【はじまりの律動】2/3

 ☆ 

 多くの亜人が暮らす獄天魔大陸。

 その極東にある小さな島国ヤパムネに暮らす貧しい獣人の少年ダオン・ドランが、

「村を出て音楽家になる!」と家族に宣言したのは一ヶ月前のことだった。


とんでもないダグス・ビッツ! お前は漁師になるんだよ!」


 父親はそう怒鳴り、ダオンの金色の頭に拳骨を喰らわせた。


「うぐ、俺は漁師になんか、ならねぇ!」


 涙目を浮かべたダオンだが、決意は揺るがなかった。


 ヤパムネは険しい岩山が国土の大半を占める貧しい島国だ。

 毎日の漁で食い扶持を稼ぐ者が大半で、娯楽に金をかけるものなどいなかった。

 伝統的な音楽はあるが、それは大漁を祝う祭りや儀式などの催事で演奏するものであり、それで生計を立てることなど、夢のまた夢だった。

 だが、ダオンは幼い頃から音楽家になりたいと夢に見てきた。

 ヤパムネ伝統の打楽器ドガムゴの腕前は村一番だという自負もあった。



「とんでもないダグス・ビッツ!この貧乏な国で音楽なんかで食っていけるものか!」


「だから、俺、アルムウォーレンに行きたいんだ。自分の実力を試したいんだよ」



 ダオンが食い下がると、横で見ていた母親はやれやれと首を振った。


「アルムウォーレンってヒイラギリス大陸のかい? あんた何考えてんだい。只人タビトの街に行くなんてダメに決まってるだろ」


「母ちゃん、どうしてだよ。アルムウォーレンには世界中から人が集まる。魔族も獣人も龍人も只人も。そして、いろんな文化が混ざる。思想や娯楽、料理や音楽も。俺はそこで有名になって、いつか楽団を率いて大劇場アダムスティアホールの舞台に立つんだ!」


とんでもないダグス・ビッツ! 只人の棲むところなんかに行っても嫌な思いをするだけだよ。やめなさい」


「なんだよ! 母ちゃんは知らないのか。アルムウォーレンは人種差別が少ないって有名なんだよ」


「いくら差別が少ないと言っても、お前は只人を見たこともないだろ。あいつらは体は脆いが恐ろしく狡猾で油断ならない生き物なんだよ」


 戦後生まれのダオンは只人に対して年配の獣人達が持つような負の感情は持ち合わせていない。

 むしろ、海の向こうの華やかな只人の街や文化に憧れをもっていた。


 だが、戦争の最中に生まれた両親や祖父母にとって、只人に対する偏見は容易く無くなるものではなかった。

 家族と口論はいつも平行線だった。


 嫌気がさしたダオンはついに家を飛び出した。

 荷物はアルムウォーレン行きの乗船券、ヤパムネ伝統の打楽器ドガムゴ。日雇いのアルバイトで稼いだ少ない貯金、それと「自分には才能がある」という根拠のない自信だけだった。


