想い続ける限り②

 堕ちていく。


 セレスを救いたい。その一心でここまで来た。


 その願いは届かず、首を切られ、神名を斬られた。


 ただ一人の家族が目の前で散っていった。


 わかっていたことだ。いつかこうなる。自分の力が及ばなければ避けられない結末。


 少なからず覚悟していたはずだった。


 甘かった。覚悟が足りなかったのではない。


 どれだけ覚悟したところで、そもそも自分はこの現実を受け入れることなどできなかったのだ。


 忌避していた未来、恐れていたことが現実となって、この絶望を飲み込む強さは自分にはない。


 絶望は憎しみに変わり、妹に引導を渡した戦女神ウォルシィラに向いた。


 残された左腕で法衣にしまっていたチェーンの束を引き摺り出す。それにはいくつものプレートがついており、それらから無数の武器が顕現する。


 剣や槍などの原始的な武器。銃器や大砲などの銃火器。さらには兵器と呼べるものもある。


 それらは全て〝兵装製造〟ファクトリーが作り出した術式兵装。


 妹を奪われた怒りをそれらが代弁する。


 しかし数多の火力にさらされるウォルシィラに焦りはない。


 漆黒の大鎌が鳴れば、それら兵装はただの鉄塊となり、鈍色の刃によって鉄屑に成り果てた。


 手持ちの術式兵装を全て破壊されてなお止まることができない。


 この憎しみを向けるべき正しい対象がわからないまま、最も向けやすい相手に向けることをやめることができない。


 障壁で足場を作り、胸に渦巻く悲憤が命じるままに特攻を仕掛けようと身体が動く。



「落ち着きなさいよ」



 それをアルフェリカに制止された。残された左腕を掴み、引き止められる。



「……止めないでくれアルフェリカ殿。わかっている。わかっているのだ……」



 心が吐血している。



「私に怒る資格がないことも……憎悪に身を焦がすことが許されないことも……しかし、しかしどうしても抑えられないのだっ。私から家族を奪った神がっ」



 ずっと救いたかった妹が血に塗れた。それをやった神の姿をアーガムは涙を流しながら睨みつける。



「止めるわよ。ちゃんと最後まで見なさい」


「――え?」



 その言葉の意味を理解できなかった。それに対してアルフェリカが指を差す。


 足元のさらにその少し下。同じように障壁を足場にする輝が立っていた。


 眠るように目を閉じるセレスを抱きかかえて。


 その身体から極彩色の粒子が立ち昇っていた。


 それが何を意味するのかを知っている。『魔導連合』で散々見てきた光景だ。


 転生体が死に、魔力素結晶石ころとなるときのきらめき。


 こう言うのか。救いたかった妹がソレに変わり果てるところを目に焼き付けろ、と。


 それはあまりにも残酷ではないか。



「嗚呼、なるほど……」



 これは断罪なのだ。自分はアルフェリカに許されてなどいなかった。


 彼女に騙し打ちを行い、日常を奪って苦しめた。


 だから自分も騙されて奪われたのだ。


 自業自得であり因果応報というものだ。


 これが自分の結末なのだ。


 焼き討ちで両親を失い、泥水をすすりながら生きて、神からセレスを救うことだけに心血を注ぎ、そのために多くの人間転生体を実験動物として扱い、それでもなお届かず。


 最後には自身が苦しめた者の手によって終止符を打たれる。



「これで、貴女の気は晴れましたか……?」



 アルフェリカは顔をしかめた。心底気に入らならそうに。



「やっぱりもう一発殴ってやるわ」



 その言葉通り、頬を衝撃が貫いた。反動で身体が投げ出されて重力に引かれて落ちていく。


 そのまま地面に頭を打ちつけて死ぬことができたらどんなに楽だっただろう。しかし死ぬことはできず、代わりに背中を強く叩きつけた。


 肺の空気が押し出されて激しく咳き込む。涙が出たのはただの生理現象だろう。


 滲んだ視界の向こうで蒼眼に見下ろされていた。どうやらすぐ下の輝のところに落とされたらしい。


 セレスの死に際を近くで見ろということか。本当に容赦のない。


 あるいは感謝しなければならないのかもしれない。


 散々不幸を撒き散らしておきながら、何も成すことができなかった自分が、セレスを看取ることだけはできる。


 輝に抱きかかえられ、ぶらりと垂れ下がったセレスの手を握った。


 最期に触れたくて。



「兄、さん……?」



 寝起きのような声。ゆっくりと開かれたまなこが手を握る兄へ向けられる。



「セレ、ス?」


「兄さん!」



 アーガムの姿を認めるとセレスは仰向けのままの兄に飛びついた。そして右腕の大怪我に気がつき、泣きながら慌てふためいた。



「兄さんっ、右手が!? 大丈夫……なわけないよね!? 痛いよね!? は、早く止血しないと!」



 狼狽しながら自分の衣服を破いて必死に止血をしようとするセレスの姿に、アーガムは傷を触られる痛みも忘れて目を白黒させた。



「な、ぜ……?」



 状況が飲み込めない。


 セレスの身体から立ち上っていた極彩色はいつの間にか消えている。


 セレスは首を切られた。神名を斬られた。


 見間違いではない。実際に首の神名には裂傷があり、流血の跡がある。


 人間としても転生体としても、どちらも致命傷のはずだ。


 それなのにどうして?



「よっと、どう? うまくいった? 頸動脈は避けたはずだけど」



 漆黒の大鎌を肩に担いだウォルシィラがそんなことを言いながら近くに跳び移ってきた。



「その様子だとうまくいったみたいだね。よかったよかった」



 セレスを見て満足そうに頷くウォルシィラ。戦闘の緊張が解かれ、他の面々も集まってきた。



「輝殿……これはいったい……?」


「『神葬霊具』でテンプスだけを殺した。それだけのことだ」


「ばかな、そんなこと――」



 できるはずがない。



「前例ならここにいるでしょ」



 アーガムの否定をアルフェリカが否定した。


 神名に深い傷を負いながらも存命している転生体。


 それがアルフェリカであることは確かに知っていた。しかしどうしてそうなったのかまでは知らなかった。



「『神葬霊具』は神を殺すための術式兵装。そして〝戦女神〟ウォルシィラの『神装宝具』はこの世全ての武器を使いこなせるもの。ここまで言えばわかるでしょ?」



 『神葬霊具』を使いこなすことができれば転生体を生かし、神だけを殺すことができるということ。


 そして神名を傷つけられたにも関わらず、セレスの自我があり存命だということが、その推測が事実であると告げている。



「神が死んだ以上、もうセレスが神に奪われることはないわ。喜びなさい。セレスは救われたのよ」


「そうだよ、兄さん。私の中にテンプスはもういない」



 呆けるアーガムをセレスがそっと抱き締めた。



「ありがとう兄さん、今まで頑張ってくれて。ごめんね兄さん、今までしたくないことをさせてしまって。もう苦しまないで。もう自分を責めないで。兄さんが背負うことになった十字架は私も一緒に背負うから」



 セレスの声を聞いて、セレスの温もりを感じて、知らず涙が溢れた。


 ずっと、ずっと求めていたのだ。セレスを神から救う方法を。大切な家族ともう一度暮らす未来を。


 何をしても。どんなことをしても。誰を貶めようとも。そのことに苛まれようとも。


 どんなに苦しくとも耐えて、それだけを目指してきた。


 報われたのだ。望みが叶ったのだ。


 セレスは救われた。


 三年間、荒野を放浪し、五年間、苦しみに耐えた。


 二人はようやく解放された。

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