幻想世界 ③

恭介きょうすけってさ、結婚願望あるんだっけ」


 件の彩音あやねという女性がそう恭介に尋ねたとき、当の恭介は盛大に噴き出した。二人そろってマスクをつけていたのでベンチで隣に座っていた彼女に唾がかからなかったのは不幸中の幸いか。

 よく見れば、二人以外の周りにいる人々も同じようにマスクをつけている。何か病気でも流行っているのだろうか。


「ど、どうしたんだよ急に」

「別に。そういうの、憧れてるのかなと思って」

「憧れているかと聞かれれば、憧れてるな」

「実際に結婚したいとは?」

「彩音と?そりゃあもちろん!そもそも付き合うときだって“結婚と出産と離婚を前提に”って話したしな!」

「勝手に過去を捏造するのやめて」


 シュッサンやリコンというまたしても聞き馴染みのない単語が出てきた。よく分からないが人生設計に関わることなのだろう。

 そして恭介はといえばいつも通りおかしなテンションで笑顔を見せているが、その表情にはどこか固いものを感じた。焦りや後ろめたさにも見える。


「ふぅん。でもどうなんだろうね。今のこの時代に結婚するのって」

「まぁ、言わんとすることは分かるけど」

「外を歩く子供たちがマスクつけて学校通ったり公園で遊んでるの見てると、不幸とまでは思わないけど、やっぱりちょっと悲しい気持ちになるしさ」

「そうだな、俺たちが子供の頃ってもっとこう、伸び伸びしてたし」


 どうやら、彼らがマスクをつけているのは何か社会情勢的な事情があるようだ。


「我慢しなきゃいけないことばかりで、人の顔色窺わなきゃいけないことばかりで、そんな時代に子供生まれてきたりしたら、幸せなのかな」

「………」

「———恨まれたりしないかな」

「子供に?」


 彩音は小さく頷いた。


「命は授かり物だけど、子供は親を選べないし」

「別にいいんじゃないの、無理にそういうことしなくても」

「え?」


 恭介はベンチから立ち上がり、彼女に背中を向けたままで続けた。


「恋人になったら結婚しなくちゃいけないなんて法律はないし、大人は全員親にならなくちゃいけないなんて法律もない。彩音が今はそうしたくないっていうならしなくていいんだよ」

「………」

「俺も、彩音がもう一緒にいたくないっていうなら何も言わないし」

「え」

「いや、俺は彩音のこと変わらず好きだけど。でも俺は彩音の意志をどうこう言いたくもないし強制もしたくない。彩音がそうしたいと思うならその意思を尊重してやりたいんだ。だから、もし彩音がそう思ったなら———」

「やめて」


 次いでベンチに座っていた彩音も立ち上がった。


「そろそろご飯食べに行こう。もういい時間だし」

「え、なに彩音。そんなに俺から離れたくな―――いってぇっ!?」


 二人は何やら小競り合いをしながらどこかへと去っていった。

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