 野望を胸に船に揺られること一週間。意気揚々とアルムウォーレンの港にたどり着いたダオンはこれから始まるサクセスストーリーに思いを馳せた。



 それから一ヶ月。


 ダオンは残り少ない小銭を数え、金色の毛で覆われた岩のように硬く大きな肩をがっくりと落としていた。

「だめだ……。もう金がない」



 この一ヶ月、街の広場やバルで楽団仲間を集めようとしたが結果は散々なものだった。



「どうしてだ……。なんで誰も俺と組んでくれないんだ」



 誰かと楽団を組みたいと思い、ダオンは様々な人とセッションをした。

 しかし、バルでセッションした六弦ギター奏者にも、公園で共演した鍵盤キーボード奏者にも苦い顔で断られた。



「なんだかお前とはうまく合わせられない」



 皆にそう言われた。


 たしかに妙な感覚はダオンにもあった。

 この街に来てからどうもリズムが合わないのだ。

 それがなぜなのか自分自身でもわからなかった。



「やっぱり……俺が田舎の亜人だからなのかなぁ」


 もし、祖父が今の言葉を聞いたら、激怒しただろう。

 自分のことを亜人と呼ぶな。亜人というのは奴ら只人が勝手につけた名じゃ。わしらは人間じゃ。亜人などと言われる筋合いはない。

 そう言って祖父は全身の毛を逆立てて怒るのが常だった。


「はぁ……。じいちゃん、元気かなぁ」


 祖父の姿を思い出し、おもわず口をついて出た弱気な言葉に自分で驚き、かぶりを振った。

 俺は帰らない。この街で成り上がってやる。


 けれど、やはり現実は厳しかった。

 空回りの日々が続いた。

 もしかしたら、この街の人は俺と楽団を組みたくないから、わざとリズムをずらして演奏しているのかもしれない。


 そんな被害妄想が浮かぶほど、ダオンは弱気になっていた。

 ポケットの中には小銭ばかり。有名になるまでは故郷になど帰らないと、鼻息を荒くしていたが、今となっては帰りたくても船賃もない。


 でも、諦めるわけにはいかない。


 ダオンは自らに言い聞かせ、背筋を伸ばし、折れかかった心を奮い立たせ、今日も広場で演奏している楽団にセッションを申し出た。



 しかし。



「……やめやめ。ったく、俺たちは今夜ハズランの舞台で演奏するんだよ。それなのに、こんなでたらめなリズムで合奏なんて、調子が狂っちまう」



 四弦ベース担当の只人の青年が手を止めて、口を尖らせた。



「珍しい太鼓だから面白そうだと思ったけど、合わねえな」



「それ以前にリズムが変だよ。お前」



 六弦担当の只人にも、とげのある言葉を投げつけられ、ダオンは俯いた。


 今日、ダオンが話しかけたのは只人が二人と龍人が一人の三人組編成の楽団だった。



 亜人がいる楽団なら自分が加わっても上手く合わせられるかと思ったのだが、うまくいかなかった。

 考えてみれば、只人にとっては亜人と一括りにされる人たちであっても、ダオンのような獣人と、この楽団にいる龍人とでは全く別の進化を辿った種族である。


「お前、ヤパムネ出身だろ?」



 それまで黙っていた龍人の若者が口を開いた。


「ああ……」


「おい、ヤパムネってどこだ?」


 六弦の只人が龍人に訪ねる。


「獄天魔大陸の東の海にある小さな島国だよ」


 龍人がギザギザの歯が並ぶ大きな口をすぼめて煙草をふかして答えた。


「だから、田舎くせえリズムなのか。悪いことは言わねえ。島に帰って漁師にでもなりな」


 六弦の只人はそう吐き捨てて、耳障りな笑い声をあげた。


「……わかったよ、邪魔して悪かった」


 ムッとしたがここで喧嘩をしても仕方がない。それに、うまく合わせられなかったのは自分だ。


 ダオンはそそくさとドガムゴを片付け始める。

 只人たちが背を向けるなか、タバコをふかす龍人が静かに近寄ってきて、ダオンの肩を叩いた。


「只人ってやつは、『とんでもないダグス・ビッツ』……だろ?」


 久しぶりに聴いた故郷の言葉だった。


「あんた、そんな言葉、知っているんだな」


 龍人はニヤリと笑った。


「ヤパムネの音楽は好きだ。あの独特なリズムは言葉にできない魅力がある。だけど、ここいらで組みたいなら、リズムを変えないと難しいぜ。ただでさえ俺たち亜人のリズムは少し特殊だ。只人のそれとは違うんだ」


「俺は俺のリズムに誇りを持ってる」


 ダオンはぶっきらぼうに答える。


「ああ。そうだろうな。だがな。この街では、只人に合わせて生きなきゃダメだ。いくら差別が少ないといっても、ここは只人のつくった街だからな。食いもんや礼儀だけじゃなく、音楽のリズムだって只人に合わせないと、つまはじきにされるんだ」



