【はじまりの律動】3/3
☆
『バル・ハズラン』はアルムウォーレンの
島をまるごと建物にした店舗で、昼は軽食と珈琲がメインの喫茶店だが、夜になると酒と音楽の店になる。
日が暮れると店の明かりは温かみのある色味の魔術灯に替えられ、フロアのテーブルは端に寄せられ、ステージの準備が始まる。
シアとダオンが訪れたのは、ちょうど店員がその作業をしているところだった。
準備中の店内で飛び入り参加の受付を済ませた二人はフロアの隅で大会が始まるのを待つことにした。まだ客はまばらで、常連の老人たちがカウンター席に陣取り楽しそうに話し込んでいるだけだった。
煉瓦作りの壁には様々な音楽家のレコードやポスターが飾られている。
受付の店員や常連客の値踏みをするような目つき、酒と煙草の匂い。マジルキヨトの小劇場のそれとよく似ているとシアは思った。
ダオンは大きな体を縮こまらせ口数が少ない。
「もしかしてダオン、あなた緊張してんの?」
シアが訪ねるとダオンは首をすくめて頷いた。
「いや、だって。俺、こんな有名なステージでやったことないからさ」
「あなたデカい図体して意外と繊細なのね。どこだってやることは変わんないでしょ。本番ってね。練習してきたことしかできないんだよ。だから今まで自分がやってきたことを信じるしかないの」
マジルキヨトで数々のステージを経験しているシアにとってはいつもの出番前の光景でしかなかったようだ。
「シア、君は凄いな」
ダオンは目を丸くして驚いた。その間抜け面がシアにはおかしかった。
「なに言ってんの。当たり前のことでしょ。さ、順番を決めるくじ引きが始まったよ。ダオンが行ってちょうだい。本番までわたしみたいな美人は目立たない方がいいんだから」
シアが本気とも冗談ともとれないことを言ってダオンの背中を押す。
「わかったよ」
ダオンは言われるままに、くじ引きが行われている舞台袖に向かった。
集まっている出場者達に混じり、くじの順番を待つ。見渡せば今日の昼間、広場でダオンとセッションをしたあの若者達の姿も見えた。
「お、なんだお前もいたのか」
あの龍人がダオンを見つけた。
「ああ」
「おいおい。まさか、お前、あんな演奏で大会に参加するんじゃねえよな?」
昼間、ダオンをこけにした只人の若者が龍人の後ろから現れ、にやにやと笑う。
「……出るよ」
ダオンは只人の若者には目を合わせなかった。
「では次のかた、どうぞ」
店員に促されダオンは足を踏み出す。ボックスの中に手を入れ適当に一枚を引く。
紙を広げると「九」の文字。
今晩の参加楽団は一〇組。つまり、ダオン達の出番は最後から二番目だ。それを見ていた先程の若者が笑い声をあげた。
「ははは、こりゃ傑作だ。俺たちがトリを務めるからよ。前座として頑張って会場を沸かせてくれ。ただし、失笑で包むような真似は勘弁してくれよ。やりにくいからな」
癇に障る声で笑って若者は去っていった。
「まったく。同じ楽団のメンバーだというのが恥ずかしい奴だ。ま、気にするな。お前はお前の音楽をやれば良いんだ。頑張れよ」
龍人の若者はダオンの肩を叩いて若者の後をついていく。彼らの後ろ姿を見つめていると、後ろから肩を掴まれた。
「何よあいつら……馬鹿にして。目に物見せてやる」
振り向くと眉毛を釣り上げたシアがダオンの肩を掴んで怒りの炎を燃やしていた。
「まあ、気にしないでおこうよ」
その気の抜けた声にシアは拍子抜けした。
「は? あなた、あんな風に言われて、なんとも思わないの?」
「うーん、まあ不快にはなるけどさ。怒ったってどうしようもねえし。もし俺が怒って只人なんかを殴ったりしたら、きっと簡単に殺しちゃうからさ。平和に行かないとなぁ」
獣人らしい筋骨隆々のダオンは静かに言った。
「なるほど。……あなたは怒らせないようにするわ」
シアはそう言ってポンポンとダオンの硬い肩を叩いた。
「さーて、そろそろ大会が始まるわ。フロアに戻りましょ」
フロアは薄暗くなっていた。客も増えている。いよいよ始まるようだ。
舞台に蝶ネクタイ姿の司会者が現れる。そして、大会の開始が高らかに宣言された。
