神秘の園③

「わあっ」


「綺麗ですね」


「すごいです」



 扉をくぐり抜けて飛び込んできた景観に、夕姫、レイ、イリスの三人は目を奪われた。


 木材や石材など様々な天然の素材を加工して建てられた建造物。水晶から噴き出す噴水。宙を浮く街灯。植物で出来た家まである。


 各所に植えられている街路樹はぼんやりと薄緑に光っていて、街ゆく人々は皆、ローブやマント、つばの広い帽子などを身につけており、物語に登場する魔法使いのような出で立ち。


 まるで異世界に迷い込んだかのような気分になった。


 神秘の園と呼ばれる魔術都市『ソーサラーガーデン』はそう呼ばれるに相応しい景観を誇っていた。


 その美しい光景のさらに奥。神秘の園ソーサラーガーデンを見下ろすようにそびえ立つ巨大な時計塔を輝はジッと見据える。


 あれこそが『魔導連合』のシンボルタワー。あの施設のどこかにアルフェリカがいる。


 だがどこにいるかはわからない。唯一の手がかりはアーガムが残したであろう金属板。



〈P.S.黒神殿との契約を私はまだ履行していない。私の研究成果の全てを提供したいため『ソーサラーガーデン』の八番区画、紅の花咲く樹木の場所までご足労頂きたい〉



 都市の入り口であるこの場所にはご親切なことに都市全体の案内板がある。現在位置は五番区画。八番区画は列車で三十分といったところか。


 場所だけで日時の記載がない。指定された場所にアーガムがいる保証もない。それ以前にこれが罠でない確証がない。



「いくぞ」



 それでもアルフェリカに近づけるのなら罠であろうと構いはしない。


 指定の場所へ向かうべく輝は強く足を踏み出し、後ろから腕を引かれた。


 振り返ればイリスが手を握っている。こちらを見上げる眼差しはどこか気遣わしげに揺れていた。



「輝様、もう夜です。今日は休みましょう」


「そんな悠長なことは――」


「輝様」



 全てを言う前に、もう一度腕を引かれる。夕姫とレイを見やると、二人ともイリスと同じような目で輝を見つめていた。


 その時になって初めて気づいた。彼女たち三人ともその顔に疲労が色濃く現れていることを。


 思えば『ソーサラーガーデン』に辿り着くまでの道のりは強行軍だった。睡眠を取っているとはいえ、それ以外ではまともな休息を取っていない。


 それを彼女たちに強いてきたのだ。



「輝様がアルフェリカ様を心配しているのはわかっています。だからこそ、今日は休みましょう? アルフェリカ様を絶対に助けるために」


「……イリスの言う通りだな。悪かった。冷静じゃなかったみたいだ」


「見てればわかりますよ。輝様はクールぶってますけど結構感情的ですからね」


「そう、か。そうなのかもな」



 指摘を受けて苦笑するとイリスも同じく苦笑する。まったく仕方のない人ですね、と言われているような気がした。



「それではどうしますか? 食事だけ済ませて車で休みますか?」



 レイに問われ、輝は少しだけ考えた。移動中、休息はずっと車の中だった。車には一応ベッドが備え付けられているとはいえ、快適とはとても言えない。


 それに文句の一つも言わず、彼女たちはここまでついて来てくれた。だから今日くらいはちゃんとした寝床で休んでもらったほうがいいだろう。



「宿を取ろう」



 その言葉に一番わかりやすい反応を示したのは夕姫だった。ぱぁっと表情が華やいで期待でキラキラと目を輝かせる。


 彼女の無邪気な反応に一同はほっこりとした気持ちになった。


 そんな皆の視線に気づいた夕姫は恥じらいながら、それでも希望を口にする。



「私、お風呂……入りたいな」


「あーわかります! 水を節約しないといけなかったからシャワーすら毎日浴びれなかったですもんね」


「う、うん。昨日は汗流せなかったから、ちょっと、ほら……ね?」


「別に夕姫様は臭ったりしませんけどね。むしろなんか……甘いような?」


