神秘の園⑤

 疲労が溜まっていた輝たちは予定通り宿を取った。


 店主に聞いた話だと明日は『創世祭』という祭りの前夜祭があるらしい。それによりこの時期は観光客が多く、部屋が取りにくいとのことだ。


 幸いなことにキャンセルがあったらしく二人部屋が二つ空いていた。他を探して埋まってしまっては元も子もないとイリスに言われ、その場で部屋を押さえることにした。


 輝は案内された部屋でベッドに腰掛け、アーガムから渡された資料に目を通す。


 『魔導連合』の地下研究施設の見取り図。それにはアルフェリカが囚われていると予想される区域に印がつけられていた。さらにはそこに繋がる侵入経路と施設の警備体制についてもアーガムが知り得る限りのことが記載されている。


 もちろん罠の可能性を捨てきれない以上、ここに記載されている情報を鵜呑みにするわけにはいかない。行動を誘導され、返り討ちにされるかもしれないのだから。


 アーガムは自身の研究を進めるために『魔導連合』へと戻った。


 アルフェリカを救出するまでアーガムを拘束すべきだったかもしれない。


 だが〝第零階級魔術師〟アインメイガスを拘束するのは簡単なことではない。それに〝第零階級魔術師〟アインメイガスが消息を断つことで逆に騒ぎになっても困る。


 アーガムの言葉は本心である。結論として輝はイリスの判断を信じることにした。



「最悪のケースも、想定しておかないとな……」



 夕姫たちの命が失われることだけはあってはならない。彼女たちを守ること。それが連れて来た自分の責任だ。


 そのときガチャリと音を立てて部屋のドアが開いた。



「輝くん、その……お風呂、空いたよ?」



 バスローブを着た夕姫がおずおずと姿を現わす。湯で温まった彼女の顔はほんのりと上気しており、疲労の色は多少薄れているように見えた。



「ああ、もう少ししたら入るよ」



 そう言って輝は再び見取り図に目を落とした。とりあえず見取り図を頭に叩き込んで、湯に浸かりながらどう動くべきか考えよう。



「………………すごい、広いね」



 背後に回った夕姫がベッドに両手をつきながら手元を覗き込んでいた。



「『魔導連合』の本拠地だからな。研究施設だけでこれだ。全ての区画を含めるとこれの何倍も広いはずだ」



 下手をすると都市面積より大きな地下施設が広がっているかもしれない。アルフェリカが研究施設にいなければ、この広大な施設の中から彼女を見つけ出さなければならなくなる。


 敵の本拠地でそれは不可能に近い。


 夕姫自身が希望したから連れてきたが、今からでもこの都市から離れてもらったほうがいいのかもしれない。


 そんなことを考えながら夕姫を見ていると、こちらを見上げた彼女と目が合った。



「あ、えと……どう、したの?」



 ぎこちなく笑う夕姫。宿に来てから少し様子がおかしい。



「いや、なんというか……緊張してないか?」



 感じたことをそのまま口にするとビクゥッ、と夕姫の肩が跳ねた。



「そ、そんなことないよっ!?」


「そうは見えないが……やっぱり俺と同じ部屋なのが原因じゃないか?」


「ち、ちが、違うよ!? そんなことないもん!」



 ブンブンと力いっぱい首を横に振った。


 二人部屋が二部屋という時点で女性三人のうち誰かが輝と同室になる。正直、部屋を取る時点でそれは如何なものかと思った。


 そしてやはりと言うべきか、一番の拒絶反応を見せたのはイリスだ。



〈私は嫌ですからね! 『ソーサラーガーデン』に着くまでは仕方ないので我慢していましたが、ここに来てまで男女同室なんて頂けません! しかも輝様のようなケダモノと二人っきりなんて身がいくつあっても持ちませんよ! レイちゃんもダメですからね! 輝様の毒牙から私がレイちゃんを守るんです!〉



 ――と、もはや慣れたが散々な言い様でレイを巻き込みながら同室を断固拒否。必然的に夕姫が輝と同室ということになった。


 イリスほどではないにしろ、夕姫も嫌だろうと思い、輝は車で休むと進言した。あれにもベッドがあるから身体を休めるだけなら十分だ。


 それに反対したのも何故かイリスだった。



〈ダメです! 輝様もちゃんと湯船に浸かってあったまってから、ふかふかのベッドで休んでください! あんなかったいベッドでちゃんと休んだって言えるんですか! アルフェリカ様を助けるなら万全を期さないといけません! そうですよね、夕姫様!〉


