燦然世界 第6日
ジリリリリリリリリリ。
———五月蠅いなぁ……。
ジリリリリリリリリリ。
———五月蠅い……。
ジリリリリリリリリリ!
———五月蠅い!
騒音の元凶、スマートフォンのアラームを乱暴に止めた。毎朝八時にセットしているアラームは設定どおりに持ち主を眠りから覚ませてくれただけなのだが、今の自分はとてもじゃないが起きたい気分ではなかった。
顔を布団で隠し、暗闇に身を潜めた。目を閉じる。もう一度意識を無に溶かしたかった。何も考えたくなかった。指一本たりとも動かしたくなかった。
生きる気にも、ならなかった。
———このままここでこうしてジッとしていれば、昨日みたいに消えることができるのか?
———まぁ、今の状態じゃ目を開けても暗くて何も見えないか。
———俺の旅はここで終わりだ。
そのまま意識を無に委ねて、怒りも後悔も虚しさもすべて手放そうとしたとき。
『カチャッ』という小気味よい音がどこからか聞こえた。
それが部屋の扉の鍵が開いた音だと気づいたときには、既に扉を開けた当人が自分の包まったベッドまで接近していた。
「ナギ!」
「———ミコト、どうやって入ってきたんだ、鍵は?」
「フロントの人にマスターキー貸してもらったの。『連れが連絡しても部屋から出てこないんです』って言って」
「連絡?」
スマートフォンに腕を伸ばし、液晶の電源を入れてみた。
「………なにも通知来てないぞ」
というか、ミコトに電話番号やメールアドレスなんかを教えた覚えもない。
「ナギ、ひょっとしてこのままずっとこの部屋から出てこない気なんじゃないかと思って」
「別にそんなこと……」
「じゃあ、どうして布団から顔出さないのかな」
「………」
正直ミコトの顔を見ても、決して気分が良くなるとは思えなかった。一夜明けた今であってもだ。
「えいっ」
「あっ」
思案しているうちにミコトが布団を掴み、勢いよくひっくり返した。
彼女と目が合った。
昨日までと何ら変わらないその視線にどこか非難めいたものを感じているのは、きっと自分の一方的な思い込みなのだろう。
たまらず、目を逸らした。
「うぐっ」
しかし頭に大きな圧力がかかり、逸らした視線が再度ミコトに向けられる。そこで彼女が両手で自分の頭を掴んで無理矢理動かしたことに気付いた。
「ナギ」
「……なんだ」
「前にも言ったと思うけど、“外の世界”に行くか行かないかはナギの自由だよ」
「あぁ、分かってる」
「でも、ナギが行かないとしても、私は行かなきゃいけないの」
「え?」
ミコトは、笑っていた。昨日までと何も変わらない、屈託ない笑顔だった。
「だって、私帰れなくなっちゃうじゃん。“世界の果て”に行かないと」
「そうなのか?」
「そうなの。だからナギ、私を“世界の果て”まで連れて行って?」
「………」
***
「寄り道はもうしないからな。明日でこの世界が終わるって言うなら、今日のうちにある程度のところまでは行っておかないとどちらにせよゲームオーバーだ」
「うん、分かったよ」
俺は愛車にミコトを乗せ、やや悶々としたわだかまりを抱えながらもハンドルを握っていた。
———我ながらなんてお人好しだ。
たった六日で、ミコトに情でも移ったか。それとも中途半端なのが嫌いなのか。乗り掛かった舟というやつか。いずれにせよ、自分の気持ちもこの狭い世界も、ミコトにとっては無関係なのだ。
消える前にできる、最後の義理立てのようなものかもしれない。別にミコトに対して特別な義理を感じているわけでもないのに。彼女を元の世界に帰すことで、自分の存在や七日間しかなかった人生の意味でも見出そうとしているのか。
「ナギってさ、夢ってなんだっけ」
隣に座るミコトがそう尋ねてきた。前にも似たような質問をしてきた気がする。
「ない」
「私はあるんだ」
「聞いてほしいのか?」
「聞かれなくても勝手に話すつもりだったけど」
「じゃあどうぞご自由に」
「旅がしたい」
「———今してるのがそうじゃないのか?」
