3.キーリはかつて“魔女”だった

 翌朝、エリィが仕事を終えてクォーツ・タイムス本社のカフェテリアに向かうと、壁際の奥まった席にローブを外したスゥが待っていた。

 見れば、窓から離れた席ということもあって、ギリギリ日の光がかからない席らしい。早朝の時間で日光がそれほど強くない、というのもローブを外している理由かもしれなかった。


「お待たせ、スゥ。ローブは大丈夫?」


 けれども、昨日食堂で追い出されているのを見ているせいで、何となくそう声をかける。スゥはホットココアの入ったマグカップを抱え込みながら、「何とか大丈夫です」と小さな声で答えた。昨日から思っていたが、スゥは声が小さい。


「エリィさんこそ、お仕事は大丈夫ですか?」

「もちろん。ちゃんと終わらせてきたわ。お給料ももらったし」


 にこりと笑んでみせると、スゥは少し安心したような顔をした。

 今日はこの後、自警団に話を聞きに行くことにしている。朝の配達時、警備室にいたロバートに後ほど取材をしたいとの許可をとっていた。


「いい? スゥ。話を聞きに行くとは言っても、馬鹿正直に魔法使い探しをしていますなんて言えないから、あなたの恩人を探しているってことにするわ。下手に嘘を吐くとボロが出そうだし……キーリが傭兵をしながら各地を回っているんなら、どこかで命を救われたことにしてもおかしくはないもの」


 もしかしたら戦闘になるかもしれないので、エリィは気に入りのクロワッサンサンドとコーヒーを持っている。スゥが興味深げにクロワッサンサンドを覗き込んだので、「追加で頼んでもセットになるわよ」と教えてやった。スゥは嬉しそうに顔を明るめると、「いってきます!」と慌ただしく席を立った。コーヒーの場合はクロワッサンサンドとセットで五百モースだが、他のドリンクの場合はドリンク代が五十モース引き。レジカウンターでスゥがあれこれ話をしているのを見つめながら、エリィは気合を入れてサンドに齧りついた。


(ロバートの話だと、確かにキーリって傭兵を雇っているみたいだけど)


 会えるかどうかはわからないなあ、とエリィは考える。先ほど、配達してきた時のことだ。

 今日も警備室にいたロバートに、本日の朝刊を手渡しサインをもらう間、少しだけ話を聞いていた。「キーリという傭兵はいるか」と聞くと、ロバートは怪訝そうに首を傾げながらも「いるぜ」と教えてくれたのだ。


「赤髪のキーリだろ? さすが、エリィは記者志望なだけあって、傭兵のことも詳しいんだな。この手の怪我もそいつのせいだよ」


 言いながら、ロバートは右手の包帯をゆっくり摩った。


「女なのに俺より身長高くてさ。剣術が見事なんだ。叶わないのは分かってたんだが、一度手合わせしてもらいたくってなあ」


 怪我が治るまでまだ少しかかるらしいが、それでもロバートは嬉しそうな顔をしていた。本当に強かった、と言葉が続いたので、エリィは「ふぅん?」と首を傾げた。エリィだったら、痛いのは嫌だし、怪我をさせてきた相手を好ましくは思わない。ロバートは自警団員で、戦うことを仕事としているのだから、記者になりたいエリィとは感覚がまるきり違うのだろう。


「その人、二ヶ月くらい前の傭兵招集で来た人でしょう。そんなに強いの?」

「一撃が重たいな。まあ、エリィは剣を握らんから、どう強いかって言ってもわからないと思うが……」


 攻撃も素早いし一撃一撃が重たいので、躱すのも受け止めるのも困難なのだ、とロバートは教えてくれた。それで、なるほど身体強化の魔法は使いこなしているらしい、とエリィは考える。昨日スゥから聞いた話では、習得できたかどうかまではわからなかったが。


「どうしたって、急にキーリのことを?」


 昨日は気にしてなかっただろ、とロバートが首を傾げる。エリィは精一杯困ったように見えるよう、眉尻をグッと下げると、「実は昨日、」と口を開いた。


「その、キーリって傭兵に助けられたって子と会って。どうしてもお礼を言いたいって行方を探してるらしいのよ。傭兵だったって聞いたから、この間の招集の時に来てたりしないかしらって」


