第二章:それでも世は廻る《プロシード》

それでも世は廻る①

 この世界には九つの国家がある。


 理想郷『アルカディア』。


 神秘の園『ソーサラーガーデン』。


 精霊の都『フィラス』。


 安寧の揺籠『トレストフォイル』。


 不壊砦『ガーディアス』。


 太陽の国『ソキライス帝国』。


 獣狩りの騎士城『アルブレイブス』。


 新天地『ウルカ』。


 そして黄金郷『オフィール』――今の名を『ファブロス・エウケー』。



 黒神輝が『ソーサラーガーデン』で休息を取っているとき、各国の代表者が一堂に集う年に一度の定例会が行われていた。


 『ファブロス・エウケー』を除く八国家それぞれの代表が議論を交わす場。世界で最も重要であり関心の集まる会議である。


 代表の顔ぶれは老若男女と様々。しかし見た目が若いからといってその通りとは限らず、仮に見た目通りであったとしても侮れば足元を掬われる。


 腹の探り合いは挨拶代わり。腹芸、謀略、駆け引き、謀などは当たり前。この場所で権謀術数が渦巻くことを理解していない者は誰一人としていない。各面々は談笑を楽しむ振りをしながら、各々の国家の利益のために虎視眈々と瞳の奥をギラつかせている。


 『アルカディア』代表の兼平鈴仙とその補佐として同席するシールは、穏やかでありながらも張り詰めた空気の中、最大限の思考を巡らせていた。


 今回の定例会、矛先を向けられるのは間違いなく『アルカディア』だということが予想できていたからだ。



「それでは九国家定例会を開始する。此度の進行は『ガーディアス』代表、ニジニ=ノヴゴロドが務めさせてもらう」



 初老の男性――ニジニの合図と共に談笑がピタリと止んだ。それと同時に場の空気がぴりぴりと緊張を増していく。



「早速だが最初の議題は新生国家『ファブロス・エウケー』についてだ。いや、これを国家と認めるかどうかという議論が先か」


「これを国家と認めるなど言語道断。議論の必要などあるまい」



 即座に切り返したのは『アルブレイブス』の代表だった。



「アルフレッド=アーサー氏。理由は察しがつくが、述べてもらっても?」



 齢三十前後のアルフレッドは刃物のような目つきでニジニを一瞥すると、仕方なしとでも言うように説明要求に応じた。



「『ファブロス・エウケー』は『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィールにおける侵略によって誕生した。侵略者が国家を乗っ取って国家新生を謳っているに過ぎん。このような形で生まれた国家など許容してはならない。許容すれば同じことを試みる輩が現れるぞ。転生体という種が存在する今の世界では、それが乱世を招くとわからぬ者はこの場にはおるまい」



 自由を求め、虐げられてきた転生体が自らの楽園を築こうと神の力を濫用するかもしれない。それは世界を戦禍に巻き込み、最悪『神滅戦争』ディオスマキナの再現にも繋がりかねない。


 アルフレッドはそれを懸念しており、シールも兼平もその考えを理解することはできる。


 しかしここで頷くことはできない。『アルカディア』に矛先を向けられることを承知で、シールは反論した。



「ですがかの『オフィール』では民は重税に苦しみ、奴隷として酷使されていました。その税もほとんど民には還元されず、上流階層にのみ流れていたことは周知の事実です。それに比べると黒神輝が王座についてから、民の生活水準は格段に改善されています。奴隷制度もなくなり、転生体でさえ職について自立できる場所になっていることを鑑みると、むしろ問題があったのは前王の治政にあったのではありませんか?」


