【黒い恋人】3/3
「じいちゃん、ごめん。起こしちゃったかな」
ミントが駆け寄る。老人は診察室の明かりが眩しいのか目を細めている。
「お前さんの楽しそうな笑い声が聞こえてな。こんな時間にお客さんかの」
「うん。急患でね。あ、サーヤさん。すみません。俺のじいちゃんでタイム・グレイスです。半分隠居してるようなもんですけど、一応院長です」
紹介を受けたミントの祖父はにこやかに会釈をした。
「夜分遅くにすみません。飼っている小龍が怪我をしてしまいまして」
サーヤは老人に向かって頭を下げた。
「ほう、今時珍しい。どれどれ。わしが見てやろうかの」
「じいちゃん。もう俺が診たから大丈夫だよ」
足を引きづりながら診察台に向かおうとするタイムをミントが優しくなだめた。
「そうかの。悪いな。お前にばかり迷惑をかけて。チャービルが生きてたらお前にも、もう少し楽をさせてやれたんじゃがのぉ」
「父さんのことは気にしないでよ。どっちにしたって俺が後を継ぐのは決まってんだからさ。安心して任せてくれればいいよ」
祖父の背中をさするミントの表情や優しい口調が、祖父に対して尊敬の念を持っていることを表していた。
「うむ。じゃが、少し見せておくれ。おお、これは
診察台の前でタイムの体が固まった。皺に埋もれかけた瞳の先にはジェットがいつも付けている首輪があった。
「この首輪は……もしや、この小龍はジェットではないか? ウェイのところのジェットではないか?」
初めて出会った老人が自分の祖母の名前を口にしたのでサーヤは驚いた。
「え、どうしておばあちゃんの名前を……」
「おばあちゃん……? まさかあんたは」
タイムが驚いた様子でサーヤに近づく。
「わたし、サーヤ・エンベローザと申します。祖母の名はウェイ・ベライトです」
タイムの瞳が大きく見開かれる。
「おお……、そうか。うんうん、よく見れば、あんたさん、ウェイにそっくりじゃ。そうか、ウェイにお孫さんが……」
「じいちゃん。彼女のおばあさんのことを知ってるの?」
「うむ。まあ……な。古い友人じゃ。遠い遠い昔のな」
遠い目をしてタイムは頷いた。彼の脳裏で若き日の祖母の姿が浮かんでいるのだろう。
「……十魔戦争の時、ウェイとわしは同じ隊にいたんじゃ。彼女は魔天楼閣という魔術学校のエリート魔術士でな。わしはまだまだ駆け出しの龍医じゃった」
タイムは懐かしそうに目を細めた。
「おばあちゃんが魔術士だったってのは聞いたことがありますけど……、エリートだったんですか?」
「ウェイは凄腕の魔術士じゃったよ。前線で大活躍しておって『
「おばあちゃんが……」
幼い日のおぼろげな記憶では、安楽椅子でニコニコしている祖母の姿しか思い浮かばず、サーヤは驚いた。
「ああ。その頃からジェットも彼女の使い魔として帯同しておったよ」
龍は寿命が長い。小龍でも四百年以上も生きるものもいるという。
そうか、ジェットはおばあちゃんと一緒に戦争に行っていたんだ。
「前線で戦うものじゃから、龍とて負傷することも多くてなぁ。このジェットもよくわしの所に連れてこられたもんじゃ。ほれ、この背中の古傷はわしが治療してやった痕じゃ」
懐かしそうに言うと横たわるジェットの背中を撫でる。
「敵の攻撃で隊は壊滅してな。わしは足をやられただけで済んだが、ウェイの消息はわからなくなってしまった。てっきりあの時に亡くなったもんじゃと思っていたが、生き延びておったとはな」
「そうだったんですか。わたしもあまりおばあちゃんの昔の話は聞いたことがないんです」
「戦争の話じゃからな。言いたくないことも山ほどあるじゃろう……」
その時、診察台の上のジェットがわずかに震え、ゆっくりと目を開いた。
「ジェット!」
「起きましたね。よかった」
サーヤが駆け寄りジェットを抱き締める。その様子を見ていたタイムが「おお」と声をあげた。
「そうじゃそうじゃ。あの頃もわしが治療を終えると、ウェイはそうやって駆け寄ってジェットを抱きしめたもんじゃ。ほんとにあんたはウェイにそっくりじゃ」
祖母に似ていると言われてサーヤは胸の奥が暖かくなった気がした。
「ほれ、その首輪を見てみい。魔石が嵌め込んであるじゃろ。それには魔力が込められていて鱗の強度を上げる作用があるんじゃよ。ウェイが傷の絶えないジェットのことを心配しておったから、わしがその首輪を付けてやったんじゃ」
「……あ、じいちゃん。昔聞いたことがあるよ。従軍してる頃に好きだった人に借金してまで古代の魔術具をプレゼントしたとか。もしかして、それがこの首輪なの?」
「ご、ごほん。そんな話をしたかの?」
「してたよ!」
「そうじゃったかのぉ。そんなこともあったかの」