 正解だったわ、と続けるとロバートは感心したように頷いた。


「さすがキーリだなぁ。もう何年も傭兵業で身を立ててるって聞いたけど、街から街まで追いかけてくる子なんていないぜ」

「そうよねぇ。それで、私も何とか力になりたくって。今日の午前中、キーリに会うことはできないかしら」


 問えば、ロバートは「そうだな」と頷きながら、机の下で何かを確認したようだった。各隊の予定表かもしれないし、訓練場の予約表かもしれない。いるかわからないけど、とロバートは顔を上げる。


「今日は討伐の予定もないし、運が良ければ訓練場にいると思うぜ。声かけてくれりゃ、通せるようにしておくよ」

「ほんと? ありがとう、ロバート!」


 喜んで礼を言うと、ロバートは少しだけ顔を赤らめて「別にいいよ」とそっぽを向いた。分かりやすく照れているらしい、エリィはそれにくすくすと笑ってから、じゃあ行くわ、と次の配達に向かったのだった。


(とりあえず、会えるか確証はないけど、行ってみる価値はあるわよね)


 となれば、スゥとある程度の擦り合わせはしておかなければならない。まさか自警団の詰所内で魔法戦闘を起こさせるわけにもいかないし、何となく、スゥの使う影魔法は、あまり大勢のいる場所で使わない方が良い気がした。


「お待たせしましたぁ」


 考えながらエリィがクロワッサンサンドを半分ほど食べ終えた頃、スゥがのんびりとやってきて、目の前でにこにこと笑いながらサンドに齧りつく。エリィのものと同じ、スクランブルエッグの挟まれたクロワッサンサンドである。ドリンク代の値引き分を引いてもらったのかと思っていたが、ちゃっかり新しいホットココアを持ってきたので、追加で注文したらしい。見れば確かに、スゥの最初のマグカップは、ココアがほとんどなくなっていた。


「食べながらでいいから聞いてちょうだい」


 もぐもぐとゆっくり食べるスゥを見つめながら、最後の一口を食べ終えてエリィはコーヒーを一口啜る。話しかけるとスゥはサンドに齧り付いたまま大きく頷いた。声を出せない代わりに動きを大きくしたのだろうが、今はローブもとってしまっているので、どうもあざとい動きに見える。エリィは苦笑を浮かべた。


「あなたは西の方の街でキーリに命を救われたってことにしておく。分かっているのはキーリって名前の傭兵に助けられたってことだけで、赤い髪の女性だったことしか分からない、という設定にするわ。

 自警団の知り合いから、キーリって名前の女性の傭兵がいることは聞いてきたの。今日の午前中、行けば通してくれることになってるわ」


 続けて言えば、スゥの大きな目がぐっとさらに広がった。透き通った青い瞳が息を飲む音と同時に溢れてしまいそうで、エリィは少し緊張してスゥの様子を観察した。

 スゥは驚きを示した後、少しばかり口元を強張らせて、「それは、」と言葉を躊躇った。よく噛んで口の中のサンドを飲み込んでから、ホットココアを少しだけ口に含む。


「戦闘の可能性があるってことでしょうか」


 スゥの硬い声にエリィは肩を竦めた。「わからない」と正直に答える。


「通してくれることにはなってるけど、今日、キーリと会えるかどうかは分からない。でも、可能性はあるわ」


 だから戦闘になった場合のことも決めておきましょう、とエリィは続けた。スゥは大人しく頷く。


「魔法使いたちは、人間に魔法戦を知られたくないって聞いてるわ。合ってる?」


 問えば、これにも同じように頷いた。エリィも頷き返して、「私としては惜しいところだけど」と顔を歪める。


「どんな魔法を使うか完全に把握できているわけじゃない以上、いくら自警団の中とはいえ、怪我人が出る可能性は無くしておかなきゃならないわ。まず、話が通じそうであれば話を聞いてみる……ってことで、いいかしら」

「大丈夫です。学校でも、魔法使いの悪魔憑きには、周囲への被害を出さないようにまず対話から入れって教わってます」


 頑張ります、とスゥが小さく拳を作る。エリィは歪めた顔を苦笑に変えて、とにかく食べちゃいましょ、とスゥの食事を促した。


「まずはキーリがいるかどうかよ。話、だったら私もなんとか助けになれると思うから、頑張りましょ」


 スゥは慌てた様子で再びクロワッサンサンドに齧り付いた。端からはみ出たスクランブルエッグが、ぽとりと皿の上に落ちた。





 少し散策をしながら時間を調整して、午前十時。エリィとスゥはモリオン地区の自警団詰所・警備室を訪れていた。

 早朝訪れた時と同様、警備室にはロバートがいて、彼の他にもう一人、同じ第二小隊所属のトーマスがいた。二人に声をかけると、丁度シフト交代のタイミングだったらしく、ロバートが「丁度よかった」と笑みを浮かべた。