「ちょっとイリスちゃん嗅がないでよ!?」



 体臭を嗅がれた夕姫がバッとイリスから距離を置くと通行人と軽くぶつかった。


 反射的に謝罪しようと振り返ったとき、夕姫の動きが固まる。



「ふむ、それなら良い温泉がある宿を知っているので紹介しましょう」



 ぶつかられたことなど意に介さず、その男は気安く声をかけてきた。


 男の顔を見て輝たちは目を見開く。


 青味がかった黒い長髪の男。身体つきは線が細く、人を食ったような微笑みは最初の出会いを彷彿とさせる。


 どんな疑問よりも早く身体が動いていた。腰に携えた機械鎌をその男に突きつける。



「アーガム=カロライナ」


「如何にも。数日振りだが壮健そうでなによりだ、黒神殿」



 飄々した態度で挨拶を述べる〝第零階級魔術師〟アインメイガスに輝は握り潰さんばかりに機械鎌を握りしめる。


 こいつのせいで、アルフェリカはようやく手に入れつつあった平穏を奪われた。今この時も彼女が苦しんでいるのかと思うと、抑えきれない怒りが漏れ出した。



「私に黒神殿たちと敵対する意思はない。できればこの物騒なものを下ろしていただけないだろうか」


「お前になくても俺にはある。お前はアルフェリカを連れ去った。『魔導連合』があいつにどれだけの傷を負わせたと思っている。アルフェリカを傷つけるやつは誰であれ俺の敵だ」



 射殺さんばかりの目つきで輝に睨まれるアーガムは、ほんの僅か悔やむように目を伏せた。



「貴方の怒りはもっともだ。しかしどうか私の話を聞いてほしい」


「必要ない!」



 機械鎌が駆動し、予め装填してあったシリンジから魔力を吸い上げる。機械鎌を触媒に蒼色の魔法陣が展開され、【弱者の抵抗】ソード・オブ・ザ・ハートが発動しようとしたとき――。



「街中でそれは短慮が過ぎる、黒神殿」



 アーガムが指先で機械鎌を撫でた。


 それだけで機械鎌は分解され、術式が解除された。部品が地面に音を立てて散らばる。その一瞬の出来事に輝は驚きを隠せなかった。



「お気持ちは分かっているつもりだ。だが落ち着いてほしい。こんなところで騒ぎを起こせば、不都合があるのはそちらのはずだ」



 気がつけば輝たちに注目が集まっていた。こちらを遠巻きに眺め、剣呑な雰囲気に何事かとざわめいている。はたから見れば武器を向けた自分たちが悪に見えていることだろう。このまま騒ぎが大きくなれば潜入どころではない。


 捕らわれたアルフェリカを助けにきて、騒ぎが原因で捕らわれるようなことになってしまっては本末転倒もいいところだ。



「往来の皆様! お騒がせして申し訳ない。私はアーガム=カロライナ。悪ふざけが過ぎてしまった。彼は私の友人で、今のは挨拶のようなものだ。少し過激に見えてしまったかもしれないが、なに、いつものことだ。どうか気にせず夜のひとときを楽しんでくれたまえ」



 アーガムはわざとらしく、大仰な仕草でこちらを訝しむ人間たちに呼びかける。



「アーガム?」「あの〝兵装製造〟ファクトリーの?」「え! すごい!?」「〝第零階級魔術師〟アインメイガスがそう言うなら大丈夫でしょ」「アーガム様とご友人っていうあの人は誰?」「さあ? でもすごい人なんじゃない?」「あれ、でもどこかで見た気がする……どこだっけ」「あっ、サインとかもらえるかな!?」「アーガムさんもプライベートでしょ、邪魔しちゃ悪いよ」「ええ、しょんぼり……」



 住民の警戒は好奇の視線へと変わり、各々の声は街の喧騒に溶けていった。



「黒神殿、話を聞いてもらえるだろうか」



 アーガムの機転によって騒ぎとなる前に収束され、救われた。


 敵対する気がないというのはあながち嘘ではないのかもしれない。


 それに目的はアルフェリカの救出。アーガムへの報復ではない。



「わかった」



 怒りを飲み込み、輝はアーガムの提案に頷いた。

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