それもただの旅じゃなくて世界の壁を超える壮大な冒険を。
「そうかもね」と、ミコトは自嘲気味に笑った。
「いろんなもの、自分の目で見て、経験してみたいんだ。自分の足で歩いて、ナギみたいに車運転したり、電車乗ったり、飛行機乗ったりして。できるなら空の向こうの宇宙にだって行ってみたい。怖いこととか沢山あるかもしれないけど、それでも私はそんな生き方がしてみたい」
「随分と探求心旺盛だな」
その気持ちは、分からないこともない。自分も昔はそうだった。“昔”といっても、その過去や当時感じた思いも偽物らしいが。そのことを思い出すとまた言いようのない怒りが沸々と煮えたぎってきてしまう。
「外の世界に帰ったら好きなだけそうするといい。それなりに良い所だって、前に言ってたろ」
「……うん、そうだね」
「そういえば」
ふと、思ったことがあった。
「え?」
「ミコトにもいるのか?父親と、母親だったか」
ミコトが外の世界から来たというのなら、ミコトにも同じように親というものが存在するはずだと思った。もう“外の世界”へ行く気は失せていたが、親というものについて聞いてみるのも一興かもしれない。
「まぁ、いるっちゃいるかな」
「どういう人なんだ、ミコトの親は」
「お父さんは、よく分からない人かな」
「分からない?」
「熱いのか冷たいのか、楽しいのかつまらないのか、好きなのか嫌いなのか、顔に出てる感情と心で思っていることが一致してない感じかな。多分、本人もそういう気質には気付いてるんだろうけどね」
「なんというか、面倒くさい人なんだな」
「お母さんは、お父さんよりは分かりやすいかな。ちょっと態度が冷たいときもあるけど、根っこの部分は温かい感じ。良い人だよ」
「聞いた限りじゃどちらも面倒な印象しかないけどな。表と裏が一致しないんじゃ」
「人間なんてみんなそんなものだと思うけどね」
「面倒な人間は嫌われる。シンプルで分かりやすい性格の方が俺は好きだ」
自分で言ってそれが正確には違うことに気付く。面倒な人間が嫌われるのではなくて、人間自体が面倒なんだ。どれだけ真っ当に、正しく慎ましく身の丈に合った人生を過ごそうとしても、他人に邪魔される。
多分、それは“外の世界”へ行っても同じなのだろう。そこからやって来たミコトという面倒に、今もこうして巻き込まれているのだから。
「それ、ナギが言う?」
「なにが」
「ナギも大概面倒くさいタイプだと思うんだけどな~」
「……まぁ否定はしないよ」
「別にいいじゃん。面倒くさくても」
ミコトはどこか気恥ずかしさを含んだ声色で続けた。
「それが人間らしいってことだと思うな。私は」
「………」
———そう。だから俺は、人間ってやつが大嫌いなんだ。
———自分も含めて。
赤信号で一時停止したとき、何気なくフロントガラスの向こう側に見える空を見た。視界の七割ほどは青色で、それ以外は白色。アクセントをつけるように白ともオレンジともつかない光が差し込んでいる。つまり晴天。
「良い天気だね」
「そうだな」
「奇跡」
「随分と勝算の高い奇跡だ」
「確率の問題じゃないよ。もしかしたら、明日は空が真っ白になってるかもしれないよ?そう考えたら今の空が青いのだって奇跡だと思わない?」
「そういうのを詭弁とか極論とか言いがかりっていうんだよ」
「ご丁寧に三つも例示していただいてどうも」
ミコトは少しムッとした声でそう言った。
「奇跡は起こらないから奇跡って言うらしいが」
「なにそれ、現実的すぎ。起こる可能性があるから奇跡って言うんでしょ?世界や命だって、奇跡なしじゃ成立しないと私は思うな」
「?」
「私はそういう蘊蓄はないから詳しくないけど、世界とか命とか、そういうものが今在るのは“奇跡”って呼ばなきゃ説明がつかない気がするよ。偶然にしろ誰かが選んだにせよ、無数にあったはずの選択肢の中からたった一つ選ばれたものの積み重ねが今を創ってる。それを“奇跡”と呼ばないわけないと思うな。すべては“奇跡”なしじゃ成立しないんだよ」