〈へっ? あ、う、うんっ〉


〈ほら! 夕姫様もOK出していることですし、しっかり休んでスッキリしてきてください!〉



 イリスはとてもいい笑顔を浮かべ、最後に夕姫にウィンクをしながら、レイと共に用意された部屋へと消えていったのだ。


 結局、同じ部屋になったのだが、気を張って彼女がちゃんと休めないのは良くない。



「夕姫、やっぱり俺は車で休むよ」



 よく考えなくても夕姫は年頃の女性だ。いくら自分にその気がなかろうと、不安にさせてしまうくらいなら距離を置いた方がいいだろう。



「それじゃあな。明日の朝に迎えに来るから」


「ま、待って」



 そう言って立ち上がろうとした輝の服を掴んで引き留める夕姫。



「私は大丈夫だから」


「そうか?」


「うん、久しぶりに二人きりだから、どうしたらいいのかわかんなくて、ちょっと緊張しちゃっただけ。輝くんといるのが嫌なわけじゃなくて、むしろ……その……」



 最後の方はほとんど聞き取ることができなかった。しかし無理をしているわけでもなさそうだ。


 浮かしかけた腰を下ろし、気づけば穏やかな声音で呟いていた。



「そうか」


「うん」



 頬を染めて俯き加減に頷く。


 沈黙が二人の間に漂った。



「悪かった」


「……? なにが?」


「何も言わず、『アルカディア』を出ていったことについてだ。悪かった」



 アルフェリカと夕姫を守るために、輝はアルフェリカと共犯となった。夕姫はそんな二人を撃退し、『アルカディア』を救った守護者として受け入れられた。そしてアルフェリカと輝は『アルカディア』から追放された。


 事前に相談しなかった。全部自分で決めた。別れ際に言葉を交わす機会も設けなかった。


 神楽夕姫が黒神輝に抱く想いは、想いを告げられたあのときからわかっている。


 自身と彼女との間に積み重ねてきたモノが確かにあったのだ。それを一方的になかったことにされているということが、一体どれほどの悲しみを彼女に与えたか。


 痛みを感じたような気がして輝は無意識に自分の胸を押さえた。


 ときどきこういう異変を感じることがある。夕姫を思うだけで胸が痛んだり、夕姫が笑うだけで心が安らいだり、他の誰にも感じたことのないようなものを感じる。



「ほんとだよ。ぜんぶぜんぶ輝くんが悪い。反省してよ」


「ああ」


「そんなことゆっても、もう信じないけどね」



 そう言われてしまうと返す言葉もない。


 これまで何度も夕姫を裏切ってきたのはわかっている。信頼を失って当たり前のことを繰り返してきた。


 夕姫が背に額を押しつけてくる。触れたところから感じる熱が体中に広がっていく気がした。



「こうしてると、ちょっと安心するなぁ」



 ほう、と吐息と共にそんなことを漏らす夕姫。



「輝くんの言葉なんてもう信じない。輝くんの言葉になんてもう振り回されない」



 あのとき言われた否定の言葉。しかしそれは否定を含んでおらず、その後に告げられた言葉を、いまも覚えている。


 そして自分は答えを示していないことも。



「夕姫、俺は……」



 舌がうまく動かなかった。口も喉もカラカラに乾き、何故か心臓が加速する。手のひらがじっとりと汗ばんでいた。


 自分が緊張しているのだと気づいて驚いた。


 たった一言、彼女の想いに答えを示すだけ。それだけのことなのに、ぎこちなく口が動くだけで声が出ない。


 ぐるぐると思考は空回り。その間ずっと何も言えずに固まっていた。


 これだけの時間をかけても、一向に落ち着きを取り戻すことができない。むしろ時間が経つほどに心が乱れる。


 やがて――



「くぅ、くぅ……」



 背中から静かな寝息が聞こえてきた。



「夕、姫?」



 眠っていた。それがわかった途端、強張っていた身体が調子を取り戻す。


 知らず大きなため息が出て、輝は頭を押さえた。



「どうして安堵しているんだ俺は……情けない」



 ただ答えを告げるだけなのに、それができなかった自分に嫌気が差す。


 そんな考えを振り払い、輝は起こしてしまわないように夕姫をベッドに寝かせた。


 穏やかで無防備な寝顔だ。それを見ているだけで不思議と安らぐ。


 失いたくないものだと、そう思ってしまう。



「さて、俺も風呂入って早めに休むか」



 感傷に浸ってばかりもいられない。この安らぎはアルフェリカにも与えられなければならない。


 不意に、夕姫とアルフェリカと一緒に、三人で街を歩いている光景が思い浮かんだ。


 たった一度だけの三人の日常。


 もう一度それを現実に成そう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る