「ヴァーリシュ嬢。ならば貴公は『ファブロス・エウケー』を国家として認めると? それは貴公の私見か? それとも『アルカディア』代表としての意見か?」


「無論、意見です」



 机の上で手を組むアルフレッドに凄まれてなお、シールは微笑みを浮かべる。


 騎士城と呼ばれる国の代表なだけあって、アルフレッドは清廉潔白を好む。血と屍の上に築かれた国など認めたくはないのだろう。


 そんなものは感情論だ。



「『アルカディア』の立場としても、転生体保護機関『ティル・ナ・ノーグ』の立場としても、シール嬢が申し上げた通りだ。経緯はともあれ『ファブロス・エウケー』の治政が住民の暮らしを良くしているのは事実。すでに国家として認められていた『オフィール』に比べ、より良い暮らしをもたらしているのなら、『ファブロス・エウケー』を国家と認めるには十分だと我々は考える」



 シールの言葉を後押しするように兼平も国としての意見を述べた。



「それは結果論に過ぎん。問題なのは侵略によって生まれたという点。侵略について王座についた者が、再び他国を侵略しないと誰が保障できる?」


「誰もできはしないだろう。しかしそれを言ってしまうと、この場に揃う国々のいずれかが他国に侵略しないことを誰が保障できる?」


「そのために我々は国家間で条約を結んで……まさか貴殿っ!」



 アルフレッドが条約という言葉を使ったことに、兼平は内心でほくそ笑んだ。



「条約には内政不干渉、武力侵攻の禁止、緊急時への相互補助が含まれる。これを破った場合、八国家からの制裁を受けることになるのは当然ご存知だろう。『ファブロス・エウケー』を国家として認めた上で、条約に参加させることを『アルカディア』は提案する」



 そうすることで、『ファブロス・エウケー』が他国の侵略を行えば、八カ国は制裁を加える大義名分を得ることになる。


 それだけでもアルフレッドが懸念する事態への抑止力になる。


 仮に条約への参加を拒んだのなら、侵略の意志ありと各国家は疑う。


 健全な国家を謳うのではあれば結ばない理由はない。条約を結べるか結べないかがある種の踏み絵になっているのだから。


 それを理解したアルフレッドは腹立たしげな様子を見せながら、それ以上反論することはなかった。



「邪推してしまってすまないが『アルカディア』が『ファブロス・エウケー』の肩を持つのは、示談で得た鉱山の採掘権を守るためじゃないのか?」



 黒髪紅眼の青年。アルフレッドよりも若く、どことなく輝と似た風貌の男が一石を投じた。


 太陽の国『ソキライス帝国』代表のアカツキ=シロハネ。



「そのような意図はありませんよ。重税を課したり、転生体を奴隷として酷使したりする『オフィール』の治世は正直、我々からすれば目に余るものでした。それがどのような形であれ、黒神輝が改善し住民の生活を豊かにしたのですから、今の在り方が好ましいと考えるのは必然です」


「それは確かに理解できるな。『オフィール』の奴隷制度は『アルカディア』の理念と相反するからな」


「我々の理念をご理解頂けているなら喜ばしい限りです。採掘権については別の話ですね。あれはあくまで黒神輝によって被った『アルカディア』の損害に対する賠償です。採掘権から得た利益は都市の復興や遺族の補助金として活用しています。たとえ『ファブロス・エウケー』が国家として認められずとも、この権利は主張させてもらいますよ?」



 予想していた問いにシールは朗々と答えた。


 もちろん全てを補助金に回しているわけではないが、ここで正直に話す必要などない。



「その主張を認めないと言ったら? 黒神輝は元々『アルカディア』に在住していた。採掘権を得るために『オフィール』へ黒神輝をけしかけたって見方もできる。黒神輝に都市を襲わせることで損害賠償という名目も出来上がる」