「今、エリィのことを話していたところだったんだ。来てくれたんなら話が早い。俺が案内するよ」


 言って、ロバートはエリィの隣に立つスゥに視線を向けた。それから、少しだけ驚いたように身を引く。

 十時にもなれば日光が明るく街を照らしている。流石のスゥも今はきっちりローブを被り、昨日アパート近くで見た時と同じ格好になっていた。顔も見えないようにしっかり深く被ったフードは、理由を知っているエリィから見ても些か怪しげだ。自警団のロバートやトーマスから見れば余計に怪しく思えただろう。


「エリィ、その子は?」


 驚いたまま口ごもるロバートに代わって、横からトーマスが尋ねてくる。

 トーマスはロバートの同期らしく、二人で連むところをよく見かけた。クォーツ自警団に知り合いの多いエリィだが、第二小隊の面々とはとりわけ仲が良く、その中でも警備室担当になりやすいロバートとトーマスの二人は特に親しい間柄だった。例えエリィでなくともトーマスはスゥについて尋ねただろうが、エリィが連れてる相手だったから、問答無用で斬り伏せることをしなかった、とも言える。


「スゥよ。この子、太陽の光に当たると蕁麻疹が出るアレルギーがあるの。それで、日中はこうやってローブで遮ってるの」


 言いながら、エリィは最新の注意を払ってスゥの顔を覆うフードの部分を少しばかり持ち上げた。スゥが突然のことに「エリィさん!?」と小さく非難の声をあげたが、僅かでも顔が見えたスゥに、トーマスが「なるほど」と頷いた。ロバートにも見えるように、エリィはロバートの方も向かせてやる。


「わっ」

「こりゃあ……アレルギーがなくっても、確かにフードで隠してた方がいい気もするな」


 しっかりと顔を認識して、ロバートが思わず、と言った様子でつぶやく。トーマスが笑いながら「違いない」と言ったので、エリィはスゥのフードを戻してやった。


「きゅ、急にやらないでください……!」

「ごめんごめん」


 スゥは余程驚いたらしく、もう二度とエリィに触らせるものか、と言わんばかりの勢いでフードの裾を押さえ込んだ。その可愛らしい顔が見えなくなって、男二人が少しばかり残念そうな顔をする。エリィは全くもう、と内心ため息を吐いたが、とにかく要件を済ませよう、と、ロバートに向き直った。


「それで、ロバート。案内してくれるって」

「あ、ああ。訓練場まで連れてってやるよ。丁度、第一小隊が使ってるはずだから、キーリもいると思うぜ」


 言いながらロバートは警備室からのっそりと出てくると、スゥに向かって右手を差し出した。


「俺はロバート。クォーツ自警団第二小隊に所属してる。よろしくな」


 体格的に、エリィよりも年下の少女だと判断したのだろう。スゥが戸惑いながらも「スゥと言います。よろしくお願いします」と小声で挨拶仕返す。ローブの下からするりと出した右手は手袋をしていて、用意周到だな、とエリィは思った。

 自己紹介が終わったところで、早速ロバートが歩き出す。訓練場はこっちだ、と示されながら、敷地の奥の方へと向かう。

 エリィは自警団の面々と仲は良いが、敷地の中まで入ったことはない。詰所の中は一般人の侵入を禁じられているのもあるが、エリィの用事が基本的に警備室で完結してしまう、というのもある。新聞配達で訪れる先が警備室だということも勿論だが、取材――あるいはネタ探し、記者ごっこ――の時に立ち寄るのも警備室だからだ。詰所の内部に入ったところで出てくる噂は自警団の内部に関してばかりで、エリィの求める情報は薄い。警備室であれば周囲の噂話も入ってくるし、自警団内部の情報も聞くことができる。端的にいえば、それ以上中に踏み込む必要がなかった。

 なので、スゥだけでなくエリィも敷地の奥に向かうのは初めてのことだった。せっかくなのできょろきょろと周囲を見回しながら、ロバートの後をついていく。

 訓練場は、詰所の裏側にあるようだった。詰所から直接迎えるよう渡り廊下で繋がっているが、訓練場は外からも入れるよう、別の入り口も設置されているようだった。エリィとスゥの二人が案内されたのはそちらで、大きなホール状の建物の中では何人もの自警団員が二人一組になって組み手をしていた。