 彼なりにダオンを気遣ってくれたアドバイスだった。



「ま、頑張れや」


 そう言い残して龍人は背を向けた。



「ああ」


 ダオンは顔をあげて翼の生えた彼の背中を見送る。彼も自分の故郷のリズムを捨てたのだろうか。

 俺も自分のリズムを捨てて、この街に染まらなければいけないのだろうか。



 その時だった。



「今、演奏していたのはあなた?」



 突然、女の声が降ってきた。



 ダオンが振り向くと、細くて小さい只人の女が立っていた。


 映画から抜け出してきた女優のような、黒くて大きいサングラスをかけていた。

 多量の香水をまとっているようで鼻の効くダオンは顔をしかめた。


「とても素敵だったわ」


 彼女は自分をこの楽団のメンバーだと思ったのだろうか。


「あ、いや……俺は」


 ダオンが答えに窮していると、さっきまで背を向けていた只人の一人がダオンを押しのけた。


「そいつはどうもありがとう。俺たち、今夜あのハズランでやるライブに出るんだぜ。よかったら見にきてくれよ」

「えっと……。あら、ハズランって有名なバルの?」



「そうそう! 君みたいな綺麗な子が応援してくれたら、やる気出ちゃうぜ」



 頭上で交わされる軽薄な会話を聞きながら、ダオンは視線を落として太鼓の片付けを再開した。



「きみ、めっちゃ可愛いじゃん。どこ住んでんの? 教えてよ」



 どうやら、この只人の女は『美人』という枠組に分類されるようだ。


 たしかにポスターや雑誌で見かける只人のモデルは、この女のように細くてか弱い体つきをしている。

 獣人のダオンにとっては、つるっとした只人たちは皆同じように見えてしまうのだが。目の前の男たちは鼻の下を伸ばしている。


 なるほど、これが美人なのか。


 蚊帳の外でそんなことを思いながらダオンは立ち上がった。

 俺には関係ない世界だな。


 視線を落としたまま、その場から離れる。

 惨めだった。


 この街に来るまで、自分には才能があると思っていた。きっと、アルムウォーレンに来れば、すぐに人気になって、有名人になって、老舗のバルで演奏をしたり、様々な音楽家とセッションをしたりできると何の疑問もなく思っていた。


 あさはかだったのだ。



 所詮、自分はただの世間知らずで、世の中にごまんといる『自分に才能があると勘違いしている平凡な若者』の一人だったのだ。



 広場を出たダオンはあてもなく歩いた。


 街中、至る所に張り巡らされた水路がキラキラと陽の光を反射して眩しかった。ポケットに手を突っ込むと、いよいよ残りわずかになった小銭が虚しく音を立てた。


 これからどうしようか。もうヤパムネに帰る船賃もない。

 が、あれだけ見栄を切って出てきた手前、おめおめと逃げ帰るような真似もしたくはない。


 ダオンは肩にかけたドガムゴのケースに触れる。

 

 ……これを質に入れてお金を作れば、きっと数日分の蓄えにはなる。

 その間に、どこか雇ってくれる場所を探そう。俺は只人よりも身長も高いし体力や腕力もある。建築現場でも運送業でもなんでもいい。普通に働こう。そして、音楽のことはもう忘れよう。才能がなかったんだ。