会場が拍手に包まれる。
そして、司会者が舞台袖に去ると、入れ替わりに一組目の楽団が出てきた。
「さて。まずは出場者のお手並みを拝見いたしましょ」
腕を組んだままシアが呟く。ダオンも舞台に視線を送った。
舞台上の楽団が演奏を始める。
技術はそこまで高くないけど場慣れしている。のびのびと楽しげな表情で演奏してる。
自分も緊張を解かなければ、とダオンは自分の頬を張った。
一組目が終わり、二組目が現れ、あっという間に五組の演奏が終わった。
「……どう? マジルキヨトの舞台と比べてレベルの程は」
ダオンは腕組みして舞台を眺めるシアに訪ねてみた。
「そうね。ま、大したことないわ。……でも、みんな楽しそうにしてる」
シアは、ふうっとひとつ息を吐いて腕組みを解いた。
「そうだな。みんな緊張しねえのかなぁ……俺なんかずっと緊張しっぱなしだってのに」
いつのまにか握りしめていた手をほどいて手汗をふく。シアはダオンの言葉には答えず、じっと舞台の上を見つめていた。その瞳は寂しそうだった。
「……わたしね、今まで音楽を楽しんでこれなかったの」
シアがポツリとこぼした。ダオンがちらりとシアの顔を覗く。彼女の表情は逆光でわからなかった。
「母親が歌手でね。わたしは小さい頃からとっても厳しい指導をされてきたんだ。毎日毎日何時間も繰り返しのレッスン。そのおかげで歌もダンスもうまくなったけどね。でも、偉い先生のつくった歌やダンスを押し付けられるばっかでさー。だんだん歌も踊りもつまんなくなっちゃって」
「そうなんだ」
「だから、この街に来たの。いろんな音楽があるって聞いてさ。ここで自分で好きな音楽を作って、誰よりも音楽を楽しみたいって思ってたんだ。だから、ダオンと会えてよかったよ。今まで出たきた楽団より、ダオンの叩く音のが素敵だもん」
「そこまで言われてたら照れるよ。でも、ありがと。実は俺もさ、最近音楽を楽しめてなかったんだよな」
「ダオンも?」
「ああ。俺の親は俺が音楽をやることに反対だったんだ。俺は家族の反対を押しきってこの街に来たんだ。絶対音楽家になってやるってね。でも、この街に来てからは有名にならなきゃ、誰かに認められなきゃって焦って他人の評価ばかり気にして、他人のリズムに曖昧に合わせるだけでさ、自分のリズムを刻めてなかった。音楽を楽しめてなかった……。自分のリズムに自信が持てなくなっちゃったんだよ。もう音楽なんてやめちゃおうかなってそんなことも思ってさ」
シアは黙ってダオンのことを見上げている。
「……けど、今日、君に会って一緒に練習をして、音楽は楽しむもんだって思い出したよ。当たり前のことなのにな」
「そっか。わたしもあなたのリズムを聞いてハッとしたんだよ。だから、絶対に優勝してやりましょ。楽しんで、そして……賞金を貰うのよっ!」
「ははは、そうだな。賞金をもらわなきゃ明日から困るからな。よし、がんばろう!」
顔を見合わせて頷く。
ダオンの顔から緊張は消えていた。
二人の順番がやってきた。
ダオンがドガムゴを首から懸けて舞台に現れるとフロアの客は見慣れぬ楽器の登場に少しざわめいた。
シアはまだスポットライトの外、舞台脇で静かに時を待っている。
五つの太鼓と鳴り物を携えたダオンが舞台の中央に立ち、バチの持つ手をスッと掲げて、ひとつ音を打った。
重い低音が響きわたる。そしてフロアを柔らかな余韻の残響が包みこむ。
フロアは夜の海のように静まり返った。
たった一つの音でダオンは会場の空気を変えた。
なかなかやるじゃないの、と舞台袖で出番を待つシアも思わず唸った。
静まり返った舞台の中央で、ダオンは小さな音量でリズムを奏で始める。シンプルで何の変哲もない、だけど不思議な心地よさのある揺らぎのあるリズム。
いつもの騒がしいフロアなら喧騒にかき消されてしまいそうな繊細な音。
しかし、その小さな音は、静寂に包まれたフロアの誰の心にも明確に響いていた。
ダオンは異なる音程の太鼓を器用に打ちわけリズムを編んでいく。ゆったりと、でも力強く。
屋外で鳴らすよりも音が響く室内では更に繊細さが求められる。
