幻想世界 ⑤
「———すけ。恭介!」
「えっ」
「もう、さっきから呼んでるのに。お昼。何食べたい?」
「あ、あぁ、ええっと、そうだな」
おそらくは電車か新幹線の中。他にもそれなりの数の乗客が乗っている社内で、恭介と彩音は仲良く隣り合う座席に座っていた。
恭介の方はといえば、『心ここにあらず』を絵に描いたような虚ろな表情で車窓の向こうの景色を見つめていた。
おそらくは二人で旅行中なのだということは容易に想像はつく。しかしその様相はお世辞にも楽しいものには映らなかった。きっと誰の目から見ても。
「彩音が食べたいものでいいよ」
「私も、恭介が食べたいものでいいんだけどな」
「じゃあ、リンゴとか。確か名産だろ?」
「名産ではあるけどお昼にリンゴってどうなの」
冗談ならまだ笑えるのかもしれないが、当の恭介の表情はまるで葬式の喪主のように冷え切っていた。
***
「良い天気だね、向こうの海岸線も綺麗に見えるよ」
「あぁ、そうだな」
場面はいつの間にか切り替わり、そこらの田舎町よりもさらに寂れた、畑や雑木林ばかりが広がるのどかな風景が広がっている。かろうじてコンクリートで舗装されている道の真ん中を、二人は車の存在を忘れたように堂々と歩いていた。
「あ、ほら見えてきた。菜の花畑」
「あぁ、綺麗だな」
「恭介って、花、好きだっけ?」
「人並み程度かな」
「ふぅん」
恭介の口から発せられた言葉は、その悉くが軽かった。いつも彩音の前で見せている言動も軽いが、今はそれ以上に軽い。言葉に“向かおうとする力”とでもいうべきものが欠けている。誰かの心に届く前に、空中で発散して消えてしまうようなイメージ。例えるならシャボン玉のよう。
「ねぇ、花畑バックにして二人で写真、撮らない?」
「写真?彩音って、SNSとかやってないだろ?」
「記念にだよ、記念に」
「まぁ、いいけど」
***
青い空。白い雲。視線を遠くにやればそこにはなだらかに聳える小高い緑の丘と、穏やかな風を受けて緩やかに回転する白い風車たち。それらすべてを埋め尽くさんとするかのように、一面に広がる黄色い菜の花の群れが足元からどこまでも続いていた。さながら黄色い巨大な絨毯だ。
「すごいね……」
「すげぇな……」
雄大な自然が織りなすその光景に、二人は圧倒されているようだった。
「あ、ねぇ見て恭介」
「ん?」
彩音が指さす先、黄色い絨毯の中にポツンとあったのは、『恋人の鐘』と看板が掲げられた小ぶりなベルだった。
「えっと、『カップルで一緒に鐘を鳴らすと幸せになれます』だって」
「鐘を鳴らすだけで幸せになれるのか。幸せって簡単に手に入るんだな」
「ねぇ、一緒に鳴らそうよ恭介」
「え?いや、やめとこうよ、他の観光客もいるのに。目立っちまうだろ?」
「えー、いいじゃん。せっかく来たんだからやっておこうよ」
「やめろよ!!」
恭介のその声は、きっと鐘の鳴り響く音よりもずっと遠くまで響いた。
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