「今は丁度組み手だな。素手勝負。ああほら、狙い通りだ。あっちにいるのがキーリ」


 入り口から中を覗く感じで、ロバートが中の様子を教えてくれた。

 板張りの床の上にはマットも何も敷いていない。二人一組、は特に決まった位置で組み手しているわけではなかったようで、ペア以外の攻撃もスレスレで躱しながらしているところもあれば、ずっと奥の方で組み手をしているペアもいる。エリィのすぐ目の前のペアのうち、腹を蹴られたのを受けきれずに盛大に吹っ飛んだので、エリィは思わず「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。悲鳴を上げたのはスゥも同じタイミングだった。

 あっち、と、ロバートが示してくれたのは、訓練場の一番奥で組み手をしているペアだった。

 なるほど、「赤髪のキーリ」なんて呼び名がつくだけあって、キーリ、と思しき女性は見事な赤色の髪を持っていた。獣の魔法使いと聞いているが、頭やお尻、手足に目立つ獣化現象は見られない。手袋などをしている様子もなく、素足、お尻周りが不自然に膨らんでいることもないので、目立つ部位が獣化しているわけではないようだ。

 ロバートが「俺よりも背が高い」と言っていた通り、キーリは相手の男性よりも頭一つ背が高く、長い手足を使って大きな攻撃を連発しているようだった。相手の男性は見覚えがあって、エリィは思わずロバートを見上げた。


「ダンテ隊長?」

「お、さすが記者志望」


 本日二度目になる褒め言葉を受けて、エリィは思わず顔を顰める。揶揄われているように感じたのだ。ロバートは「その通り」と肯定すると、改めて二人を示した。


「キーリはダンテ隊長のお気に入りらしくってな。そのせいで、奥方と喧嘩になったくらいで……」


 おや、とエリィは瞬いた。昨日、マリーから聞いた話と同じだったからだ。


「レストラン・アゲートで奥様と喧嘩しているダンテ隊長の噂が出てますよ」


 言いながら、エリィはボディバックから手帳を取り出した。新しいページに“ダンテ隊長のお気に入り”と“キーリ”の名前を並べておく。ロバートが興味深げに覗き込んだので、昨日書きつけたページは開くのが憚られた。


「お話することはできるでしょうか」


 じっと、ダンテとキーリの組み手を見つめていたスゥが、控えめな声で問う。ロバートは微笑ましそうに笑みを浮かべると、「スゥちゃん、キーリに助けられたことがあるんだってな」と、今朝方エリィが話したことを言いながら、感慨深げに「任せとけ」と自分の胸を叩く。妙な使命感を抱かせてしまったようだ。

 スゥが戸惑いながらも「お願いします」と頭を下げる。ロバートはそれで、エリィたちに「ちょっと待っててな」と告げると、静かに訓練場の中へ入ってしまった。


「あれがキーリで間違いない?」


 ロバートがいなくなったので、小さな声でエリィは尋ねた。スゥはローブの中で頷くと、「間違いなく、悪魔憑きです」と答える。こちらは小声ながらも、はっきりとした声だった。


「分かるの?」

「私、あの、落ちこぼれですけど、“目”は人一倍いいんです。その人の魔力が悪しき色かどうか、魔法を使われなくても、見ただけで分かるんです」


 スゥは小声のままそう説明した。エリィは「そうなんだ」と頷きながら、存外スゥは潜在能力は高いのかもしれない、と思い直す。

 落ちこぼれで追試三回目のスゥが寄越された時点で、キーリの討伐はできないだろうと思っていたが。案外能力の高さを見込まれて難しい試験ばかり受けさせられているのかもしれない。


(本人がこれだけ自信ないものね……)


 自分を過小評価するあまり思うような結果が出せていないのだとしたら、損な性格だろう。

 エリィたちが見守っていると、ダンテ・キーリペアの元までたどり着いたロバートが、礼をしながらダンテに話しかけ、それから入り口に留まったままのエリィたちを示した。何度かやり取りがあったようだが、流石にここまで声は聞こえてこない。二人が緊張して待っていると、ロバートがキーリを伴いこちらへ戻ってきた。どうやら話がついたらしい。


