幻想世界 ④

「じゃあ、旅行先はそこで決定ってことで」

「うん、分かった」


 いつだったか見た覚えのある部屋。恭介が住んでいる部屋だったはず。そこに今は恭介のほかにもう一人の姿が見える。彩音だ。

 彩音に椅子を譲り、恭介自身は一人用のベッドに腰を下ろしてなにやら話し込んでいる。


「私、あんまり旅行とかしないから楽しみ」

「彩音は意外とインドアだもんな。性格はそんな陰キャってわけでもないのに」

「乙女心は複雑なの」

「ようやく彩音の浴衣SSRが拝めるわけだ。あわよくばあんなことやこんなことも———」

「ないない」


 彩音はいつも通りどこか冷めた表情で珈琲の入ったカップに口をつける。表情は変わらないのに不思議と安心感というか暖かみのようなものを感じるのは彼女の気質がそうだからなのだろうか。


「でも、どうして旅行してくれる気になったの?昔は俺がデート誘ってもにべもなく断るレベルで取り付く島もなかったのに」

「まぁ、心境の変化ってやつだよ」

「へぇ~」

「なにそのにやけ面、なんか腹立つんだけど」

「別にぃ~」

「えいっ」

「ふにゃっ!?」


 彩音が唐突に恭介の両頬をつまみ、グイっと引っ張った。


「学級文庫って言いなさい」

「がっきゅー〇んこ」

「あはは!」


 そのままつまんだ手を上下に動かして遊び始めた。そこまで力は加えていないのか、つままれている恭介の方もまんざらではない様子で目が笑っている。


「私のこと、“好き”って言ってみて」

「しゅき」

「あはははは!」


 彩音はさらにひとしきり笑い、ようやく手を離した。手を離した後の恭介の両頬はほんのり赤く染まっている。


「いててて、ちょっと、彩音どうしたんだよいきなりこんなスキンシッ―――」


 そう苦言を漏らしていた恭介だったが、唐突に言葉が途切れた。

 その唇が、別の唇で塞がれていたから。

 十数秒ほどの短い時間だったが、恭介にとってはまさしく青天の霹靂、驚天動地とでも呼ぶべき出来事だったのだろう。彩音が顔を遠ざけた後も、その表情は完全に呆けていた。


「おまえ、急に、なに―――」

「心境の変化。こういうことだよ」


 彩音はもう一度身体を恭介に預け、両手を彼の背に回した。


「私達、キスするの初めてだったよね。恭介、優しいからずっと私に気遣ってくれてたんでしょ?」

「………」

「恭介?」

「………」


 彼女に呼びかけられても恭介は身じろぎ一つせず、複雑そうな表情でただ固まっていた。

 その顔には明確な動揺と共に、拭いきれない大きな不安が見てとれた。

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