燦然世界 第2日
「……———ギ、ナギってば!」
「っ、あぁ、ミコトか」
朝、目を覚ますと、そこには昨日まで知らなかったはずの顔。それが昨日出会った少女だと自分の頭が認識するのに、いくらか時間がかかった。そして、一夜が明けても彼女の姿が消えていないことが、自分の心を僅かに曇らせる。
「ほら、早くしないとホテルの朝ビュッフェ、食べられなくなっちゃうよ」
「分かった、支度するから廊下で待ってろ」
俺は彼女を部屋の外に追いやり、手早く朝の身支度を始めた。洗面所で顔を洗い、髪の寝癖を櫛で梳かし、履き慣れたジーンズと五分丈のビッグシルエットのTシャツに着替える。鏡の前には昨日までとなんら変わらない姿の自分がいた。
あと数日で世界が終わるとはとても思えないほど、いつも通りの自分が。
***
「俺は、これからどうすればいいんだ」
「私と一緒に、行ってほしいところがあるの」
「どこだ?」
「この世界の果て」
「は?」
「ここから外の世界に出るには、そこへ行くしかないの」
先日再会した後、今後のことを聞いた俺にミコトはそう言った。
「具体的に言うとどこだ?」
「んーと、地図ある?」
「携帯でよければ」
俺は携帯から地図を開き、彼女に手渡した。
するとミコトはある地点を指さす。
「ここ」
「ここは……」
ミコトが指していたのはこの島国の最北端にあたるとある岬。行ったことはないが、おそらく車で高速道路を走らせれば一日のうちに辿りつける場所だった。そのくらいこの世界は狭く、そして島内のインフラや生活は充実しているということだ。“世界の果て”と言えば聞こえはいいが、その程度。
「分かった。ならこれから車で一緒に行こう。夜通し車を走らせれば明日の朝にでも到着できる」
「え!それは、ちょっと困るかも」
「は?なにがだ?」
ミコトはバツが悪そうに頭をさすって視線を逸らす。
「えーと、そう、世界が終わる七日目に行かないと意味ないの。だからさ、いろいろ寄り道しながら行かない?」
「お前、ただ観光したいだけなんじゃないのか」
ミコトは何も答えず、しかしその視線だけはなかなかこちらに向けることはしなかった。
***
「ナギってさ、車の運転上手いんだね」
「別に、普通だろ」
「ううん、ブレーキかける時も丁寧だし、私が気分悪くならないように気遣ってくれてるんでしょ?」
「………」
———お前のためっていうか、自分のためなんだけど。
そう思いはしたが、言うとまたいろいろ騒がれそうだったのでやめておいた。
俺たちは昨日の夜に車で町を出て、現在ミコトの指示(というか我儘に近いが)に従って北上中。詳細は省くが元々金にはあまり困っていなかったし、もしミコトの言うことが本当ならあと六日でこの世界は終わるそうだから、今更貯金を崩すことにさして抵抗もなかったので、二人でホテルや旅館に泊まりながら“世界の果て”とやらを目指す予定だ。
ちなみに当のミコトといえば、一緒に“世界の果て”に行こうなどと言っておいて、一銭の金も持っていなかった。呆れて言葉もなかったが、もし彼女がこの世界の外から来たという話が本当なのだとしたら、仕方ないのかもしれない。
———“世界の終り”。“外の世界”。本当なのか?
