追想
第3話 中波秀斗&荻原球太 9月4週
夏大が終わってから3週間ほどが経った頃だった。
野球への情熱が完全に冷め切ってしまった「灰色の3週間」を過ごしていた俺は、グラウンドで元気よく練習する後輩たちになど目もくれず、終業のチャイムが鳴ると同時に校舎を後にしたのだった。
俺の通う羽佐間中学は公立中学でありながら、部活動に力を入れている学校で、その設備もなかなかのモノだった。サッカー場から、野球部専用の室内練習場、テニスコートは8面、どれをとっても一般的な中学校のそれではなかった。
故に、その期待や希望も大きなものにならざるを得なかったわけである。
「あの人、夏大で最後の打席に立ってた人じゃ・・・」
「やめなよ、かわいそうじゃん」
この三週間、嫌というほど聞いてきた声の群れが耳に入る。俺はそれらの声を脳で言葉に変換することなく、そのまま消化した。
俺は、本当に燃え尽きていた。
「あー、だる・・・」
喉の奥からそんな言葉を吐きながら、放課後の無気力さに任せて、いつものように気だるい足取りで校門を出たところだった。
「――ッ!!!」
目の前を、風を切るような白球が通り過ぎて行った。
比喩ではなく、まさに顔すれすれ、耳にかすかにその感触を覚えるような衝撃。
一瞬、俺は何かを思い出した。何か、そう、何かを。
「よお、中波」
「・・・」
俺の目の前には、白球をぶん投げたに違いない人物が立っていた。
風を切るとてつもない回転数のボールを投げた張本人が、俺の前に悠々と立っていたのである。
「どしたよ、そんな死んだ魚みたいな目して」
「・・・・・・」
俺は、言葉を返そうかとも思った。3年間向き合ったライバルに一つ威勢のいい言葉でも返してやろうかと内心強がってみた。
けれど、やはり心の奥底が冷え切っていた。
野球など、もう忘れてしまえと言っていた。
白銀中学3年、荻原球太。忌まわしい俺のライバルだった。
あの日、俺の心をへし折った張本人。夏大――夏の中学野球、全国大会地方予選決勝で俺から三振を奪った剛腕ピッチャー。
それが、荻原球太。野球をするために生まれたかのような名前の男だった。
「聞いたぜ、お前あの日以来野球してねえんだってな」
「・・・・・・」
どこで聞いたんだよ、そんなこと。俺は心の奥で吐き捨てながら、尚も荻原のことは無視するように歩き出した。俺は黒の制服をただ着ていたが、荻原は上下アジダスのジャージだった。白銀中学は、確か私立だったか。私服か? それ
「残念だよ、俺は。中学三年間通して、あれだけ熱い戦いができるのはお前が最初で最後だったってのによ」
「・・・・・・・・・」
笑えないくらいに、笑いたいくらいの冗談だ。ジリジリと灼ける灼熱のグラウンドで何度俺たちは対峙したのだったか。残念なことにもう、その記憶も霞んでしまっていた。
校舎が少しずつ遠ざかっているのを横目に、それでも尚俺の後ろをついてくる荻原に俺は少しずつイライラしてきた。こいつは一体なぜ俺の前に突然現れたのか。
荻原の身長は中学生にしてはずば抜けて高く、170後半はあるのではないかという大人顔負けの背丈をしていた。しなやかな筋肉に、無駄のない肉体。投手として全国大会でも名を馳せたに違いない。
「全国大会も見に行かなかったんだって?」
「・・・」
見に行くわけがない。行けるわけがない。吐き気を催すようなスポーツをどうして見に行けようか。
俺たちの中学では、部ごとに全国大会を見に行く権利(公欠ってやつ)が与えられていた。野球部も例外ではなく、卒部した三年生にも特別に公欠の権利は与えられていたのだ。
――もちろん、俺は行くわけもなかったが。
「やっぱつええよ、全国の奴ら」