 そのアカツキの発言に場の空気が張り詰めた。



「我々『アルカディア』は自国の住民を犠牲にし、刺客を放って他国を侵略し、採掘権を得た。これらは全て自作自演。『ソキライス帝国』はそう仰るわけですね?」



 問い返すシールの声音には静かな怒気が滲んでいた。隣の兼平もアカツキに強い非難の目を向けている。



「アカツキ氏。それは何か根拠があっての発言か? 憶測であれば問題発言だぞ」



 流石に見過ごせなかったのだろう。進行役のニジニも説明を求めた。


 国家侵略の疑いを、しかもこの定例会でかけることがどういう意味を持つのか。それがわからない愚鈍な者はここにはいない。



「いや失言だった。撤回する。申し訳なかった」



 アカツキは立ち上がり、シールたちに向けて頭を下げる。少なくとも表面上は誠心誠意、謝罪の意を示した。


 シールと兼平もそれを受け入れる。



「採掘権に関しては国家間のルールに基づいて正式な手続きを通した取引です。我々にやましいことは何もありません」



 採掘権については『アルカディア』と『ファブロス・エウケー』の間での取り決め。利権がすでに『アルカディア』にある以上、他国がそれに口を挟むなら内政干渉にあたる。

 アカツキは着席して背もたれに身体を預けると、ほうと息をついて目を閉じた。



「上手いことやるもんだ」



 シールは言葉ではなく、ただ微笑むだけで反応を示した。



「脱線させてしまって悪かった。議題の続きだが、『ソキライス帝国』は『アルブレイブス』と『アルカディア』それぞれの主張に一部賛同する」


「アカツキ氏、説明を」



 ニジニの求めにアカツキは手をひらひらとさせた。



「俺が問題として捉えているのは抱えている転生体の数だな。『ファブロス・エウケー』が抱えている転生体の数は推定一万を超えているだろ。それらを争いに用いればどうなる? 一国家なんてあっという間に蹂躙されるぜ」


「そうさせないための条約――」



 シールの反論をアカツキは手のひらを差し出して遮った。



「俺たち八国家の戦力を全てかき集めれば、『ファブロス・エウケー』を滅ぼすことはできるだろう。けどこっちも無傷じゃ済まない。一体どれだけの被害が出る? 俺の見立てではこの議会は半壊するぜ。下手をすれば俺たちのうち一つ二つの国家は滅びるかもな」



 それは最悪のケース。しかもその懸念は条約の有無では解消できない。


 何故なら問題になるのは『ファブロス・エウケー』に他国侵略の意志があるかどうかだ。条約を結んでも、自国に出る被害を顧みず侵略してくれば意味がない。



「『ソキライス帝国』の提案はこうだ。国家としては認める。ただし条約を結ぶことと五○%の転生体の身柄を引き渡すことを条件とする。こうすれば『ファブロス・エウケー』の戦力は単純に半減。もし条約を破れば、その状態で世界を敵に回すことになる。抑止力としちゃ十分だろ」