「いい、スゥ。最初は対話よ。静かなところでお礼をしたいっていって、人目のある……カフェとかに移動するのよ」


 エリィはなるべく穏やかな顔を浮かべながら、スゥに小声でそう言った。スゥが小さく頷く。ロバートが戻ってきた。


「待たせたな。こちらがキーリだ」

「初めまして、記者志望のエリィです。こちらはスゥ」


 ロバートが横にずれてキーリと対面させてくれたので、最初にエリィが間に入り挨拶をした。スゥはローブを被ったままなので、エリィが対応した方がスムーズだと思ったのだ。


「初めまして、キーリよ」


 訝しむ様子を見せながらも、キーリはスゥのローブには触れずに右手を差し出した。どちらに向けたものか分からず、エリィが手を取れずに躊躇っていると、スゥが一歩前に出て「スゥです、よろしく」とその手を取った。


「私に話があると聞いたのだけれど」


 キーリは特に不審に思わなかったらしい。ちらり、と視線をロバートに向けながら、スゥに問いかける。スゥは頷いて、「あの、以前あなたに助けていただいたことがあって」と言葉を繋いだ。


「よければ、静かなところでお話させて頂きたいのですが……」

「ああ、じゃあ、詰所の隣のカフェにでも行ってきたらどうだ? パンケーキが美味いぞ」


 どうだろうか、と、スゥが問いかけようとするのを遮ってロバートが口を挟んだ。エリィは素早く「それは良いわね」と頷く。


「ごめんなさい、私、この子に密着取材していて。私も同席して構わないかしら」

「私は問題ないけど」


 あなたはいいの? と、言いたげな様子でキーリの視線がスゥを見る。スゥもまた、素早く「大丈夫です」と頷いた。

 じゃあ案内するよ、と、再びロバートが声を上げた。自分も同席したい様子が伺えて、エリィは「大丈夫よ」とやんわり断る。


「隣のカフェなら、私もよく知ってるわ。あの、すっごくあっまいデラックスクリームパンケーキを食べたいならお店に来るのは構わないけど、生憎とスゥは辛党で、甘い物が苦手なの。席は別にしてもらうわよ?」


 知っている、と主張するために、店の名物パンケーキを話に混ぜれば、ロバートは顔を顰めて「遠慮しておくよ」と身を引いた。甘さを知っているらしい。


「デラックスクリームパンケーキなんて、ほぼシロップ漬けのパンケーキじゃないか。この間トーマスが食べてるのを見ただけで胸焼けしたんだ……」


 思い出しただけで気持ち悪い、と、言いながらロバートはくるりと踵を返す。


「じゃあ、俺はこのまま休憩だから、戻るとするよ。キーリ、スゥちゃん、二人とも良い話ができるといいな」


 すぐさま笑みに戻ったロバートは、穏やかにそう言うと、そのまま詰所の方へ向かってしまった。エリィが断ったのを聞いて、大人しく気を遣ってくれたらしい。


「ロバートさん、ありがとうございました!」


 慌ててスゥが頭を下げたが、ロバートは振り返らずにひらりと右手を振っただけ。格好つけただけだな、とエリィは思ったが、スゥはそうは思わなかったようで、「良い人だなあ」と呟いた。


「さて、じゃあ、私たちも移動しましょうか。キーリさんは、訓練はもう大丈夫なんですか?」


 なんなら終わるまで待つ、と言外に伝えたが、キーリは肩を竦めて「問題ないわ」と頷いた。


「私は傭兵で、ここの自警団に所属しているわけではないもの。訓練にしたって、あちらから訓練相手になってくれ、と頼まれているだけで、本来討伐以外の時間はフリーなの。連れて行ってくれる?」


 首を傾げて、キーリが促す。エリィは「もちろん、」と笑みを浮かべると、今きたばかりの警備室への道のりを戻り始めた。





 詰所の隣にあるカフェは、テラス席もある少し大きなカフェで、周辺のオフィスで働く人々でいつも賑わっている。

 商談などにもよく使われているようで、店内は満席、空いているのはテラス席だけだった。

 スゥのことが心配だったが、事前に「太陽の光にアレルギーがあって」とキーリに説明をすれば、一応納得してくれた。ローブを脱げと言われることなく、とりあえずテラス席に座り込む。

 ロバートの顰め面がよほど印象的だったのか、メニューを開いたスゥは“デラックスクリームパンケーキ”の文字を見ると少し怯えた様子で次のページを捲った。四時半過ぎにクロワッサンサンドを食べたきりなので、少しだけお腹が減っているのかもしれない。時刻は十一時になろうとしていた。