タイムの目線がふわふわと泳いだ。サーヤはハッとした。かつて聞いた、祖母が若い頃に軍隊で一緒だった恋人というのは目の前の老人ではないか。
ミントはニヤニヤと頬を緩ませて祖父の過去を追求しようと意気込むが、タイムは視線をそらしてミントの言葉を避ける。
「……して、ウェイさんは、その、今もご健在かの?」
尋ねられてサーヤは少し戸惑った。この老人の中では祖母はまだ生きている。本当のことを伝えてもいいものか。その一瞬の逡巡を見抜かれた。
「もう、お亡くなり……か?」
「ええ。わたしが幼い頃に亡くなりました」
正直に答えると、タイムの表情が曇った。
「そうですか、惜しい方を亡くしましたな」
「ジェットはおばあちゃんからわたしが受け継いだんです。でも、珍しい龍だなんて今まで知らなくて……」
サーヤが打ち明けるとタイムは笑みを作り優しく頷いた。
「なるほど、ウェイらしいの。ヒミツ主義だったからの。じゃが、それでよかったのかもしれんな。こうしてジェットがあんたさんに大事にされとるならな」
「ええ。わたしにとってジェットは大事な家族です」
むず痒そうに体を揺すってジェットが身を起こした。サーヤは彼の顎を優しく撫でる。
「戦争を生き延びた龍は少ないからの。これからも大事にしてやってください。そして、ジェットはまだまだ若い。きっとあんたさんが年老いたときもそばにいるじゃろう。ウェイがそうしたようにジェットの世話を引き継いでくれる人をいつか見つけてくれたら、わしも嬉しいの」
おばあちゃんが私にジェットを託してくれたように、私もいつか歳を取って寿命が近づいたとき、誰かにジェットを託す時がくるのだ。そう思うと責任が肩にのしかかった気がした。けど、それがどこか嬉しかった。
それまで私もしっかり生きなければならない。
「はい。きっとそうします」
サーヤはしっかりと頷いた。タイムは優しく微笑んだが、その表情は少し寂しそうでもあった。
「後遺症は残らないと思いますが、一週間後に状態を見たいので、またつれてきてもらえますか?」
ミントが体を起こしたジェットを見つめて言った。
「わかりました。あの、それと……よければ、その後も、来てもいいですか。わたし、おじいさんのお話をもっと聞きたいんです」
サーヤは祖母の思い出やジェットの過去を聞きたいと思った。それにタイムも昔の話がしたいような雰囲気を感じた。
サーヤの言葉を聞いて、タイムの表情が明るくなった。
「おお、大歓迎じゃよ。隠居してから話し相手が少なくなって寂しかったんじゃよ。ミントはあんまり話を聞いてくれんしの」
「そんなことないでしょ。……でもサーヤさん。じいちゃんの話は長いし、おんなじ話を何度もしますよ?」
「いいんです。おばあちゃんからは昔の話って聞けなかったし、ジェットのことももっと知りたいんです」
「まあ、サーヤさんがそう言うなら……」
やれやれとミントは諦めたように笑った。
「おじいさん。わたし、すぐそこのレストランで働いてるんです。今度来るときは美味しいもの持って来ますね!」
「おお、そりゃ楽しみじゃ」
タイムは子供みたいに笑った。
「じゃあまた。ミントさんも本当にありがとうございました!」
サーヤがミントの手を取って微笑みかけると、ミントの頬が少し赤くなった。
「……医者として当然のことをしたまでです」
「ふぉふぉふぉ。ミントはいつまで経ってもオナゴには弱いのぉ」
「う、うるさいよ、じいちゃん」
ミントはプイッと顔を背ける。
「では、失礼します! ジェット。行こう」
支払いを済ませたサーヤは二人にお礼を言って病院を出た。
ジェットは胸のなかで丸くなっている。
白夜の街は眠りの中だった。
人通りは少なく水路に出ている船も少ない。
太陽はまだ水平線の辺りをうろうろしている。
「ジェット、大事に至らないでホントによかった」
サーヤは胸に抱えたジェットの頭をさする。ジェットは片方だけ瞳を開けたが、つんとすました顔で黙ってサーヤのされるがままにしていた。
「それに、あなたとおばあちゃんの昔の話が聞けて、ちょっと嬉しかったよ」
寝起きは悪いがなかなかの好青年であったミントや、自分の祖母のことを知っている老人に出会えたことも嬉しかった。
「ねえジェット。おじいさんが言ったように、わたしがおばあちゃんになっても一緒にいてくれる?」
サーヤは甘えたように囁きジェットの頭にこつんと自分のおでこをぶつけた。
いつもは無愛想なジェットが、ちらりとサーヤに瞳を向け、まるで頷くように首を縦に振った。
白夜の夜が明けていく。
過去から未来へ。
人々の日常を乗せてアルムウォーレンの新しい朝がまた始まっていく。
〈了〉
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