人の出会いも含めてね、とミコトは言った。
結果が不幸なら、“奇跡”なんて起こらなければいい。昨日もそう思った。
すべては“奇跡”の結果。だというならば。
「その結果が良くないものだったとしても、それでもそれは“奇跡”と呼べるのか?」
「残念ながらね」
「それは“奇跡”じゃなくて単純に“不幸”と呼ぶ気がするけど」
「結果だけ見ればね。私が言ってるのは始まりというかそこに至るまでの過程の話かな」
「始まりが“奇跡”で終わりが“不幸”か。なんというか、人の一生みたいだな」
「終わりを“不幸”にしないために、人は生きるんだよきっと。努力して、足掻いて、誰かに助けられて、時に裏切られて、手にしては喜んで、届かずに嘆いて。生きるすばらしさっていうのはそこにあると思うな」
奇跡を不幸にしないために人は生きる。努力する。足掻く。誰かに助けられて裏切られる。手にして喜び、届かずに嘆く。
果たして今日までの自分は、そうやって生きてきたのだろうか。自分なりの信条や生き方を守るために生きてきた。それを自分が幸せなのだというのなら、きっとそのままで良かったのだろう。
このままこの世界と共に終わりを迎えることは、果たして自分にとって不幸ではないといえるのだろうか。
“外の世界”に行くことは、自分にとって不幸なことなのだろうか。
「でも」
「え?」
不意にミコトが口を開いた。
「そもそも奇跡を起こすためにはもう一つ、大事なものがあるかな」
「大事なもの?何?」
彼女は自分の顔を見て、フフッと笑った。
「ナギもきっと持ってるよ」
「?」
その後車を走らせながら延々と考えていたが、結局その正体には思い至らなかった。
***
「もう、世界が終ろうとしてるんだな」
「そうだね」
スマートフォンの時計が今も正常に機能しているのなら、今は夕刻のはず。西の空は見慣れたオレンジ色に染まっている。そこは変わらない。だがもっと身近な、たとえば今車を走らせている道から見える風景などは、ゆっくりと終わり始めていた。淡いオレンジに縁どられた白い光が至る所から立ち昇っている。果たして今この狭い世界で生きているのは、自分とミコト以外に何人いるのだろう。いや、もしかすると自分もこのまま目を閉じて思考を止めてしまえば一緒に空に昇っていけるのかもしれない。それをしないのはミコトを元の世界に返すという義理か意地かわからない思いが自分の中に残っているからなのだろう。
「一応今日が六日目だけど、本当に明日もこの世界はもつのか?」
「完全に消えるっていう意味では明日までもつとは思うけど、明日の二十三時五十九分五十九秒までもつかと言われたら微妙かも。私が知ってるこの世界に残された時間も凡その目安でしかないし」
「つまり、奇跡を信じるしかないわけだ」
「たとえば、ナギが恭介にお願いでもしてみれば少しは延びるかもしれないよ?」
互いの口癖を使った言葉の応酬に、俺たちは少しだけ笑った。
だが、あの恭介に神頼みならぬ親頼みをするのは自分のプライドが許さなかった。
「疲れるかもしれないけど、今夜は宿に泊まらずにこのまま目的地―――“世界の果て”だったか。そこまで一気に行ってしまおう。午前零時を過ぎていれば一応七日目になるんだから、文句ないよな?」
「そうだね、ゆっくりしてると道も無くなっちゃうかもしれないし。———ねぇ、ナギ?」
「なんだ?」
「どうしても、“外の世界”には行ってくれない?」
「………」
恭介と彩音。自分にとって親となる二人。二人が互いの絆を深める理由として造られたのが自分。他人の都合のために自分は造られて、ここに居て、二人のところへ行こうとしている。
———許せるわけがないじゃないか。
俺は俺のために生きる。
他人のために生きるのなんて御免だ。
--つづく--
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