第二話

 鎧を脱ぎ、ベッドに横たわる。魔物との戦闘はしていないから、普段より肉体的疲労は少ないはずだが、もう二度と起き上がれないのではないかと思うほどに体は重かった。


 脳裏に焼き付いたあの光景を何度も思い出す。あれは間違いなくカルナだった。それがすなわち何を意味するのかはわからない。俺を誘い出すために魔物が擬態でもしているのか、仲間を失った悲しみから俺が幻覚を見ていたのか。それとも——。あの不吉な噂が頭をよぎる。まさかこれが、水魔の呪いだとでもいうのか。


 魔法や呪いの類にはそこまで詳しくはない。そういったことは大抵カルナがどうにかしてくれた。だがこうなってしまった以上、自分でどうにか調べるしかない。幸いまったく心当たりがないわけではなかった。ここで一年以上冒険者をやっていたからそれなりに知り合いはいる。今はあの人に頼るしかない。明日さっそく訪ねてみよう。


 結局その夜はほとんど眠れなかった。




「あらお客さん、申し訳ないけどまだ準備中……って、ルッツ君?」


「マダム、聞きたいことがある」


 この酒場は昼間は営業していない。当然客がいるわけもなく店内は静かだ。そしてカウンターの奥に目当ての人物はいた。通称マダム、この店の経営者だ。


「洞窟で倒れてたって聞いて心配してたのよ。……二人のことは残念だったわ。でもね——」


「今はそんなことどうでもいい。水魔の呪いについてあんたに詳しく聞きたい」


「……何かあったの? そんなのただの迷信だって言ってたじゃない」


「……人を魔物や異形の怪物に変えるような呪いは存在しているか? 元冒険者のあんたならわかるだろ」


 マダムはすぐには答えなかった。哀れむような、慈しむような、そんな眼差しを俺に向けてくる。その目を見ていると心の中の苛立ちや焦りが不思議と落ち着いて行った。マダムはきっと何かしらの答えを持っている。そう確信することができたからかもしれない。


「結論から言うと、そんな呪いは存在しないわ。……ただし、死者を怪物に変え傀儡にする呪いならある」


 ゆっくりと潮が引いていくように、俺の心が冷えていく。俺はこんな状況にあっても、心のどこかでわずかな希望を探していたらしい。あいつらは死んだんだ。俺は生き延びてしまった。何度でもその現実を胸に刻みつけた。


「呪いを解く方法は?」


「一番確実なのは呪いをかけた者を殺すこと。本来は呪いの解き方はいくつかあるものなんだけど、こんな強力な呪いをかけれる存在は珍しいから、あまり研究が進んでいないの。でも呪いである以上は最初に言った方法でどうにかなるはずよ。それは呪いの原則だから」


 そうであればやるべきことは一つだ。俺一人でできるかどうかはわからない。だがこれは俺の問題だ。他人を不必要に巻き込むわけにはいかない。


「ありがとう、マダム。……行ってくるよ」


「ルッツ君。私、あなたまでいなくなっちゃったら寂しいわ」


「……ごめん。あいつらが待ってるんだ」


 振り返ることは許されない。たとえ誰が許しても、俺自身が許せない。俺は再び水魔の洞窟へと向かった。




 カルナのことを意識し始めたのはいつ頃からだっただろうか。ともに旅を続け死線を潜り抜けていく中で、仲間としての信頼感を超えた気持ちを抱くようになった。


 そう、あれはちょうど半年ほど前だった。水魔の洞窟の探索を始めてからかなりの時間が経っているにも関わらず、俺たちはほとんど成果をあげられないでいた。幸い街に集まる冒険者目当ての依頼は多かったので生活に困ることはなかったが、自分に自信がついてきていた時期なだけあって、俺の心は折れかけていた。


 だがカルナはどんな状況でも俺についてきてくれた。弱気になっていた俺を励まし、ランデルと一緒に支えてくれた。それがただたまらなく嬉しかったんだ。恋に落ちるまでそう長い時間はかからなかった。そしていつかこの洞窟を攻略し財宝を手に入れることができた暁には、自分の想いをカルナに伝えようとそう決心した。


 だがその日はもう訪れることはない。




 洞窟の中は相変わらず静かだ。魔物の気配も感じられない。水魔の呪い、そして魔物の消失。この二つが同じ原因によって引き起こされているのだとしたら。それはきっと俺をこんな状況に追い込んだ「何か」にも繋がっているはずだ。


 その時、前方に明かりが見えた。近づいてみると身に覚えのない松明が洞窟の壁にかけられている。おそらく俺がマダムに会いに行っている間に先客が来てこれを置いて行ったんだろう。今この洞窟に行く手を阻む魔物はいない。そうなるとそいつらに先を越されかねない。とにかく急ごう。


 本来はこんな洞窟の中を走って移動するなんてご法度だ。たちまち魔物の待ち伏せに会って袋叩きにされてしまう。だが今は一秒でも早く、ただそれだけを考えた。すでにこの洞窟の未探索地帯、前人未到と言っていい場所まで来ている。どこだ、どこにいる。五感を研ぎ澄ませ、あたりの様子を慎重に探る。


 かすかに何か聞こえる。水音ではない。重い、金属が触れ合うような音だ。これは——鎧か。そうなると魔物である可能性は低い。だが何か、言葉にできない違和感を感じる。冒険者が出す音にしては緩慢すぎる、とでもいえばいいのか。歩くわけでもなく、探るわけでもなく、ただそこにいる。そんな感じの音だ。俺は意を決しその音の方向へと向かった。


 そして自分の勘が間違っていなかったことを悟った。——血の匂いだ。何者かが争い、そして死んだことを意味している。剣を抜き、気配を殺しながら様子をうかがう。


 そこは開けた広間のようになっていた。周りを水場に囲まれ、あたりには血だまりが広がっている。その中に三つの死体が転がっているのが見えた。いずれも街で見かけたことがある。おそらく先行していた同業者だろう。そしてその広間の中央に一人立ち尽くす鎧を着た大男。あまりにも見慣れたその姿に、俺はただ弱々しく呼びかけることしかできなかった。


「ランデル……?」


 ゆっくりとこちらを見据えたその目には、かつてのような穏やかな親しみは少しも感じられない。そばに転がっている死体と同じ、どこまでも虚ろな目をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る