 『ファブロス・エウケー』に侵略を躊躇わせ、もし牙を剥いたとしても各国の被害は抑えられる。


 この場に集まるどの代表も悪くない案だと思った。



「それなら全ての転生体を要求すれば良かろう。なぜ半数なのじゃ?」



 着物を纏った赤髪の少女がアカツキに尋ねた。


 『ソーサラーガーデン』代表、ウィゼル=アイン。齢十程度にしか見えない彼女が少なくとも十年以上前からこの議会に出席していることをこの場の全員が知っている。


 転生体であると囁かれているが、彼女の身体に神名がないことは証明されており、故に若さの正体を知る者はいない。



「そんな条件を飲むはずないからさ。自国の戦力を全て寄越せって言われてウィゼルなら応じるか?」


「ふむ、応じるわけがないの。愚問じゃったな」



 国家を守る上である程度の戦力――軍事力は必須。たとえ八つの国家が圧力をかけたとしても、それを一方的に放棄させる条件など呑むはずがない。


 一万の転生体の軍勢があれば、八国家に大打撃を与えられることは向こうもわかっているはず。それならなおのことだ。


 『ファブロス・エウケー』に条約を結ぶメリットを与え、議会は妥協する姿勢を見せなければ交渉として成立しないだろう。


 こちらの目的は条約を結ばせて『ファブロス・エウケー』が蛮行に及ばないことを世界に保証することなのだから。



「ならばその場合、転生体の受け皿は余が――『ソーサラーガーデン』が立候補しようかの」



 扇で隠されたウィゼルの口元は笑みを湛えていることがわかる。



「いいのかウィゼル? 相当な数だぞ」


「なに構わん構わん。なにせ五千体もの実験動物が手に入るのじゃ。神名の謎さえ解明できれば、この世も神だ転生体だと煩わされずに済むじゃろうて。多少出費はかさむであろうが、未来への投資というものよ。平和と安寧が手に入れば安かろう」


「なら帝国からもいくらか援助させてもらうとするか」


「ほお、それはありがたい」



 ウィゼルとアカツキは互いの話に華を咲かせていた。


 転生体を実験動物と呼ぶ『ソーサラーガーデン』が身請けをすれば、また多くの転生体が苦しむことになる。


 あの銀髪の少女――『魔導連合』に傷つけられたアルフェリカを知っているシールにとって断じて許容するわけにはいかない。


 盛り上がる二人の様子にシールは思わず声を荒げそうになった。



「抑えろ、シール嬢」



 こちらの動揺を察した兼平に釘を刺され、とっさに反発しかけた。だが腕を組む彼の手が服に大きな皺を作っていることに気づき、なんとか言葉を飲み込む。


 彼も同じ気持ちなのだ。転生体の身柄が『魔導連合』に引き渡されることは阻止しなければと思っている。


 ニジニがわざとらしく咳払いをする。



「アカツキ氏の提案はわかった。しかしその条件に応じなかった場合はどうする?」


「簡単だ。一旦は向こうの主張を認めるのさ。ただし多少の経済制裁は加える。関税を増やしたり貿易を止めたりとかな。徐々にそれらを強めていく」


「あまり追い詰めると強硬手段に出るのではないか?」


「だな。だから生かさず殺さず。日々の生活ができるギリギリのラインでやるのさ」



 まるで首を締めるかのような手つきでアカツキはゆっくりと指先を握り締めていく。



「そうすりゃ国は衰退を余儀なくされる。弱り切ったところを八カ国で一気に攻め落とせばいい。簡単だろ。もちろん、多少なりとも犠牲が出るから避けられるなら避けるべきだけどな」


「気の長い話じゃの」


「そんなものだろ。それに結構譲歩していると思うぞ。少なくとも『ファブロス・エウケー』が侵略によって生まれた都市であることは事実だ。世界俺たちに信用してもらいたければ、それなりの誠意ってものを見せてもらわなきゃな」



 条約だけでは不十分。ならば自らの牙を折れ。さすれば敵意なしと認めよう。


 つまりはそういうこと。


 無言を貫いていた他国の代表たちも妥当だと思える提案に頷いている。


 世界的に信用のない相手を受け入れる用意をし、さらに相手に選択権まで与えている。


 これほど譲歩する姿勢を世界が見せていながら、それに応じないのであれば『ファブロス・エウケー』とはそういう国家なのだ。


 呑まざるを得ない。この条件を蹴った瞬間、『ファブロス・エウケー』は世界を敵にする。


 これ以上の譲歩を引き出そうとすれば『アルカディア』の立場を危うくするだけだろう。


 ならばまだできることは、苦しむ者が少しでも減るようにすることだ。



「転生体の身請けは全て『アルカディア』が引き受けましょう。我々は元々転生体を保護する活動を行っています。五千を超える転生体であろうと受け入れる用意はすでにあります」


「いやいやそれには及ばんよ。どちらにせよ『ファブロス・エウケー』の意志を確認するために時間が必要じゃろうて。それまでには余らも準備を整えられる。そなたらの手を煩わせるまでもない」



