傍に居たくて⑧

 猛々たけだけしい力の奔流が数十メートルもの地盤を突き穿ち、地上に激震をもたらした。破壊の衝撃は広範囲に及び、大質量の岩石が土砂と共に落ちてくる。


 当然、その真下にいた輝たちは崩落に巻き込まれることになり、レイの障壁で圧死を免れたところで生き埋めは逃れられない。


 そうなるはずだった。



「ここは……」



 気づけば荒れた大地が広がっていた。見上げれば星々が浮かんでおり、ここが地上だということがわかる。


 アルフェリカ、レイ、夕姫、イリス、アーガム、そしてセレス。誰一人欠けることもなく、傷を負うこともなく、無事この場に揃っている。


 セレスの身体に刻まれた神名が激しく明滅しているという一つの異変を除き。



「私の……神の力で皆さんを都市の外に転移させました。私に宿る神はそういう力を持っていますから」


「……なぜだ」



 アーガムは悲痛に顔を歪ませて妹の肩を掴んだ。



「だって、兄さんが死んじゃうのは嫌だったから」



 もしあのまま生き埋めになっていたら、おそらく脱出はできなかった。頭上に降り積もった瓦礫を撤去しながら遠い地上を目指すのはこのメンバーでも困難を極める。



「兄さん、いままでありがとう。私のためにいっぱい頑張ってくれてありがとう」


「何を言って……」


「私が今日まで生きてこられたのは兄さんのおかげだよ。お家もなくなって、お父さんとお母さんも死んじゃって、泣いてばかりだった私を兄さんは励ましてくれた。何もできない私の代わりに頑張って働いて、食べ物を買ってくれた。寂しくて夜泣きしてたら添い寝してくれたし、風邪を引いたときはずっと看病してくれた」



 ぽつりぽつりと言葉にされる過去は辛さの方が勝るはずの時間。



「魔術の勉強も頑張って術式兵装なんてものまで作れるようになって、兄さん言ってくれたよね。神名を封じ込める術式兵装を作ってやるって。そう言ってくれて本当に嬉しかった」



 それすらも懐かしい思い出であると、セレスは儚く微笑みながら思い返す。



「兄さんは私のために頑張ってくれてるのに、私は何もできないままでいるのは苦しかった。だから『魔導連合』の人が来たときに持ちかけたの。私が実験体になることと引き換えに、兄さんの研究を全面的にサポートして欲しいって。世界最高峰の魔術機関と言われる場所なら、きっと兄さんはすごい人になれると思ったから。私だけじゃない。世界中の人を助けられる魔術師になれると思ったから。〝第零階級魔術師〟アインメイガスになった兄さんならそれができるよ」



 紡がれる言葉の中には感謝と離別の思いが込められており――



「ありがとう兄さん。ずっと守ってくれて。ずっと愛してくれて」



 声を震わせて、涙を湛えて、それでも微笑んで。


 愛する兄アーガムを抱きしめて。



「じゃあね」



 祈るように別れを告げた。


 アーガムが何かを口にする前に、セレスは彼を突き飛ばした。



「アルフェリカさん、黒神さん、わがまま言ってごめんなさい。どうか、兄さんをよろしくお願いします」



 それが最後の言葉になった。


 セレスの身体がいっそう強く発光して、瞬きの間だけ視界を塗り潰す。



「別れの挨拶は済んだな?」



 セレスの声でセレスのものではない言葉が紡がれた。



「セ、レス……?」


「その娘はもういない。我が名はテンプス。空間と位相を司る神である」



 かざされた手がアーガムもろとも輝たちを殺そうとしていた。



「妹離れのときだ。だが慈悲として、その悲しみも絶望も、すぐに無に帰してやろう」



 周囲の空間が捩れ歪んだ。レイが【対魔障壁】アンチ・マジック・シールドを展開したが、まるで意味をなさず、障壁ごと歪曲が進んでいく。


 効果範囲から離脱しようにも手遅れだった。



「本当に、この世界は嘘つきばかりね」



 ため息交じりの声と共に、白銀の刃が歪みを斬り裂いた。



「空間ごと我が術式を斬っただと? 貴様、何者だ?」


〝断罪の女神〟エクセキュアの転生体――アルフェリカ=オリュンシア」


「っ!?」



 名乗りを聞いた瞬間、テンプスの表情が強張った。転移で上空へと逃れ、先程とは比べ物にならない規模の歪みを空間に及す。


 それすらもアルフェリカは容易く斬り裂いた。



「弱いわね」


「くっ、なぜだ!? 覚醒したてで思うように力が制御できないとはいえ、なぜ我が力がこうも容易く……」


「さあね。心当たりは三つくらいあるけど」



 歪む空間を一閃。



「一つ目は〝断罪の女神〟の力が単純にキミの力よりも強いから」



 続けて歪む空間をさらに一閃。



「二つ目はその腕輪ね。ある程度神名を抑えられるなら、神の力も抑えられるんでしょ。あたしの力も似たようなもので抑えつけられるほどだもの」



 空間が歪む度に、それが何か現象を発現させるよりも速く【白銀の断罪弓刃】パルティラが切り裂いていく。


 誇りですらある自身の力が通用しないことにセレスの顔が憤怒と焦燥に歪む。



「三つ目は――セレスがキミに抗っているからよ」



 そのアルフェリカの言葉に、ずっと俯いていたアーガムが顔を上げた。


 再び空間が歪んだ。しかしそれはアルフェリカたちが立つ場所から離れた場所。そこにあった巨岩の一部が、まるで見えない顎に食い千切られたかのように消失した。


 明らかに狙いを外した攻撃。



「キミたち神が身体を奪おうと、あたしたちの意志までは奪えない。その気になれば、身体を動かす邪魔くらいはできるのよ」


「そのようなことができるはずが――」


「あたしはできた。あたし以外にもできる人間がいたって不思議じゃない。ましてやその子は子なんだから」



 それは確信に満ちていた。



「じゃなきゃなんて口にするはずないもの」



 それは絶望に染まるアーガムに希望を与えるに十分な言葉だった。



「……そうか。セレスは、まだ諦めていないのだな」



 嘘を見抜く〝断罪の女神〟が告げるのであれば、それはきっと信じるに足る希望だ。


 諦め切れぬなら手を伸ばさずにいられるはずがない。



「妹が未だ抗っているのならば、兄である私が見ているだけなどあってはならない」



 滑稽などとは輝は思わない。


 それこそが人間の強さ。たとえ妄執に等しい小さな希望であったとしても、それを掴み取るために立ち上がることができる種族。


 人類を滅ぼそうとする神々がいる中で、助けたいと思わせるに足る力強さ。


 友好神と呼ばれる神々が魅せられた在り方なのだろうから。



「手を貸してあげるわ。セレスには借りがあるから」


「なら俺も手伝ってやる」



 アーガムを一番憎んでいるはずのアルフェリカがそう言うのであれば、輝が是非を問うことではない。彼女を守るために手を尽くすだけだ。


 レイたちも頷いた。



「……感謝する。アルフェリカ殿、黒神殿、お嬢様方も」



 言葉を詰まらせるもそれは一瞬。アーガムは天空に浮かぶ妹の姿を毅然と見上げた。



「お前を無力化する。どれほどの時間を費やそうとも、必ずお前からセレスを取り戻してみせよう」



 アーガムの宣言はテンプスにとって侮辱に他ならない。


 テンプスは空間を引き千切って腕輪を破壊。


 抑えつけられていた力が解放され、可視化された魔力が暴風となって吹き荒れた。



「人間風情が調子に乗るな!」

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