 人目のあるこの場所で何か仕掛けてくるとも思えないが、せっかく頼んで食べれない事態になるのは御免である。エリィもまた空腹を感じてはいたが、ぐっと堪えてアイスティーを三人分頼むに留める。用があるのはこちらなので、キーリの分はエリィが支払うことになった。


「それで、私にお礼をしたいそうだけれど、ごめんなさい、あなたのことを覚えていなくて……」


 アイスティーが並び終わると、早速キーリが話し始めた。ロバートがどうやら簡単に説明をしてくれたらしい。スゥが気持ちを落ち着けるように、一度緩く深呼吸をした。


「覚えていなくて当然です。実は、あたなたとお話がしたくて、嘘を、吐きました」


 きっぱりとスゥが告げる。「嘘?」と、キーリは眉を顰めた。


「ということは、やっぱり、あなたは……」


 それから、じっと疑うようにスゥを見る。スゥは自分からフードの裾を少しばかり持ち上げると、胸元の方が見えるように少しばかり襟ぐりも広げてみせた。

 スゥはローブの下に養成学校の制服を着ているようだった。昨日寝る時もローブを着ていたので、エリィはその下がどうなっているのか分からぬままでいた。丸襟の白いブラウスの上に、こげ茶のベストを着ている。襟元にリボンを巻いているが、そのリボンを止めるように、大きなエメラルドのブローチが収まっていた。

 その、ブローチを見て。キーリが驚いた顔をする。


「……管理局も酷なことをするのね。学生に私を追わせるなんて」


 それから、じっと、僅かに見えたスゥの顔を見つめた。

 エリィはブローチだけでキーリがスゥの正体を理解したらしい、と気づく。ブローチは養成学校の身分証明のようだ。


「まずはお話を聞かせてください。規則では、悪魔憑きといえど、管理局の管理下に入れば、すぐに討伐されることはないはず」


 話しを聞いて、改善の余地ありと見做されれば。スゥはそう言ったが、エリィは殆ど百パーセントでキーリは討伐されるのだろうな、と思った。例え本当に“そういう”規則だったとしても、少なくとも一人の魔法使いは確実に殺害しているのである。情状酌量の余地はないだろう。

 キーリもそのことを理解しているのか、笑った、らしい顔は歪だった。


「……まあ、いいわ。私も別に、好きであの子を殺したわけではないし……私の家族の話をしても良いかしら」


 良いかしら、と言いながら、キーリはアイスティーを一口飲む。エリィは黙って見守ったまま、スゥが「お願いします」と促した。

 するりとグラスの表面を水滴がおちていく。エリィは長くなりそうだな、と思いながら、いつキーリが襲いかかっても良いように、少しだけ居住まいを正した。





 キーリは北の生まれだと言った。

 魔法使いにしては珍しく、キーリの家族は全員が魔力を持っていた。


「母は魔法使い。父は母の“使い魔”で、姉は管理局所属の魔法使いだったの。幼い頃から魔力に触れていたから、私も当然魔法使いになった」


 全員が魔力を有していたために、互いの代償についてや、魔法のこと、魔力のことについて他の魔法使いたちよりも詳しく知っていた。

 キーリの姉は優秀な魔法使いだったらしく、管理局の仕事で各地を転々としていたらしい。母もまた、若い頃は管理局所属の有能な魔法使いだったらしいが、キーリが養成学校に入る頃には引退をして、細々と、人々のささやかな願いを叶えるような、古い魔法使いの形態で故郷の村で生活していた。


「私、母の魔法使いとしてのあり方がとても好きだったの。姉は忙しそうで、管理局の仕事はやりがいがありそうだったけれど、自分の思う通りに誰かを救うことはできないんじゃないかって思いがずっとあって。だから、養成学校を卒業した後、管理局の所属にはならなかった」


 キーリは首席で学校を卒業し、管理局から招集を受けるほどの腕前だった。けれどどうしても自由に人々の助けとなる仕事がしたい、と主張したキーリの意を汲んで、結果的には所属とならず、フリーの魔法使いとして在ることを認められた。


「本人は何も言ってなかったけど、多分姉が色々と取り計らってくれたのね。それで、在学中に覚えられなかった身体強化の魔法を習得するために、まずは獣の魔法使いの師匠を探す旅に出たの」


