傍に居たくて⑦

 〝原初の神〟ウィゼル・アイン。そう呼ばれる神がいる。


 世界創生と同時に生まれたとされる神。宇宙を創り、星々を創生し、そして神すらも生み出すことが出来るとされる。不老にして不死にして不滅。全能の力を以ってあらゆるものを支配するすべての母たる存在。


 その神を見た者はいない。その神の存在を証明した者はいない。あまりにも荒唐無稽で理解不能な力を持つ存在であるが故に、その存在を信じる者は少ない。


 概念だけの存在。


 しかしそれと同じ名を持つ少女が纏う空気は、その存在を信じてしまいそうになるほどに異質で不気味だった。



「そう身構えるでないと言うておるのに。〝原初の神〟ウィゼル・アインと言っても余がそれであるわけなかろう。『魔導連合』総帥が名乗ることを許される称号みたいなものじゃよ。余の力などたかが知れておる。完全に名前負けしておるわ。ほっほっほっ」



 容姿に似合った無邪気な笑顔を浮かべた。



「汝らのことはすでに知っておるよ。レイ=クローク、神楽夕姫、イリス=ファーニカ、そして――」



 再び扇で口元を隠し、妖しい光を放つ双眸が輝を見つめた。



「『ファブロス・エウケー』国王、黒神輝ブラックゴッド



 紅い瞳に捉えられただけで背中がじっとりと汗ばむ。このような感覚を人間から受けたことなど生まれて此の方一度もない。


 他の者たちも動くことも声を発することもできずにいる。


 この少女が人間かどうかも疑いたくなる。



「無用な心配をしているようじゃな。ならばこれを見よ!」



 ウィゼルは突然衣服を脱ぎ捨てた。輝たちに肌を晒し、仁王立ちしながらそのすべてを見せつけてくる。



「ほれっ、見よ! どこにも神名はないぞ! これで余がただの人間であるとわかるであろう! なんなら気が済むまで見て触れても構わんぞ! 余の玉体を好きなだけ堪能するが良い!」



 少女の奇行に対して、平時なら多少なりとも困惑するところだが、今に至ってはそんな余裕はなかった。


 少しでも安心できる要素を見つけたい。


 無意識下でそんな考えが働き、輝は少女の全身をくまなく観察する。


 顔、首、胸、腕、腹、足、背中に至るまで、目視で神名は確認できない。魔術で隠蔽している様子もない。


 いつもなら「なに女の子の裸を凝視してるんですかこの変態!」とか言って襲いかかってきそうなイリスですら、顔を強張らせたまま何も言えずにいた。


 神名がないという事実があっても少しも安心ができなかった。この少女が得体の知れない何かではないかという疑念がどうしても拭い去れない。



「もう良いのか? 神名の確認にかこつけて出来ることもあろうに。まあこの身体では物足りんかも知れんがの」



 誘惑するようにしなを作るが輝は声を発することすらできなかった。



「ふむ、緊張を解すというのはなかなか難しいものじゃのう。まだまだ精進が足らぬか」



 反応を見せない輝たちに残念そうにしながら、いそいそと脱ぎ捨てた服を着直した。



「して、王たる黒神輝殿は我が『ソーサラーガーデン』に如何様な御用向きですかな? まさか観光というわけでもあるまい」



 絡みつくような視線。


 『ファブロス・エウケー』の王への『魔導連合』総帥としての問い。すべてをわかっていて、なお問うてくる。


 言質を取ろう自白させようとしていることは容易にわかる。



「『魔導連合』の施設も見学することが出来るって聞いて、見学させてもらっていたんだ」


「ここは公開していない区画じゃが?」


「ドクターテトロに案内してもらっていた」


「随分と荒れているようじゃが、それについては? そこに転がっているのはウチの警備員であるようじゃが? 案内をしたドクターテトロの姿もないのう?」


「機密区画だからだろうな。侵入者と思われて襲撃を受けたんだ。事情は説明したんだが、やむなく戦闘になった。ドクターテトロはこの男の魔術でどこか別の場所に移されたみたいだ」