 シールの申し出にウィゼルはやんわりと、しかし即座に拒否した。


 それはそうだろう。『魔導連合』からすれば大量の実験動物モルモットを手に入れる絶好の機会。逃すはずがない。



「ですがそのための費用も馬鹿にならないでしょう。我々はそのための予算を組んでいますから、財政に影響を及ぼすことはありません。そちらも『ソキライス帝国』に援助を求めるのも心苦しいでしょう」



 ウィゼルの隣に座るアカツキに視線を送ると、アカツキは頭の後ろで両手を組んで少しばかり唸った。



「そりゃ、うちとしても出費は少ないほうが良いが――ぐべっ!?」



 突然アカツキが奇声をあげて苦悶した。どうやら隣のウィゼルに扇で脇腹をどつかれたらしい。



「なあに、お心遣い痛みいるが心配ご無用じゃ。アカツキ殿も余らの方針には賛同してくれとるでの。世界の平和のために自ら出資してくれとるのじゃよ。のぉ?」


「え?」


「のぉ?」


「そ、そうだったな!」



 無理やり言わせたように見えなくもないが、それが事実かどうかはこの際は問題ではない。



「我らの研究は世を脅かす神々の抑止を目指すもの。それはこの大地の平穏にも繋がろう。敵性転生体や敵性覚醒体が人間にどれほどの恐怖を与えておるか、知らぬわけではあるまい? 神々の転生の仕組みを暴くことこそが最も重要だとは思わんか?」



 口元を扇で隠すウィゼルの声音が低くなる。



「それまでにどれだけの転生体が犠牲になるのですか」


「犠牲とは人聞きの悪い……無論、謎を解き明かすまでじゃ。それが明日か、一年後か、一○○年後かはわからぬがの」


「我々はそれを認められません。転生体は人間です。ただ神を宿しているというだけの、私たちと同じ人間なのです。感情がある。心がある。そんな者たちを実験動物として捉えるなど……」


「必要な犠牲じゃ。未来の平和のためには誰かが手を汚さねばなるまいて。でなければ今の状況がずっと続く。その汚れ役を我ら『魔導連合』が担う。それだけの話じゃよ」



 転生体が生まれることを防がなければ未来永劫、人類は神々の脅威に晒され続ける。転生体も忌避され虐げられ続ける。


 それを終わらせるためだと――そう言うのだ。


 理解できる。それが間違いでないということもわかる。


 しかし、それでも、いまこのときもどこかで苦しめられている転生体がいる。


 見捨てる理由になろうはずがない。



「たとえ未来のためであっても、転生体が苦しむことがわかっていて見過ごすことはできません。それは我々の理念に反する。転生体の身請けは全て『ティル・ナ・ノーグ』が請け負います」


「先を見据えよ愚か者めが。ここでたった五千を守ったところで、この先一万十万と転生体は生まれる。その者らの中には人間を殺める者も出てこよう。神々の排除に時間をかけるほど犠牲は増えていく。犠牲を最小にすることが肝要であると心得よ」


「犠牲はゼロにすべきです」


「それが理想論だということはお主が一番わかっておろう? 転生体保護機関『ティル・ナ・ノーグ』――?」



 ウィゼルはもはや苛立ちを隠そうともしない。子供の理想論とも言えるシールの発言に、呆れ顔を浮かべる者もいる。



「一度もなかろう。全てを救うなど、たとえ神であろうと絶対に不可能じゃ。事実――お主らも|ではないか?」


「――っ!?」


「友好敵性問わず、成人すれば神名は全身を侵食する。友好神を宿す転生体であれば良いが、敵性神を宿す転生体は処理する他なかろうて。神だけを無力化する方法があるなら別じゃがのう。そんなものがあるならむしろご教授頂きたいくらいじゃ」