 そんなことを考えている時だった。



「あ、いた!」



 背後から甲高い声をかけられた。

 顔を上げると、只人の女が肩で息をして立っていた。



「探したのよ」


 ダオンはキョロキョロと辺りを見渡した。


「あなたに言ってんのよ」



 ツカツカとヒールをならし歩み寄ってきた女は細い指先をダオンに向けた。ツンと鼻を突く香水の匂いで、ようやくダオンはこの女が公園で話しかけてきた女だと気がついた。


 只人様はツルツルしていて見分けがつきにくい。


「あなた、さっきの人たちの仲間じゃないの?」


「……いや、俺は違うよ」



 俯いたままダオンが答えると、女は細い腰に手を当てて少し体を傾けて、それから小さく頷き「なら、よかった」と微笑んだ。


 芝居がかった仕草。自分に美貌に自信のある者だけがする仕草。それはどんな人種の『人間』も変わらない。


「ねえ、あなた。さっきの演奏、もう一度聴かせてくれないかしら」


「俺の演奏を? どうして?」


「なんだか変なリズムだったから、ちょっと気になって」



 女の言葉でダオンは膨らみかけた期待がしぼんだ。



「悪かったな。どうせ俺はまともなリズムも刻めないよ。大陸の……あんたたち只人の音楽とは相性が悪いんだ」


「まって、ごめんなさい。そういう意味じゃないのよ。不思議なリズムでとても魅力的だったのよ」


「……どうだかな」


 ダオンはそっぽを向いた。この女の言葉を信じる気にはなれなかった。けれど、


「まあいいさ。演奏してやるよ。わざわざ追いかけてきて聞きたいって言われたのは初めてだし」



 女の言葉を信用はしていなかったが、魅力的なリズムと言われたのが少し嬉しかったのも事実だった。

 ダオンは辺りを見渡して楽器を演奏できそうな場所を探す。

 水路と平行した遊歩道にベンチが設置された少し開けた場所が見えた。

「あそこにしよう」


 ダオンは女を促して遊歩道に移動した。

 ベンチの前でダオンは肩に背負っていた楽器ケースを下ろす。

 ベンチに腰掛けた女の横でケースを開き、ドガムゴを取り出した。



「それ、太鼓なの?」


 サングラスの奥の瞳を丸くして女が訊いた。


「そうだよ。せっかくだからフルセットで見せてやるよ」


 ダオンは太鼓を並べながら言った。

 巨大なケースの中には大きさの異なる五つの太鼓といくつかの鳴り物が入っていた。


 ヤパムネ原産の大木の中身をくり貫いて、魔獣の革を張り付けたそれらの原始的な太鼓を木製の枠組みに嵌め込み、獣の皮を染めたストラップを取り付けて首からかける。

 ダオンの回りを太鼓が囲む形になる。


「すごい。それ、なんて名前の楽器なの?」



 女は興味津々といった様子でダオンの準備を覗きこんでくる。



「ドガムゴって言うんだ。ヤパムネ伝統の太鼓だよ」


「ヤパムネって?」


「俺の生まれた国さ。獄天魔大陸の東にある小さな島国だよ」


「へえ。そんな国があるんだね」


 自分の出身が小国だというのはわきまえているが、全く知られていないというのは寂しいものである。


「ねえねえ、それ全部を持って演奏できるの?」


「ああ。元々は地面に設置して使ってたんだけど、戦の時代に味方を鼓舞したり陣形を取るための合図に使ったりして、戦場を駆けながら演奏できるように改良したのさ。で、そっから首に掛けるようになったんだってさ」


「重くないの?」



 ドガムゴに興味が湧いたのか矢継ぎ早に質問が飛んでくる。


「ん? ははは。まあ、あんたたち只人にはとても持てないだろうさ。でも、だからこそ、良い音がするんだけどさ」


 ダオンはバチを取り出して、一番大きな太鼓を軽く打った。空気を揺さぶるような低音が響いた。


「良い音ね」

「だろ?」


 楽器を誉められてダオンは自分のことのように嬉しかった。

 軽くバチを握ったダオンはドガムゴを叩き始める。島の伝統的な民謡のリズム。ヤパムネ人なら体に染み付いているリズムだ。


 ダオンは軽妙なバチさばきで太鼓を打ち鳴らしながら、久しぶりに肩の力が抜けて演奏を楽しめている自分に気がついた。


 アルムウォーレンに来てからは只人に合わせようと肩肘を張っていた。


 目の前の女をちらりと見る。


 女はダオンの太鼓に合わせて小さく体を揺らしている。

 彼女もそれなりに楽しんでくれているようだ。よかった。


 くるくるとバチを回して演奏を終えた。


 女はぱちぱちと拍手をした。



「本当に面白いリズムね。拍子が読めないのに体は踊りたくなっちゃう。それに、さっき広場でやってた時よりももっとずっと良かったよ!」



「どうも島のリズムってこっちの人間には分かりにくいみたいなんだよな。俺もここに来て人間とセッションしてみて気がついたんだけど。どうも只人達と演奏すると合わないんだ」