 あちこち旅をしたわ、と、キーリは遠くを見つめて言った。どこか懐かしむような顔で、どのくらい前の話なのかわからない。エリィは手帳に話を書き留めながら、氷が溶け始めたアイスティーを静かに啜った。


「師匠の元で身体強化の魔法を覚えて、傭兵として身を立てることに決めてからは、魔法使いではなく傭兵として旅をしたわ。あちらこちらで災害救助だの、魔物討伐だのに参加して、多くの人を救えたと思う。三年くらいかしら、たまたま同行したキャラバンが北の方へ向かうと言って、それじゃあ久しぶりに故郷に帰ろうかしらって思ったの」


 震える声で、キーリは「帰らなきゃよかった」と呟いた。


「どういうことですか?」


 スゥが問いかけると、キーリは暗い瞳でアイスティーを見つめる。エリィとスゥのグラスはいくらか減っていたが、キーリのグラスはまだ一口分しか減っていない。


「実家がなくなっていたの」


 ぽつりと吐いて、キーリははあ、とため息を吐く。


「崩れ落ちた家屋と、魔法の名残だけがあった。そこにあるのが伝達魔法だって気がついて、作動させてみたら管理局の魔法使いが残した、私宛の伝達文があったわ」


 急な展開に、エリィが思わず「なんて書いてあったんですか」と問う。キーリはちらりとエリィを見ると、緩く笑んで、「母が、死んだと、」と、続けた。


「母が、悪魔憑きになって、そのせいで母の“使い魔”だった父も悪魔憑きになって、たまたま居合わせた姉が、二人を討伐したと。その後姉は、自害したと」


 スゥがはっと息を呑んだ。ローブで表情が見えない、が、その目が大きく見開いたのを感じる。

 エリィもまた息を呑みそうなのを堪えて、「それって、」と話を促した。キーリが頷く。


「状況がわからなくって。管理局にすぐに問い合わせたの。でも、管理局は所属の魔法使い以外に討伐状況の開示ができないって追い出されてしまって……困っていたら、姉の同僚の一人が声をかけてくれたの」


 右目に花が咲いていたから、芽吹の魔法使いね、とキーリは力なく笑う。


「母は、静かに暮らしていたの。故郷の村では“魔女様”って慕われていて。あなたたち、古い“魔女”の商いを知ってる?」


 ふと、思いついたように挟まれた話に、エリィは戸惑いながら首を振る。キーリの視線がスゥに向いて、スゥも同じように横に振った。


「今は殆ど廃れてしまって、辺境の村でもない限りないものね……はるか昔は、魔法使いは人々にもう少し認知されていたそうよ。今よりもずっと控えめな魔法を使って――そうね、どちらかというと、養成学校でならう予知魔法とか、加護魔法とかのもっと簡単にしたもの、に近いかしら――人々の“困ったこと”を解消する代わりに、お代を頂いて生計を立てていたの」


 聞けば、男の魔法使いは戦力となるため外に出ることが多く、そうして生計を立てるのは女の魔法使いばかりだったらしい。なので、ちょっとした“困ったこと”を解消して代金を貰う商売を、昔は“魔女の商い”と呼んだらしい。


「私の母は、管理局を引退してからずっと、魔女の商いで生活していた。父も同様よ。村の人々はそれを受け入れて、母を頼りにしていたの」


 だからこそ、キーリは彼女の母が悪魔憑きになったことが受け入れられなかった。


「物事の善悪の別がつかない、愚かな子供がいてね。母を誰も来ない古びた倉庫の中に閉じ込めてしまった。父はたまたま出張で首都まで出ていて、母は数日、倉庫の中に閉じ込められたままだったそうよ」


 それで、スゥがはっとした様子で顔を上げた。キーリが真っ直ぐとスゥを見ている。


「もしかして、」


 震える声でスゥが問うた。キーリも頷く。エリィは二人の様子を見ながら、ああなるほど、と、理解した。


「母は宵闇の“魔女”だったの。魔法を使う代償として、日光を浴びると苦痛を受ける体になっていたけれど、日光を浴びることで、体内に蓄積される魔力の毒素を浄化することができた……数日間、倉庫に閉じ込められたりしなければ」


