第2話 七柱の神

 あおい半透明の球体が消え、女は自身が居住する空間に立った。


 玄関であるその位置から右手にキッチン、左手にトイレと浴室。


 正面にはフローリングの床が広がるリビング。


 特に目新しいものもないマンションの一室を思わせる。


「ただいまー」


 いつもように女、岩東那月いわとうなつきが言った。


「おかえりなさい」

「おかえり」

「おかえり那月」

「ガーッハハハ、おかえり」

「おかえりなさいでッス」

「おかえり~、那月」

「ご苦労さん、那月」


 惣神そうしん銃神じゅうしん呪神じゅしん武神ぶしん宅神たくしん衣神いしん商神しょうしん


 那月を取り巻く七柱の神たちが迎えた。


 とはいえ、そこにその姿はない。


 神たちはすぐそばにあって声をかけるが、那月は見ることも触れることもできない。


「那月、今日はもう終了ですか?」


「ううん。まだやる。ちょっと休憩」


 優しい女教師のような惣神の問いに、那月はリビング中央にあるソファーに座りながら答えた。


「タクロー、コーヒーちょうだい。冷えたやつ」


「了解でッス」


 愛称で頼まれると、宅神は快く引き受けた。


「どうぞでッス」


 そう言うと、目の前のテーブルに白いマグカップが出現した。


 外側にウサギが描かれ、中にはアイスコーヒーが淹れられている。


 氷はないが那月用にミルクとシュガーが程よく入れられた特別性である。


「ふう……」


 一口飲んで幸せの息をはく那月。


 それが全てを表し、宅神を含めた神たちは見えなくても笑みを浮かべた。


「しかし、先ほどの夜獣やじゅう、思いのほか丈夫だったな」


 呪神が、気丈な姐御のごとく那月に言った。


「ほ~んと。燃聖弾ねんせいだんの転移射撃で倒せると思ったんだけどね」


「聖弾をマガジンチェンジで火炎状にしての結果だからね。今回は相手の防御力が上だったわけだが、切り替えて結線弾けっせんだんを放ったのはお見事」


「ふふ、ありがとう」


 銃神の紳士的な賞賛に、那月は素直に喜んだ。


「ガーッハハハ、そして見事な葉添はそえ、キレがましたな」


「まあ~ねえ」


 豪快な男の笑い声から、投げ技に対する武神の褒め言葉を受けて、那月は、鍛錬のたまものですからの意を含んだ表情をさせて答えた。


「それで、服は汚れなかったみたいだけど、汗は大丈夫?」


「走ったり、乱戦になったわけじゃないからね。大丈夫。フクサンの選ぶスーツはいつも快適」


 近所の明るいお姉さんのような口調で心配する衣神に、根拠を付け加えて安心させようと話す那月。


 実際、那月の着用している紺色の上下スーツはスポーツウェアなみに動きやすく、白のインナーと同様に通気性と速乾性に優れていた。


 履いている靴下や黒のローファーにしても同様である。


「その分、神貨しんかは張るがな」


 そこへ、したたかな爺たる声で商神が言った。


「だが、それに見合う良い物だ。いつもいい仕事している」


「あ、ありがとう」


 思わぬ商神の評価に、衣神は恥ずかしながら礼の気持ちを表した。


「先ほどの夜獣、都市神とししんに交渉して、討伐代に二十万神貨ぐらいにはなるようにする。任せておきな」


「よろしく」


 敬礼のようなポーズをして、那月は再びコーヒーを口に入れた。


「でも那月、気をつけてください」


「原則、魔法でなければ倒せない相手だからね」


「さよう。あれは不安や怖れ、怒りや憎しみ、悲しみなどを含んだ負の感情のかたまり。言い換えれば癌細胞がんさいぼうのようなものだが、物理では消せん」


「増えてしまうと人々の精神が暗黒にいざなわれ、社会が混乱してしまいまッス」


「ガーッハハハ、しかも言葉が通じんから戦うしかない」


「那月以外、人間は衣服ごしでも触れられれば侵食されてしまう」


ゆえに都市神なんかの神は報酬を払う価値があり、俺らはたんまりと頂いているわけだが、欲張りすぎて自身がやられちゃあ駄目だわな」


 七柱の神はそれぞれの言葉で那月を気遣う。


「はい、わかってます。無理はしません」


 自分を大事に思ってくれる存在がある。


 那月は感謝の笑顔で答えた。


「さて、それじゃあ参りますか」


 マグカップの残りを飲み干し、那月は元のところへ置いた。


 そして静かに立ち上がり、玄関へと向かう。


 当然、那月の右腰にはホルスターには魔法を撃ちだす銃、スピールが納められている。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


 神たちの声を受け、那月は玄関のドアを開けた。


 同時に、蒼い半透明の球体が那月の身体を包み、夜の世界へと消えた。

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