 転生体保護機関ティル・ナ・ノーグが保護した転生体を殺めている。


 そんな事実が世に広まれば『ティル・ナ・ノーグ』の存在意義そのものが揺らぎかねない。


 シールは言葉を探す。肯定などできない。しかし沈黙は肯定と取られる。


 時間にして一秒と満たない時間の中で、ウィゼルの目がシールを嘲弄する。



「そのような事実はない。『ティル・ナ・ノーグ』が行っているのはあくまで敵性転生体および敵性覚醒体の対処だ。友好転生体および友好覚醒体には我々の基準に基づいた住民権が与えられている」


「詭弁じゃのう、兼平」


「必要ならもう一度繰り返すが?」


「要らぬよ。真偽などどうでも良い」



 パチン、とウィゼルの扇が音を鳴らす。それが話の区切りとなった。



「さて、余とお主らだけで議論をしても平行線じゃろう。各国の意見も聞いた上で方針を決めようではないか」



 それでよかろう? というウィゼルの目配せにシールは応じるほかない。



「それでは意見を求めようか。『トレストフォイル』代表、レイディアント氏はどう考えるかね」


「ん? ボク?」



 ニジニに指名された女性が自分を指差す。


 レイディアント=フェルミル。いつも民のことを慮る姿から慈愛の母とまで呼ばれている。国内の反勢力組織を言葉だけで改心させ、内乱を未然に防いだという話は耳に新しい。


 国民からの人望も厚く、前任者の引退時に二十代前半にして抜擢された。


 頷かれると桃色の髪をくるくる弄りながら自身の考えを口にした。



「んー、ボクは『ティル・ナ・ノーグ』に保護してもらうで良いと思うな。だって転生体を保護するノウハウは一番持ってるでしょ? 転生体の人たちも好きで転生体になったわけじゃないし、『アルカディア』での方が平和に暮らせるんじゃないかな」


「お主もか……余の話を聞いておらんかったのか?」


「聞いてたよ? でも謎が解けるのって、いつになるかわかんないんでしょ? それが何年後かわかってるなら『ソーサラーガーデン』に引き渡しで良いと思うけど、わかんないなら今の人たちの幸せを優先してあげたら良いじゃん。未来の犠牲者なんて現在から見たらゼロじゃんね」


「う、うむ……一理ある気もするが、しかしのぉ……」



 あっけらかんと宣うレイディアントにウィゼルは返しに困っていた。



「これが『トレストフォイル』の意見だね」


「では『ウルカ』代表、ミョウガ氏はどうだ?」



 水を向けられた老人ミョウガ=アビスは空いているのかどうかもわからない目でニジニを一瞥して。



「正直どちらでも構わん……が、それでは乱暴じゃろ。どれ、ここは『ソーサラーガーデン』へ引き渡すと良かろうて。神名はこの世から無くさねばならん。子、孫らが安心して暮らせるようにの」


「さすがご老体。よくわかっておる」


「これこれ、最後まで聞きんさい、チビすけや」


「チビすけ!? それは余のことか!? 余のことじゃな!?」


「ほっほっほっ……じゃが友好神を宿しているとわかった時点で『アルカディア』に移してやると良い。平和のためとはいえ『魔導連合』の研究は転生体に痛みを強いると聞く。せめて世に害のない者は自由にしてやるのが良かろうて」



 ウィゼルの抗議を聞き流し、ミョウガは代表としての意見を述べた。


 世界と転生体たちのことを考えた代替案と言ったところか。



「ふむ、では『フィラス』代表、ニルス氏の考えは?」


「友好性を持つ者は『アルカディア』に、敵性を持つ者は『ソーサラーガーデン』に送れ。必要があれば『フィラス』も受け入れよう。二百程度なら受け入れられる。友好神を宿す転生体に限るがな」



 齢三十半ばのニルス=オーラヴは吐き捨てるように淡々と述べた。口調はともかく転生体のことを多少なりとも考えてくれていることはその考えから窺い知れた。



「あー、聞かれる前に答えるが『ソキライス帝国』は『ソーサラーガーデン』への引き渡しを支持する。優先すべきは神の脅威の排除だからな。まあでも、友好神を宿す転生体は『アルカディア』でもいいんじゃないか。ミョウガさんの言う通り害はないだろうし」