 なるほど、それで彼女の母は悪魔憑きとなってしまって、“使い魔”の父もまた、引きずられるように悪魔憑きとなったのだろう。

 魔力、とは。生物に毒となる物質でもあるため、魔物が生まれ、魔法使いが生まれ、悪魔憑きが生まれる。魔力に侵された肉体は二度と魔力のない状態に戻すことはできず、従って、魔力の循環によって生じる魔法使いの代償は、最終的に魔力の毒素で肉体が侵され、死を招くものばかりだ。

 代償は代償であるけれど、転じて言えば、受け入れることによって体内の魔力を減らすこともできる。代償の種類にもよるが、スゥやキーリの母のような、“宵闇の魔法使い”と呼ばれる人々は、苦痛を感じながらも日光にあえて浴びることで、毒素を薄めることができた。

 キーリのような“獣の魔法使い”は、生き物の生き血を吸い続けなければならないが、吸う度に毒素を薄めることができると聞いている。キーリの母は魔女商いをしながら、あえて日光を浴びる時間などを作って、魔力の進行が緩やかなものとなるように――悪魔憑きにならないように、魔力に侵され死なないように――調整をしていたのだろう。

 それが、心ない子供の行動で崩されてしまった。どのくらいの頻度で日光を浴びていたかは分からないが、キーリは少なくともエリィより年上で、その彼女の母なれば、それなりの頻度で日光を浴びていたはず。

 スゥの体がかたかたと小さく震えた。


「そんな、ひどい――」


 キーリの母がどうして悪魔憑きになったのか、理解してしまったのだ。同じ宵闇である以上、スゥには身近な恐怖に違いなかった。


「母は倉庫の中で、一人魔力に侵され死んで――思わず、恨んでしまったんでしょうね。悪しき心が一瞬に広がって、死後悪魔憑きとなって復活した。父は母が死んだせいで、母と繋がっていた魔力の毒素が一気に流れ込んでしまって――魔力を通した異変に気づいた父が、村に到着するまで、あとほんの数分だったそうよ」


 けれども間に合わなかった。


「姉はたまたま帰省をしている最中で――道中緊急の任務を受けて、到着後、そのまま」


 黒い嵐となった母の成れの果てと、巨躯の化け物となった父の成れの果てを、泣きながら討伐したと聞いてるわ。

 キーリはそれで話を区切った。


「話してくれた同僚の人はそこまで教えてくれなかったけど、多分、姉もまた悪魔憑きになったんじゃないかと思っているの。だからかしら、どうしても――」


 ふと、キーリは顔を上げると、スゥのローブの内側を見透かすように目を細めた。急に緊張感が張り詰めて、エリィは思わず腰を浮かせる。スゥが話の重たさに、どう見ても反応出来なさそうに見えたからだ。


「どうしても、魔力に侵されることが怖くって。必要以上に血を飲んでしまうのよね」


 言いながら、こくり、と、キーリの喉が鳴った。

 慌てて立ち上がって、エリィはキーリの前に乱暴に名刺を置いた。スゥとキーリの間を遮るように手を伸ばし、「あ、の!」と声をあげる。この場がテラス席だったのが幸いした。店内だったなら、多少声が響いただろう。


「……管理局は、あなたのことを、知っていますよ、キーリさん」


 なんと続けようか、迷って、エリィはそう言う。面白そうにキーリの片眉がひょいと上がった。まじまじとエリィを見つめて、「あなたが?」と問う。


「あなたがどうして知ってるの? 管理局のことを、魔法使いのことを」

「……記者、なので。魔法使いとも関わりがあるんですよ」


 とにかく、スゥへの嫌な視線は消え失せたようだった。そのままエリィはローブの上からスゥの腕を掴み取ると、無理やり立たせて頭を下げる。


「今日はお忙しいところありがとうございました。何か困ったことがあったら、どうぞ、こちらに連絡して下さい」


 それから、キーリの前にエリィのアパートの住所を記したメモを置く。キーリはメモを取ると、楽しげに「スゥちゃんもあなたのところに?」と問うた。


「ええ、まあ」

「そう。じゃあ、滞在中、時間ができたら遊びに行くわ」


 思っていたのと違ったから、と、キーリは呟くように付け足す。エリィはそれには応えずに、もう一度頭を下げてスゥのことを引っ張った。

 三人分の会計をして、大股で店を出る。少しでもキーリと距離を取りたくて、エリィの気持ちはざわついていた。


「エリィさん、あの、腕、痛いです。もう大丈夫ですから、」


 それで、スゥが困ったように申し出るまで、その細腕を強く握ったままでいた。

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