昨日自分の街の人たちが不自然なまでに消失するという現象に立ち会ってはいるが、それでも俺は心のどこかでそれを信じ切れずにいた。現に昨夜泊まったホテルや周辺の街には普通に人も車も沢山通っていたというのもある。
「あっ、見てナギ!あれ海かな?」
「いや、あれは湖だ。昨日見た地図の通りなら」
「へぇー、湖にしては広いんだねー。向こう岸が見えないよ。あ、フェリーだ」
助手席に座るミコトは車の行く先々で見る景色に目を輝かせている。自分も車をこんな遠くまで走らせることはあまりないから新鮮ではあるのだが。なにぶん運転中だとなかなか車窓に映る景色に没頭するのは難しいのだ。
「ねぇ、窓開けていい?」
「ご自由に」
ミコトが助手席側の窓を開ける。同時に、気持ちのいい風が入り込んできた。今は湖沿いの道を走っているわけだが、湖も海と同じで風が強かったりするのだろうか。地理は高校の頃毎回赤点だったからよくは知らない。覚えていることと言えばクラスの男子たちが外国のとある湖の名前にソワソワしていたことくらいだ。
信号で一時停止したタイミングで、左手に広がる湖に目をやってみた。今日は日差しが高い。湖の水面にキラキラと日の光が反射していて、こういうのを心が洗われる景色というのだろうか。単純に美しい。
“外の世界”にも、こういう景色はあるのだろうか。
「ナギ、どうしたの?」
「え」
「そんなに私を見つめて。やっぱり私のことが気になるの?」
「は?」
ミコトは何やら口元を手で押さえてモジモジしている。明らかに自分をからかっていた。
「いやぁ、私って罪な女だね」
「湖を見てただけだよ」
「挙式は洋風和風どっちにする?」
「意味は分からないが、多分恐ろしいスピードで誤解してるな。俺の話聞いてもらっていい?」
「そっちはちゃんと前を向いた方がいいと思うよ」
いつの間にか信号は青になっていて、後ろの車にクラクションを鳴らされた。
よりいっそうミコトのことが嫌いになった。
***
正午過ぎ。俺たちは道の駅に車を止め、昼食をとっていた。この地方は蕎麦が名物らしい。どうでもいい話だが俺は二十歳のこの年齢になるまで「蕎麦湯」なるものを理解していなかった。元々外で蕎麦を食べたことがあまりないというのもあるかもしれない。インスタントで家で手軽に食べられるものをわざわざ外で高い金を払って食べるということがどうにも腑に落ちないのだ。味や素材に程度の差こそあれ、どちらも蕎麦であるなら自分はコスパの良い方を選ぶ。人と関わらずストレスを溜め込まない合理的な生き方というものを身につけた自分だが、人生だけでなく食生活にもそういうものが現れてしまっているのかもしれない。
「なぁ、ミコトの言う“外の世界”には何があるんだ?」
「何があると思う?」
「質問を質問で返すのが好きなんだな、キミは」
「謎めいてる女の子は魅力的って言うでしょ?」
「そんなことはね、もう本当にどうでもいい」
「あー、傷つくー。ナギって本当に冷たいよねー。ある角度で見れば顔は悪くないのに」
「褒めてるのか貶してるのか分からないけど、とりあえず女性に好かれたいとかそういう願望はないから大いに結構」
「えーどうして?」
「「面倒くさいから」」
自分の返事とミコトの言葉が被った。
直後ミコトがクスクスと笑う。
「なに笑ってるんだよ」
「ううん、あんまりにも予想通りの答えだったから。自信はなかったけど奇跡的に当たった」
「可愛くないヤツだな、本当に」
「でもどうしてそんなに人付き合いしたがらないの?何かトラウマでもあったり?」
「別にそんな重い過去なんてないよ。友達だっていないわけじゃないし。ただ誰かと一緒にいる“楽しさ”よりも、一人でいる“気楽さ”の方が自分にとっては大事だってだけの話。たとえば、大学のサークルで良く知らない先輩後輩の混じったメンバー数十人の飲み会に参加するよりも、仲のいい友達数人と飲みに行く方がなんとなく安心するって人の方が多いだろう?それと同じだよ」
「家族とは?」
「カゾク?パートナーのことか?」
生計を共にする男女(同性も可)のことをパートナーとここでは呼んでいるが、外の世界では呼び方が違うのだろうか。
「あぁ、まぁそんなとこ」
「いらない。さっき言ったのと同じだよ。誰かと一緒にいる楽しさより、一人の気楽さの方が心地いいんだ」
「ふぅん」
ミコトはつまらなさそうに蕎麦を啜る。とりあえず言い分は分かったが理解はできない、という感想が顔に書いてあった。
———まぁ、別に誰かに分かってもらいたいわけじゃないし。
「というか、最初の質問。“外の世界”には結局何があるんだ。キミは“外の世界”に俺を連れていくとか言っていたけど、外がどういう場所なのかキミは知ってるんじゃないのか」
「まぁ、知ってるけど」
「教えてよ」
「どうしても?」
「どうしても」
「楽しいよ」
「楽しいところなのか?」
「うん、私から見るとだけど」
「主観的な意見よりは客観的な意見を聞きたいんだけどな」
「仕方ないよ、世界は誰のものでもないんだし」
「突然何を言い出すんだ」