指先に意識を集中し、丁寧に慎重に音を奏でていく。
そして、会場の隅々まで、ダオンのリズムが満たされた時、シアが舞台袖から現れた。
細い体を包むのは情熱的な真紅のドレス。可憐さと妖艶さを兼ね備えた美しいシアの登場に会場は静まり返り、息を飲む。
シアはドレスをたなびかせ、そよ風のように舞台中央に歩み出た。
美女と野獣のコントラスト。
筋骨隆々の野獣の前に立った美女は儚い眼差しを天井からぶら下げられたミラーボールへ向けた。キラキラと煌めく夜の月へ、細い手を天に伸ばす。
そして、シアは透き通った声で歌い始めた。
それは、古くからヒイラギリス大陸に広く伝わる童歌だった。
誰もが幼い日に母の背中で聞くような、誰もが口ずさむことのできるような、懐かしい曲だった。
ダオンの奏でるリズムは独特で、ゆりかごに揺られるような心地よさと不思議な哀愁を誘う。
そんなリズムの波の上を慣れ親しんだ童歌のメロディがゆっくりと進んでいく。リズムの波に逆らわずとも流されずシアの歌声は寄り添うように流れていく。
人々の脳裏には幼き日々の哀愁が浮かんだことだろう。
歌いあげて一つ息をつき、静寂に包まれたフロアのなか、シアの瞳に映ったのは観客達の澄んだ瞳だった。
「どうもありがとう」
シアが微笑んで頭を下げると、フロアからは感嘆の声と暖かい拍手が巻き起こった。
シアは振り返る。ダオンは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「じゃあもう一曲」
ダオンが手を挙げて、再びドガムゴを打った。今度はアップテンポのビートだ。かつて戦の時代に仲間を鼓舞するために作られたという曲。
荒々しく、心拍数を跳ね上がらせるような雄々しいリズム。先ほどよりも、更にリズムが独特だった。
観客も聞き馴染みのないリズムに戸惑っている。
だが、すぐにこのリズムが心の奥を熱く揺さぶることに誰もが気づいた。
体が自然に踊り出したくなるような、そんなリズムなのに、どう体を動かしたいいのかわからない。そんな戸惑いの表情があちこちに見え始めた。
シアは目を閉じた。昼間の練習では、敢えてこの曲は練習しなかった。初めてのインスピレーションを大事にしたかったからだ。
うまくリズムに乗れなかったらどうするんだ、とダオンは不安がったが、そうなったら自分のセンスがなかったと諦めもつく、とシアは押し通した。
そして今、この未知なるリズムに身を任せようと、瞳を閉じてシアは深呼吸をした。頭で考えて踊るのではなく、心で感じて踊るのだ。
自然に肩が動く。足先が低音に合わせて小刻みに揺れる。
不思議だった。頭ではない。心がこのリズムに乗っているのだ。
小細工はいらない。心のままにシアは舞った。今まで踊ってきた演奏の中で、一番無邪気に激しく舞うことができた。頭ではなく心でリズムに乗る。
正解があるわけでもない、失敗があるわけでもない。心のままに音を楽しみ、一瞬を駆け抜ける。
過去にも未来にもできない、今だけの踊りがそこにあった。
観客もシアにつられて体を揺らし出す。はじめは戸惑い勝ちに、次第に誰もが楽しげに踊り始めた。
ステージはあっという間に終わった。
観客達は歓声をあげ、新しいスターの誕生に沸いた。
ルール破りにアンコールの声を背に受けながらも、二人はステージを後にした。
舞台脇に、トリを務めるあの楽団の人間の若者が青い顔をして立っていた。
「お先に失礼。フロアを温めておいたけど、お坊ちゃん達には熱くしすぎたかしらね?」
シアが挑発的に言って脇を通り過ぎてた。ダオンもその後ろをついて舞台脇にもどる。
「いい演奏だったろ?」
ダオンもすれ違い様に言うと、只人たちは目を逸らし舌打ちをしたが、その後ろに控える龍人の若者だけは小さく微笑んで「ああ。よかったぜ」と呟いた。
舞台脇からフロアに降りたダオンとシアは彼らの演奏を眺める。
トリを務めた彼らの演奏は悪くはなかったが、フロアの客はダオン達の演奏の余韻に浸ったままだった。
ダオン達の演奏の後では分が悪かったようだ。
「優勝は……九番!」
歓声に包まれたフロアで、二人は手をとって喜んだ!