「さっきの人たちとか?」



「うん。只人と龍人の混成楽団でさ、太鼓がいないって言うんで、試しにセッションしてみたんだけど、全然だめだった」



「それはあいつらがへっぽこだったからよ! あなたのせいじゃないわ」



 語気を強めて女が言った。



「お世辞はよしてくれ。あいつら、ここらじゃ名の知れた楽団なんだよ。演奏技術は定評がある」



「まあ、それなりに演奏は聞けたけど、あの程度の楽団じゃマジルキヨトじゃ通用しないわよ」



「……マジルキヨト? 君はマジルキヨトの人なのか?」



 ダオンが訊くと女は頷いて、少し辺りを気にするようなそぶりを見せて小声になった。



「わたし、シア・バンドネイラ。これでもマジルキヨトじゃ、ちょっとは有名な歌手だったのよ」



「マジルキヨトで? おいおいマジかよ。あんた凄い人だったんだな。でも、なんでそんな人がこの街にいるんだ?」



「ま、色々あってね」


 そう言ってシアは視線を落とす。


「あなたは?」

「俺?」

「名前よ。名前」

「あ、ああ。ダオンだ。ダオン・ドラン」


「ダオン。ねえ、よかったらわたしと組んでみない? あなたのリズムで踊ってみたいの」


「俺と? 組みたいと言って貰えるのは嬉しいけど……。その、もう音楽をやめようと思ってて」

「なんで? どうして?」


「実は……」



 ダオンは頭を掻いて、手持ちの資金が尽きてしまったということを伝えた。



「……だから、このドガムゴを売って、働こうかと思ってんだ」


「ダメだよ! せっかく面白い演奏するんだから、もったいないよ! ……って言いながら、実はわたしも財布を無くしちゃって一文無しなんだけど……」



 勢い良く否定しながら最後は口ごもる。



「あ、そうだ。それならさ!」



 シアがパッと顔を明るくさせて、懐から一枚の紙を取り出した。



「これ、出てみない?」



『ハズラン恒例、新人楽団発掘大会。優勝賞金一〇万ベル』



 チラシには老舗バルの名物イベントが銘打たれていた。



「ハズランって……この街では有名なお店だよね。これが?」



「だから、これにわたしと一緒に出ないかって言ってるの。ちょうど今夜なのよ。別所属同士の混成楽団ってのが条件で飛び入りも歓迎って書いてあるしバッチリじゃん。これで一〇万ベルを手に入れられたら、激アツだと思わない?」



「……あんたは優勝できると本気で言ってるのか?」



「シアでいいわよ。もちろん優勝する気よ」



「シア、そんなの無理だよ。もし仮に出るとしても練習時間がない」



「そんなことないわ。わたしはマジルキヨトで一番の歌手……まあ今はそんなに知られてないけど。で、あなたはヤパムネで一番の太鼓奏者……なんでしょ? 絶対いけるわ」



 ダオンは思わず吹き出してしまう。



「ああ。そうだ。そうだよ。俺の太鼓の腕はヤパムネ一さ。じゃあ、少し君の歌声を聞かせてくれないか。歓楽街マジルキヨトで一番の歌声をさ」


「ここで? ま、いいわよ。どんなのがいい?」

「なんでもいいよ。そうだな。明るいやつのがいいな」

「わかったわ」


 微笑んで背筋を伸ばしたシアは軽くストレッチをしてから、息を吸うと弾むような声で歌い出した。


 綺麗な声だった。

 元気で明るく楽しげな声。声量もいいし、歌い方に癖がない。

 まっすぐ歌詞が心に届くような歌声だった。


「……って感じ。ど?」

「す、すごいよ。本当にマジルキヨトの歌手なんだな……。びっくりしたよ」

「へへへ。まぁね。これでも抑え目に歌ったけどね」

「いまので? すごいな」

「じゃ出場することに決定ね」

 

 微笑んでシアはチラシを広げた。


「見てここ。持ち時間。10分以内だって。なら二曲くらいやればいいだけだから、複雑な練習はいらないでしょ。いけるわ。一曲はスタンダードなナンバーをやるの。この街の人間が誰でも知ってる曲がいいわ。『聖者の花束』くらいなら亜人のあなたも知ってるでしょ。それを歌うわ。リズムはあなたに任せる。あなたの島のリズムでやって。慣れ親しんだ曲を知らないリズムで奏でられるのって不思議な心地になるものだから、きっとみんなビックリするわ」


 シアは早口でまくしたてる。ダオンは「聖者の花束」のメロディを頭に浮かべる。

 亜人の彼でも知っているくらいの有名な童歌だった。


「で、一曲目が静かだから、二曲目は激しいのが良いかしら。曲は任せるわ。わたしはそれに合わせて踊るから」


 早口で次々とアイデアを出すシアの瞳は少女のように輝いている。きっと彼女はステージに立つのが好きで好きでたまらないのだろう。


「戦太鼓の曲で味方を鼓舞するためのやつなんかもあるけど」

「良いわね。聞かせてちょうだい」


 言われるままにダオンは太鼓を叩いてみせた。


「こんな感じ。ど?」

「うん! それでいきましょう! 決定ね。いいでしょ?」

「まあ、これでいいなら俺は楽だけど」


 シアはとびきりの笑顔でウインクをした。


「ありがとう。わたしはね。本当にあなたの奏でる音がリズムがとても良いと思ったんだよ。うまく説明はできないんだけど、マジルキヨトの音楽には無い何か大切なものがあると思うの。だから、一緒にやりたいと思ったの。よろしくねダオン」


 シアは握手を求めてきた。


「おだてるのもうまいな。ダメで元々だけど、やってやろう」

 ダオンが頷いて手を握るとシアはニカっと歯を見せて笑った。

「飛び入りの受付は夕方の五時。あと四時間あるわ。それまで、練習よ! わたし厳しいからね!」

「わかったよ。体力じゃ負けないから。シアこそ根をあげるなよ」

「望むところよ!」


 メラメラと瞳を燃やすシアにつられてか、ダオンの心にも何か熱いものがこみ上げてきた。

 馬鹿げた提案だけど、これにかけてみよう。

 ダオンはひとり心に誓った。




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