「お主も甘いのぉ。徹頭徹尾という言葉を知らんのかえ」


「平和を得るのが目的で、実験体を得るのは手段だろ。ちゃんと一貫してるさ」


「ぐぬぅ……小僧が言いおって」


「その見た目で小僧呼ばわりって……アンタ何歳だ――ぐぼぉう!?」


女子おなごに年齢を聞くのは不敬じゃぞ?」



 扇で頬を突かれたアカツキはそのまま沈黙した。


 そんな騒がしい二人にアルフレッドは溜息ひとつ。



「まったく……厳粛な会議の場だというのに落ち着きのない。『アルブレイブス』に意見はない。我々の専門は魔獣だ。転生体に関することは決定に従う。残るは『ガーディアス』だが?」


「まずは身請けしたすべての転生体から無作為に半分に分け、それぞれを『ソーサラーガーデン』と『アルカディア』に移送する。その中から敵性が認められた者は『ソーサラーガーデン』に、敵性が認められなかった者は『アルカディア』にそれぞれの国から移送する。というのはどうだろうか」


「なるほどのぉ……先程は少々感情的になってしまったが、失敗だったのぉ」



 先程ウィゼルと言い争い一歩手前まで発展した議論の様子も考慮した提案なのだろう。


 引き受ける数は平等。世界や転生体のことも考え、敵性を持たないなら平穏に暮らせる『アルカディア』へ、敵性を持つ者は謎を解明するため『ソーサラーガーデン』へ。


 仮に片方もしくは双方が何かと理由をつけて移送を拒んでも、両国には同じ数の転生体が残ることになり、少なくともその数だけそれぞれの目的は達成できる。


 多少の転生体は平穏を手に入れられ、それなりに神の転生究明の助けになり、そしてある程度話が前に進む。


 全員が完全に納得できずとも、全ての立場に利を与える折衷案だった。


 納得できないからと言って異を唱えれば議論が停滞してしまう。


 全員がそれを理解した。



「他に意見がないようなら総括させてもらおう」



 『ファブロス・エウケー』には保有する転生体の半数を引き渡してもらった上で条約を結ぶことを要求する。


 引き渡された転生体は無作為に半数に分け、それぞれ『アルカディア』と『ソーサラーガーデン』へ移送する。


 転生体に敵性が認められた場合は『ソーサラーガーデン』へ移送する。


 逆に一切敵性が認められなかった場合は『アルカディア』へ移送する。


 前提条件である『ファブロス・エウケー』が条約を結ぶことに同意しなかった場合、段階的に経済制裁を加える。



「半月後に緊急会議を開き、そこに『ファブロス・エウケー』の王、黒神輝を召喚するものとする。『ファブロス・エウケー』への伝達は唯一パイプを持っている『アルカディア』に依頼したいが頼めるか?」



 兼平は頷く。



「引き受けよう。日時や場所の詳細もこちらで指定するが構わないか?」


「優先度の高い事案だ。構わない。それではこれを決定事項とする。異論がある者はいるか」



 口を開く者はいない。


 そう思ったが、その中でウィゼルが挙手していた。



「ウィゼル氏、なにか?」


「異論ではなく確認じゃが、仮に、もし仮にじゃ……緊急会議が開かれるまでの間に、黒神輝が他の国で『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィールのようなことを引き起こした場合はどうする?」


「二度目となれば条約を結ぶ以前の問題だ。侵略と捉え、条約に基づき各国が『ファブロス・エウケー』を制圧、国を解体することになるだろう。当然、抵抗が予想される」


「つまり?」


「戦争になる」


「それはそれは……物騒じゃの。そうならぬことを祈るばかりじゃよ」



 ウィゼルは不気味に笑いながら視線を動かす。


 その瞳には左目遠見の魔眼を押さえながら顔を白くするシールの姿が映っていた。

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