「やった! これでドガムゴを売らないですむ!」
「これで、当面の生活費は稼げた!」
ダオンが吠え、シアは拳を握りしめた。
「では表彰式を行います、こちらへどうぞ!」
拍手に包まれるフロアを二人が歩み出る。シアは堂々と胸を張りダオンは照れた顔でそそくさと舞台に上がった。
☆
深夜、街明かりの消えた路地に二つの影が並んでいた。
夜になると冷える。この街にも秋が近づいてきたのだ。
「シア、飲み過ぎだよ」
「あっはっは。ごめんごめん。ホッとしたら気が抜けちゃったー。いつもはこんなに飲まないんだけどねー」
「緊張してたのか?」
「緊張はいつもするよー」
「なんだよ、そうなのか。全然そんな風に見えなかった」
「あはは、でしょ?」
「それにしても、来週からレギュラーで演奏することになるなんて困ったな。レパートリーそんなにないぞ」
「ごめーん。ハズランのオーナーが定期演奏する楽団がちょうど一つ足りないって言ってたから、後先考えずに突っ込んでみちゃった」
大会が終わった後、ハズランのオーナーの元に駆け寄ったシアは、レギュラー出演させてほしいと直談判したのだ。
ダオンは焦った。つまみ出されるのではないかと肝を冷やした。
「でも、なんとかなったんだからいいでしょー」
オーナーは威勢の良いシアを気に入って、枠を一つくれたのだ。
「ヒヤヒヤしたよ。まぁ、終わりよければすべてよし。って言うもんな。」
「なに言ってるの」
シアは急に立ち止まり、くるりと振り向いて細い腰に手を当てた。 真面目な顔でダオンを見上げる。
「始まりよ。これからが始まり。わたしたちの音楽を世界中に響かせるためには有名にならなきゃ。それには曲もたくさん作らなきゃいけないし、ステージの振る舞いだってもっと勉強しなきゃだめ。やることは山積みよ」
「そっか……そうだな。俺はビッグになるためにこの街に来たんだ。頑張らなくちゃな」
ダオンは表情を引き締める。
「うん。だから、これからもよろしくねダオン」
にっこりと笑顔を作ってシアは手を差し出した。
「こちらこそ」
ダオンは頷くとシアの小さい手を優しく握った。
「……亜人って勝手になんとなく、怖いって思ってたけど、思い込みだったわ」
「俺もだよ。家族に只人は嫌な奴らだって言われてたから。でも、やっぱり自分の目で見なきゃな。俺、この街に来て良かったよ」
「わたしもそう思う。ねえ、わたしたち、きっとこの街で一番有名な楽団になるわよ」
「ああ。そうだな。そのつもりだ」
二人は頷き合う。
アルムウォーレンにまたひとつ、人々の心を動かす楽団が生まれた瞬間だった。
彼らの物語は今、始まったのだ。
〈了〉
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