ったような素振りを一瞬見せてから、ふふふ。と笑う。


「なんの笑い?」


「なんでもないわ。わたし、ミライよ。よろしく。とりあえず、互いの勘違いに乾杯でもしましょうか」


「ああ。そうしよう」


 グラスを合わせ、互いに口へと運ぶ。

 エルメラルドはさりげなく彼女を観察した。探偵の性か、初めて会った人の身なりを見てしまう癖がある。

 キャップは安物。外着もシャツも男ものだ。色気もないし、ブランド物ではなさそうだ。おしゃれに無頓着な子なのだろう。こんな服を着ているから男と間違えられるのだ。

 とはいえ、深く被ったキャップの下、メイクはそれなりにきちんとしているようだ。鼻筋は通っているし、肌もきめ細かい。金色の髪は地毛だろう。短めの髪はボーイッシュ。

 ……だから、異性に間違えられるのだ。可愛い女の子なのだから、女の子らしい格好をすればいいのに。

 などと自分のことは棚に上げて、勝手なことを思うエルメラルドであった。

 

「ここ初めてきたけど、なかなか素敵なバルね」


「アルムウォーレンでも屈指の音楽バルなんだ。迷った夜はここに来れば間違いない」


「へえ、やっぱりそうなんだ。ガイドブックに載ってたから来てみたんだけど、よかった。今日は良い夜になりそう」


 ミライは嬉しそうにぐるりと店内を見渡した。


 そんな雑談をかわしているとフロアで新たな楽団の演奏がはじまった。

 言葉を止め、音楽に耳を傾ける。

 心地よい時間だ。これこそ土曜の夜だ。

 ゆったりとした演奏に浸ってエルメラルドは満足だった。

 ミライはというと、音楽を聴きながらも辺りを見渡していた。


「誰か、探しているのかい?」


 曲の合間に尋ねると、ミライは目を丸くした。


「どうしてわかったの?」


「なんとなくさ」


 演奏を終えた楽団に拍手を送りながら、そっけなく答える。


「ついでに推理させてもらうと、その相手は男ではない。同い年くらいの友人だろうな」


 ミライはこちらを振り向いて目を開いた。


「な、なんでわかるの?」


「人を見る仕事なんでね。視線でなんとなく、わかるのさ」


 あくまで退屈そうな顔は崩さずにエルメラルドは答える。


「人を見る仕事?」


 小首を傾げたミライに向けて、含み笑いを見せながら、ジャケットの内ポケットから名刺を取り出して渡す。


「エルメラルド・マガワ。探偵をやってる」


「エルメラルド探偵事務所……」


 名刺の文字を読んでからミライは声を上げた。


「へぇ! わたし探偵さんに会うのは初めてよ」


 名刺を受け取ったミライは物珍しそうに名刺の裏表を見ている。

 

「すごいね。会ってちょっとしか経ってないのに、わたしが誰かを探してることも、それが女の子だってことも見抜いちゃうんだ!」

 

「大したことないさ。探偵なら誰でもわかることさ」

 

 そっけないふりをしながら、内心「決まった」とエルメラルドはご満悦だった。

 キョロキョロしていれば誰かを探しているだろうと思うのは当然だし、若い女の子がキャップに地味な外着でバルに来るのだから、男に会いに来たわけではない、というのは勘のいい奴なら探偵でなくてもわかる。


 しかし、ミライはすっかりエルメラルドの言葉に感心している様子だった。


 出会いのカッコ悪さを挽回するクールでミステリアスな演出だ。こういう地味な営業活動が回りに回って仕事に繋がるのだ。

 ……などと、心の底で自画自賛するエルメラルドであった。

 

「昔の馴染みがこの街に出てきたって聞いてね、こういう所にいそうだなって思って来てみたの」


「なるほど。もしちゃんと探したいのなら相談してくれ。サービスするよ」


「ありがと。でも大丈夫。地元が一緒の女の子でね。この町で亜人と楽団を始めたんだって。このバルで演奏してることもあるらしいの。だから、きっと探すまでもなく居所はわかるはずよ」


「へえ。このバルで演奏をしてるってことはかなりの腕前だな。なら探すまでもなさそうだ」


「ええ。きっとすぐ有名になるわ。美人だし歌もすごく上手いのよ」


 ミライの口ぶりや言葉から、彼女がその相手に尊敬の念を抱いている様子がわかった。


「エルメラルドさんは今日は? お仕事? 何か探るためにこのバルに来たの?」


「いやいや純粋に音楽を聞きにきただけさ。土曜の夜はお酒と音楽を楽しむ。それが私のポリシーなのさ」


「音楽が好きなんだね」


「特にこういう生の音楽は好きだよ。サルカエスのヒットチャートなんかには全然興味はないけどね」


「えー。それは、なぜ?」


「ああいうのは売るための音楽だろ。薄っぺらい歌詞に、売れ線のメロディ。どれもこれも同じ味付けの料理ばかりだ。胸焼けする」


 昼間、定食屋の店主に言ったことを繰り返す。音楽は歌と演奏だ。踊りもルックスも関係ない、と。


「そうかな。わたしは音楽は自由だと思うけれど。いろんな音楽があって、いろんなお客さんがいて、それぞれが好きな音楽を楽しんでいて、いいじゃない」


「幼稚なアイドル歌手みたいなのも?」


「いいじゃない。アイドルだって」


「正気かい? あれは音楽じゃない。お遊戯だ」


 お酒も手伝ってヒートアップしてしまう。が、ステージに次の出演者が上がり照明が暗くなったので、二人は議論をやめた。


 ステージに上がったのは弦楽器をそれぞれ持つ二人組だ。ヒゲを蓄えた只人の青年と、赤い体毛が全身を覆う獣人の男。

 ヒゲの青年はギター、獣人は魔獣の骨をボディに太い弦を三本張った低音を効かせた弦楽器を奏で始めた。二つの楽器の音色と、しっとりと湿った歌声のハーモニーが美しかった。


「不思議な気持ちになる音楽ね」


「ヒットチャートには入らないタイプだけど、心に響く良い歌だな」


 さっきのバンドもそうだが、今日の出演者はレベルが高い。なかなか良い夜だった。


 五曲ほど演奏して二人のステージが終わった。この後が今夜のメインだ。店内も次第に混み合ってきた。

 次のステージが始まる。

 エルメラルドは五杯目の酒とナッツを注文する。

 酔いはかなり回ってきていた。


「……さっきの続きだけど、エルメラルドさんはアイドルのライブを見たことがあるの?」


 せっかく気持ちのいい音楽を聞いていたのに、またアイドルの話だ。エルメラルドは少しばかりうんざりした。


「ないなぁ。ラジオで流れているのを聞いたことはあるけど、あまり印象に残ってない」


「ふぅん。じゃあちゃんと聞いてみたら。わたしはアイドルも好きだよ。みんな一生懸命頑張ってるから見てるだけで元気になるし」


 そうか、だからミライは食い下がってきたのか。アイドルが好きなのか。


「まぁ、個人個人は頑張ってるのかもしれないけれど、結局大人が売るために作った曲を歌わされてるだけだろう。そんなのただの操り人形じゃないか」


 酔いのせいもあり、少しばかり挑発的な発言になってしまった。いかんいかん、こんな発言はクールでエレガントな探偵のイメージとそぐわない。と発言を訂正しようとしたが、すでにミライは身を乗り出して反論をする構えに入っていた。


「そんなことない! アイドルは……」


 ミライが身を乗り出した時、遠くから誰かの叫び声が聞こえた。


「誰かぁ! 誰か来てくれ! 魔法だ! 魔法使いが出た!」


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