神秘の園②

「輝くん、起きて。輝くん」



 ゆさゆさと身体を揺すられて微睡みから浮かび上がる。


 うっすらと目を開くと目の前に夕姫の顔があった。目が合うと彼女ははにかむように笑う。


 それだけのことなのに心がじんわりと暖かい。彼女が笑うと安堵で満たされる。


 他の誰にも感じたことのない感覚が不思議で仕方がない。



「輝様、到着しましたよ」



 イリスの言う到着とはつまり――


 輝は飛び起きてフロントガラス越しにその光景を見上げ、あるいは睨みつけた。


 石材とも鉄材とも取れない不思議な光沢を放つ黒い外壁。それを緑のつたが覆っている。外壁の向こう側には一際高く聳え立つ時計塔があり、どういう仕組みかその周囲を四つの球体が浮遊していた。


 理想郷アルカディアとも黄金郷ファブロス・エウケーとも異なる威容を誇る大都市。



神秘の園ソーサラーガーデン


「はい、そしてアルフェリカ様が囚われている場所です」



 知らず声になっていた呟きにイリスが答えた。


 ここでアルフェリカが助けを待っている。


 すでに空は暗い。冴え冴えとした月と星の明かりが地上を照らしていた。



「通常の手続きで都市に入ることはできそうか?」


「たぶん難しいでしょうが、手続きの内容を確認してきます」



 車から降りてイリスは手続きを行っている門の前まで走っていった。


 程なくして戻ってくると、その内容は予想していた通りだった。



「やはり他の都市と同様、入るには身体検査と荷物検査をパスする必要があります。検査を行う専用スペースが設けられていて、そこで両方の検査を行うようです。完全に隔離されているので、具体的な検査内容までは外からではわかりませんでした。ですがどちらにせよこのメンツだとパスするのは難しいと思います」



 言いながらイリスは夕姫とレイを見た。


 どこの都市も転生体の出入りはチェックしているものだ。転生体の居場所と謳っている『ファブロス・エウケー』でさえも同じことをしている。


 何のためにそうしているのかと言えば、敵性神や敵性転生体から都市と住民を守るためだ。


 転生体を見つけたときの対応は都市によって異なる。大抵は門前払いか排除のどちらか。


 おそらくこの都市の場合は実験体として捕えられることになる。


 わざと捕まって都市に入るという選択肢もあるが、おそらく自力では抜け出せなくなるだろう。それはリスクが大きすぎる。



「なら手筈通りにいく。レイ、頼らせてもらうぞ」



 転生体を警戒する大都市への侵入が容易いことではないのは初めからわかっていた。


 だから予め策を用意してある。



「もちろんです。私でお役に立てるなら」



 事前の打ち合わせに従って、レイには黒いローブを纏ってもらった。


 車両を検査の列につけ、三十分ほどして輝たちの順番を迎えた。


 重厚な扉が左右に開き、黒曜石で出来た部屋が広がっている。検査官に誘導されながら部屋の中央で車両を停車させると扉が閉じられた。



「それでは車両内の荷物等を確認致します。乗車されている方々は車から降りて頂き、そちらの者たちの指示に従って身体検査を受けてください」



 検査官は男女半々の六人。監視カメラの類は見つからない。室内を照らす水晶体が壁や天井に埋め込まれているだけだった。



「これで全員ですか?」


「はい、四名で全員です」



 運転席にいたイリスが代表として検査員の応対をしてくれている。検査官がそれぞれの作業でバラけてしまうと少し手間が増えてしまう。


 動くなら今だ。



「レイ、頼む」


「はい」



 輝の指示に頷き、一歩前に出たレイは大袈裟に黒いローブを脱ぎ捨てた。バサッとローブが風を鳴らし、その美貌も相まって検査官の視線が集まった。



「――【あやかす蠱惑の眼差し】ファシナティオ・イントゥエレ



 レイの身体を神名が覆うのと『神装宝具』が発動したのは同時だった。


 検査官全員の瞳から意思の輝きが消えて、まるで人形のように虚ろなものへと変わる。


 彼女が転生体であることを認識するよりも早く全員が【魅了】に支配された。


 その強制力は到底意思の力だけで抗えるようなものではない。【抵抗】レジストなしでは瞬く間に理性を溶かされる。


 この力は諸刃の剣。【魅了】された者は本能的にレイを求めるようになり、甘い蜜に誘われる虫のように彼女へと群がる。


 故に彼女はいつも捕食される側だった。


 出会った頃は。



私に触れないでくださいアンタッチャブル



 欲望から彼女を守る接触拒否の障壁。レイに触れようとした検査官たちはその直前で木の葉のように宙を舞って床に叩きつけられた。



「検査は終わりました。通して欲しいのですが、よろしいですか?」



 凛とした声。心に傷を負い、異性を恐れ、悲鳴を噛み殺すしかなかった彼女が、こうまで堂々と振る舞えていることに感動すら覚えた。


 検査官は虚ろな顔のまま各資料の記録や機器の操作を始める。しばらく待っていると、入口とは反対側にあった扉が音を立てて開放された。



「黒神さん、先を急ぎま――ひゃあっ!?」



 甲高い悲鳴がレイの口から出てきた。聞き慣れない彼女の大きな声に輝も咄嗟に腰の機械鎌を握り締め――目にした光景に唖然となった。



「レイちゃぁん。レイちゃんレイちゃんレイちゃんレイちゃん!」



 背後からレイに抱き着いたイリスがあちこちを揉みしだいていた。目がハートマークになっていて正気を失っている。いや、いつもと同じような気もしなくもない。



「ま、待ってイリスっ。やめてください!」


「大丈夫! ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」


「ちょっとだけって何が――ぁんっ!?」



 イリスの手が衣服の下に滑り込み、レイの口からあられもない声が漏れ出た。羞恥に頬を染めながら、声を漏らすまいと自らの口を両手で押さえる。


 呆れることに、その間もイリスの手は衣服の中でやりたい放題にしていた。



「ちょおっ!? 男子の前でなんてことしてるんですかイリスさん!? 輝くんも見ちゃダメ聞いちゃダメ!」


「むぐっ!?」



 飛びかかってきた夕姫に頭を抱え込まれて目の前が真っ暗になる。


 小さな身体を精一杯に使って目と耳を塞がれてしまった。ついでに夕姫の腹だか胸だかで口と鼻を塞がれてしまう。おまけにウォルシィラの馬力が相手では力尽くで引き剥がすことも敵わない。


 だが今はこんなことをしている場合ではない。


 輝とレイがどんなにもがいても、夕姫とイリスはそれぞれを解放することはなく、業を煮やした二人はそれぞれ術式を展開。



「いい加減に――」


「――してください!」



 輝は【英雄の証明】ペイン・オブ・ザ・ブラッドで筋力を【強化】して夕姫を引っぺがし、レイは【接触拒否】アンタッチャブルでイリスを宙に放り投げた。



「「ハァ……ハァ……」」



 仲良く息を切らす輝とレイはアイコンタクトで意思疎通すると、床に打ち付けた尻をさすっているイリスを見下ろした。



「……イ、リ、ス?」


「ひ、輝様? ど、どうしたんですか、そそそんな、こここ怖い顔して……」


「今回はちょっと悪戯が過ぎるのではありませんか?」


「ひぃっ!? レ、レイちゃんも顔が……こ、ここ、怖い、よ?」



 だらだらと冷や汗を流しているということは自分が何をしていたのか自覚はあったようだ。



「え、えっとぉ……ほら、レイちゃんの【魅了】って強力じゃないですか。だから、私もちょっとかかっちゃって」


「なるほどなるほど。確かにレイの【魅了】は強力だ。レイほどの美女に使われたら、かかっても仕方ないと言えるな」


「そ、そうですよ! だからこれは不可抗力だったんです! レイちゃんは超絶可愛いからたとえ女だろうとイチコロなんです! やばいヤメなきゃ! とは思いましたけど、そこに神の【魅了】まで加わったらもう抗えないですよ! 輝様だってそう思いますよね!? ねっ!? ねっ!?」



 輝の言葉に活路を見出したとでも言わんばかりにまくし立てるイリス。



「ですが『神装宝具』発動中はイリスとは目を合わせていませんよね?」


「ギクッ!?」



 わかりやすい反応。それが全てを物語っていた。


 〝美神〟の【魅了】が強力で抗い難いこともわかっている。


 しかしそれはそれ。


 自分が【魅了】されていることを自覚してなお、に及んだのならば、イリスは抵抗もせずに本能に流されたわけで。



「ぎにゃっ!?」



 イリスの脳天に拳を突き刺して一言。



「せめて【抵抗】レジストはしろ!」

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