「いや、そのままの意味だよ。あれ、もしかしてナギって世界征服が夢だったりした?そしたらごめんね」
「いやそういうわけじゃないけど」
「世界っていうのは、誰かと分かち合うものだって話」
ミコトはどこか神妙な顔でそう言うと、残っていた蕎麦を口に運んで、さっさと蕎麦湯を作り始める。
世界は誰かと分かち合うもの。理解はできるが、あまり納得のいかない思想だと思った。
「納得いかないって顔してるね、ナギ。口数は多くないくせに顔に出やすいのかな」
「ストレスを溜めこまないようコンスタントに発散していると言ってほしいね」
「なにそれ。でもまぁ、ナギが思うほど悪い場所じゃないと思うよ。ここの外は」
「誰かと分けるってことは、少なくとも人は住んでるんだよな。現にキミもそこから来た」
「あー、そうだね。人は普通に住んでるよ」
「ここよりも、数は多いのか?」
「そうだね、ここよりも多い。それは確実。あとここよりも外はずっと広い。それも確実」
「人が多いのは嫌になるけど、世界が広がるのは割と良いかもな」
「ナギって結構アウトドアなの?車の運転も得意だよね」
「まぁ、家でジッとしているよりは外に出ている方が好きだな」
「なんだかチグハグだね。普段の性格と行動が上手くかみ合ってない感じがするよ」
「キミが俺の何を知ってるって言うんだ」
少しムカついたので俺は一旦そこで会話を止め、皿に残っている蕎麦をいくらか箸でつまんで口に運んだ。美味い。見知らぬ場所でその土地の食を堪能するというのも旅の醍醐味の一つだろう。
「知らないけど、知ってるよ」
「は?」
「キミのこと、私はまだ全然知らない。でも、キミのこと知ってるよ」
「矛盾してないか、それ」
「そうかもね。えへへ」
「何がおかしいんだ?」
「別にー」
それっきりミコトは口を開かず、こちらが料理を食べ終わるのを待つようにゆっくりとしたペースで蕎麦湯を飲んでいた。
とりあえず、“外の世界”にも人はいて、ここよりも広い土地が広がっているらしい。ミコトからすればそこは楽しい場所らしいが、実際のところどうなのだろう。
***
「あ、見て見て。飛行機雲」
「ん?あぁ」
時刻は十八時を過ぎた頃。昼食を終えた後ずっと車を走らせているが、今日はこのあたりの街で宿を探すことになりそうだ。
「随分山間まで来たんだね」
「そうだな、そもそもここは海に面した土地じゃなくて内陸だし」
「山も嫌いじゃないけど、どちらかというと私は海の方が好きかなー」
「どうして?」
特に興味はなかったが、とりあえず聞いておいてやった。
「広くて大きいじゃない?綺麗だし」
「そうか。俺は海は嫌いだ」
「カナヅチ?」
「そういうわけじゃない、泳ぎはできる」
「じゃどうして?」
「同じ理由。広くて大きいから嫌いだ」
「なにそれ」
ミコトは笑った。運転の合間にちらりと見たその顔は夕日に照らされていて、眩しかった。それは自分に、いつだったか外の世界に憧れていた頃を思い出させる。外の世界も、同じように眩しい存在だった。
「この世界は、海に囲まれた牢獄みたいなもんだから」
「ふーん、ならよかったじゃん。いま私が脱獄の手引きをしてあげてるんだから」
「まぁ、俺はここでの生活に満足してるんだけど」
「えー、じゃあ何?ナギは外の世界に行きたくないの?」
「行きたくないわけじゃないけど、ここも捨てたもんじゃないって話」
「この世界と心中したいって?」
「さぁ。そもそも、たとえば住んでる世界が仮に明日滅びるとして、それをどうこうできる人間なんて本来一人もいないはずなんだ。世界の終りが人為的なものでない限りは。俺も、もしキミと出会っていなかったら、何も知らないままこの世界と一緒に静かに終りを迎えてただろうし。偶然キミと出会って、偶然外の世界に行けるってことを知らされたから今こうして一緒に車を走らせてる。それだけだよ」
「偶然じゃなくて奇跡なんだって」
「はいはい」
どうもメルヘンな表現にこだわりがあるらしい。まぁ確かに、一億以上いるこの世界の住人の中で自分がミコトと出会う確率を考えたら、奇跡なのかもしれないが。
「まぁ、ナギが外の世界に行きたくないっていうなら、私も強制はできないけど」
「なんだ、そこは汲んでくれるんだな」
「選ぶのはナギだよ。まぁ、あと五日あるし、ゆっくり考えればいいんじゃない?私は分からないけど、この世界と一緒に消えるのも、多分痛みとかそういうのないだろうし。安楽に逝けるよきっと」
「なるほど、それは魅惑的な響きだ」
世界の終りと外の世界。自分にとって幸せなのは果たしてどちらなのだろう。そもそも、自分はこの先も生きていたいと本当に思っているのだろうか。
何のために自分は生きているのだろう。情熱を傾けるものも大層な人生設計もない自分が、この世界の他の人々を差し置いてまで外の世界で生きる資格が果たしてあるのか?
———分からないな。
とりあえず、世界の終りまであと五日。
--つづく--
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