「ふむ」



 ジッと紅い眼が蒼眼を覗き込んだ。


 既知の感覚。心を見透かされるような透明な視線。



「なるほど、



 その呟きを聞いて更に汗が噴き出した。


 警戒を強める輝を余所にウィゼルは道を開けるように通路の端に身を寄せる。



「ではここで起こったことは不問としよう。色々壊れておるが責は問わん。しかし機密区画であることは確かなのでな。ここからは立ち退いてもらおうかの。公開している区画は好きに見て構わんよ。時間の許す限り、気の済む限り楽しんでおくれ」


「……ありがとう」



 不問とされた意図はわからない。しかしその言葉を聞き入れる以外の選択肢もなかった。


 ウィゼルは「構わん構わん」と手をひらひらさせて、アーガム、セレス、アルフェリカに視線を移した。



「アーガムも、転生体たちも、各々好きにするが良い」



 〝第零階級魔術師〟アインメイガスも、牢にいた転生体たちも、どうこうするつもりはない、と。『魔導連合』にとって極めて貴重であるはずのものを、一瞬の逡巡すら見せずに手放すと言ってのけた。


 ウィゼルが何を考えているのか、まったく読むことができない。


 想像しかできないことを気にしても仕方がない。いまはアルフェリカたちを連れて『ファブロス・エウケー』に帰還することを優先すべきだ。


 それに一刻も早くこの少女の目の届かない場所に移動したかった。



「行くぞ」



 足早に出口を目指す。床を蹴る足は徐々に早くなり、気づけば駆け出していた。



「ああ、言い忘れておった」



 それなりに距離を取ったはずなのに、まるで耳元で囁かれているかのようにウィゼルの声が木霊した。収まりかけていた汗が再び吹き出す。



「余は不問としたが、これから起こることについては世界から問われることになるぞ」



 どういう意味か。考えるよりも先に異変が起こった。


 ガラスが割れる音。走りながら音が聞こえた方を見れば牢の中から誰かが出てきた。



「出られた! 出られたぞ! おいみんな! 首輪が壊れてる! 力が使える! 自力で出られるぞ! 自由になれる! ここから出られるぞ!」



 歓喜の声が通路一帯に反響した。


 一瞬の静寂。そしてガラスが割れる音。一つ、二つと断続的に聞こえ始め、そして通路中にその音が響き渡った。次いで聞こえる数々の歓喜の声。


 転生体たちが神の力を使って自力で牢を破壊して脱出したのだ。


 アルフェリカと同じ首輪をつけられているはずなのになぜ。


 そんな輝の様子を見たウィゼルが遠くで嗤う。



「なにを驚くことがある黒神輝殿。汝が首輪を破壊したのであろう?」



 アルフェリカにつけられた首輪を破壊するために行使した【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャ。精密な制御が行えないその魔術は、アルフェリカに装着された首輪だけではなく、この通路一帯にまで効果を及ぼした。


 つまり、ここに囚われていた転生体たちは自由の身になれたということだ。



「じゃが事態はそんな簡単な話ではないぞ?」



 『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィール。あの光景が脳裏に過った。


 首輪で命を握られ、奴隷として消費され続けてきた弱き者たち。


 自分がそう仕向けたとはいえ、国に対して不満や憎悪を抱いていた者たちが、自由を得たことでどのような行動に出たか。


 その結果、国はどうなったか。


 自分はよくわかっている。


 青白い輝きが満ちる。


 転生体に宿る神の人格が顕れ、人智を超える力が吹き荒れ、地上の光を求め天上を穿つ。


 崩落する岩盤など物ともせず、地上から差し込むに光に導かれて。


 百を超える転生体が地上へと溢れ出た。

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