「・・・」
荻原は何か悟ったように、そう言った。白銀中学が、荻原が全国大会でどんな結果を残したかということについても、俺は何も知らなかった。ほんの少しだけ知りたい気持ちもあったがそんな気持ちはグラブとバットと一緒に、疾く押し入れの中に押しやった。
俺は、野球に関する全てを俺の視界から排除したかったのである。
「中波と同等、いや、それ以上にスゲエバッターがわんさかいてさ。俺なんかまだまだ井の中のナマズ? だっけか、そんなもんなんだなって思ったぜ」
「・・・カワズ、な」
「おーそれそれ、カワズ? ってやつだ。てか、急に喋るじゃん」
カワズは蛙のことだぞ、と言ってやろうかとも思ったが、またべちゃくちゃ喋りだした荻原に腹が立ったので、また少し黙ってやった。
「なんつーかさ、どこまで行っても、どれだけ練習しても、上には上がいるんだなあって感じだぜ」
「・・・あっそ」
「そうそう、世界で一番野球がうまいのは俺だと自負してたのに、どうにもなかなか、うまくいかないもんだ」
「・・・」
少しずつ蘇る俺の感覚が、荻原の言葉に呼応しているように感じた。
荻原と俺は、違う。
中学も、なんなら小学校も、住んでる家も、育った環境も何もかも違う。
俺たち二人を繋ぐものはただ一つ。野球というスポーツだけだった。
その媒体は俺の中で消えかけていたものだったが。
校舎が随分小さくなって、日が少しずつ橙色に近づいていた。
大通りを挟む交差点の赤信号で、俺と荻原は立ち止まる。こいつは一体どこまでついてきやがるのだろうと思ったその時だった。
「なあ、中波」
「・・・んだよ」
無視できない気がして、つい言葉を返してしまった。
「久しぶりに、キャッチボールしねえか?」
荻原はいつも陽気な奴だった。何度対戦しても、何度俺との直接対決に勝っても、負けても、いつも晴れやかに笑っていた。心の底から野球を楽しんでいる奴だと思った。こういうやつと一緒に野球が出来たらきっと楽しいに違いない。そう思うくらいに憎めないライバルだった。
あの日、俺が三振して終わった地方予選の決勝でさえ、荻原は健やかな顔で俺に声をかけた。
「また野球やろな」
そういって、歯を見せて笑う荻原は、ぶん殴ってやりたい気持ちと一緒に、すがすがしい敗北感を俺に与えてくれた。そういう意味では、俺はこいつに救われていたのかもしれない。無数の憐れみの視線に嫌気が刺していた俺に、一切同情などしない荻原のふるまいは有難かった。
でも、それ以上に。
「ちょっと話したいこともあるし、久しぶりにしようぜ」
「・・・」
目の前を通り過ぎる車の音が聞こえる。荻原の声は、まだ声変わりのしていない甲高い声だった。俺は、小さく頷いた。
「よし、それじゃ行くか」
後ろでグラブをパンパンたたく音が聞こえた。荻原のいつものやつである。右手で握りこぶしを作って、左手のグラブ内に叩きつける。野球部員なら誰でもしそうな動きだと、俺は振り返ることなくそう予想した。
でも、やっぱり、何より気になったことがあったから、俺は荻原の方を向けなかった。
「楽しみだなぁ、お前とキャッチボールすんの。むっちゃ久しぶりだ」
不思議なことに、荻原の声はどこかさみしそうだったから。
選手名録
『荻原球太 適正:投手SS
打:B パワー:B 走:A 守:B+ 肩:S++ 精神:B
スタミナ:A 制球力:B 変化球 C(スライダー・チェンジアップ) 直球:S
特性:鋼の心臓、カリスマ、剛腕、威圧
ログ
※上記は全国大会出場前の能力値 以下のログにより、現在は測定不能
・???』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます