第4話 荻原球太 9月4週
帰路から少し逸れて、10分ほど歩いたところにある芝公園で俺と荻原はキャッチボールを始めた。荻原の持っていた大きなエナメルバッグの中からは使い込まれたグラブが二つ、白球が一つスッと取り出された。
「ほら、準備いいだろ? 貸してやるよ」
言いながら、荻原は俺にグラブを投げ渡す。普段からグラブを2つ持ってるのかこいつは・・・
久しぶりのグラブの匂い、ボールの感触。
俺は言われるまでもなく、荻原と距離を取って奴からのボールを待った。
***
「お、まだまだ良いボール投げれるじゃねえか、中波ッ」
荻原は軽口を叩きながら、すさまじい球威の白球を投げ込んでくる。この10分間ほどの間ずっと、荻原のしなやかなフォームから繰り出されるボールは否が応でも俺のグラブに吸いついてくる。
パシン
何度も何度も、乾いたグラブの革とまだ新品らしき白球が快音を奏でる。
荻原から借りているグラブが嬉しい悲鳴を上げているようにも聞こえた。
それと同時に、胸の奥の鼓動が、少しずつ大きくなっているのを俺は感じた。
「わりーわりー、楽しすぎてつい力入ってるわ。でも、俺の球まだまだいけるだろ?」
「・・・イテェ」
グラブにすっぽり収まったボールを見つめて、俺は呟く。
屈託のない笑みを浮かべてくる荻原の顔が痛みも相まって腹立たしい。
「これが、全中奪三振王のボールだぜ!」
「寝言は寝て言え」
「ほんとだっつうの、なんならメダル見せてやろうか?」
「はいはい」
さらっとエグイことを言う荻原だったが、それほど驚きはなかった。
荻原が全国大会で奪三振をバッタバッタ取っている姿など容易に想像できる。それくらいにこの投手は異次元だった。
「なあ、中波」
「・・・なに?」
「・・・お前、ほんとに野球辞めたんか?」
「・・・」
俺は黙って強めのボールを返球した。荻原は眉をほんの少し動かしただけで、何事もなかったかのようにボールをキャッチした。
「お、ええボール。で、野球辞めるんか?」
そうだ、こいつはそういうやつだった。俺の意など介するわけがない。デリカシーをデリバリーと間違えそうなふざけた野郎だった。
でもそんな荻原だからこそ。
誰にも話す必要がないと思っていたことを、俺は話す気になってしまっていた。
「辞めたよ、もう」
言いながら、俺は思いっきり力を込めたボールを投げた。言ってしまえばこころはスッと楽になった。
ただ、随分久々にやるキャッチボールで全盛期から明らかに筋力が落ちていることに、思うところがないわけではなかった。
「・・・そうか」
一瞬、静寂が俺と荻原の間を包んだ気がした。
荻原は俺の全力のボールをいとも簡単に受け止める。
パシン、と乾いた音だけが響いた。
また少しだけ眉が動いたかのように見えたが、それでもやはり荻原は荻原だった。
またもきれいなフォームで、荻原は白球を投げ込んでくる。
パシン
俺の左手が痛む音。
「なら、髪伸ばし放題だな!」
言いながらガハハと笑い声をあげる荻原。
俺は呆れながら荻原を見つめていた。
「・・・?」
そして、驚いた。
荻原の顔は、笑っていなかった。
見たことのない苦悶の表情を浮かべていた。苦虫を嚙みしめるような、食いしばる表情だった。
「お、荻原・・・?」
「ああぁ? んだよ・・・ったく。こんな時に限ってよぉ・・・」
荻原の頬を涙を伝うのが見えた。
荻原は、右肩を左手で抑えていた。グラブが右肩に乗っかって不格好になっていた。
「お、おい荻原、大丈夫か?」
「大丈夫に、決まってんだろ・・・」
俯く荻原。明らかに大丈夫な人間の声ではなかった。
俺は、荻原に駆け寄った。
「俺はなア、中波」
俺が駆け寄るよりも先に、荻原は膝から崩れ落ちた。
「お前と一緒に、野球がしたかったぜ。お前が野球辞めたって言っても、引きずってでも・・・一緒に・・・」
つぶれるような声で、荻原は言う。
切磋琢磨してきたライバルの思わぬ一言に、俺は咄嗟にわけのわからない言葉を吐いていた。
「で、出来るだろ、何泣いてんだよ」
野球など辞めた、そう思っていた俺が、こんな簡単に手のひらを返したのは、大して重要なことではなかった。
荻原の右肩の異常が、何よりも気になっていた。
「無理なんだよ、もう」
「何が無理なんだよ・・・! さっきまであんなピンピンしてたじゃねえか・・・!」
「俺は――――」
荻原のその言葉に、俺は戦慄する。
俺と荻原は違っている。
何もかも、違っている。でも、こんなところまで違わなくてもいいじゃないかと思った。
よくよく考えてみれば、こんな真平日にどうしてジャージで、しかもわざわざ他校のグラウンドに来ている時点で何かがおかしかったのだ。勝利の凱旋でもしに来たのかと思っていたが、むしろその逆だったのだ。
俺と荻原は違っている。
能動的に野球を辞めた俺。
そして、受動的に野球を辞めざるを得なかった荻原。
「俺は、――もう野球が出来ねえんだ」
荻原の右肩は見たこともないほどに腫れあがっていた。
選手名録
『荻原球太 適正:投手×
打:B パワー:F 走:A-- 守:C 肩:G 精神:C
スタミナ:A 制球力:G 変化球 G(スライダー・チェンジアップ) 直球:G
特性:壊れた肩、カリスマ、威圧
ログ
・右肩の酷使と休養不足により、肩の軟骨が摩耗。
夏の全国大会決勝にて、試合終了後倒れ緊急搬送。倒れた際右肩を強打し、関節と筋を負傷。術前術後の療養のため2年近くの療養が必須となる
⇒すべての能力が大ダウン』
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