イケメンな彼女 ~友情と愛情の境目は見えるか?~

和辻義一

第1話 ある日、出会いは突然に

 あー、だりぃ。そして退屈だ。


 今俺がいるのは、あららぎ国立大学の学館の一室、とあるゼミルーム。今日は一回生前期の「基礎演習」の第一日目で、さすがに初日から欠席するわけにもいかず、最近何かと疲れ気味の身体に鞭を打って、何とか家を出てきたって訳だ。


 ゼミルームには、既にかなりの数の学生達がいた。と言っても、部屋そのものはそれ程広いものでもなく、三十人分ぐらいの席があるうち、十五人分ぐらいの席は既に埋まっていた。まあ、このゼミナール――いやもう、面倒臭いからこれからはゼミって言うが、このゼミのメンバーが三十人を超えるようなことは、きっとないのだろう。


 おそらくは今日が初顔合わせのメンバーばかりのはずなのだが、部屋の中では既にいくつかのグループで固まって、学生同士で談笑していた。ひょっとすると、これまで他の講義で知り合いだった連中同士でつるんでいるのかも知れないが――ふん、皆随分と社交的なもんだな。


 だが、その談笑の声が、不意にぱったりと途絶えた。それから少しして、窓際の最後列の席で半ば机に突っ伏すようにしていた俺の耳に、まるで少年のような声が飛び込んできた。


「はじめまして。隣、お邪魔するよ」


「んあ?」


 いちいち身体を起こすのも面倒臭かったので、机に突っ伏したまま顔だけを声の主の方に向けた俺は、次の瞬間、驚きで心臓が縮み上がった気分になった。


 隣の席には、まさにキラキラと輝くようなイケメンが座っていた。


「どぅわあっ!」


 思わず変な声が出た。俺が飛びのくように大きく仰け反ると、そのイケメンはいささか不満そうに軽く口を尖らせた。


「そんな風に驚かれるのは心外だなぁ。ボクはただ、君に挨拶をしただけなのに」


「う、うっせーな、分かってるよっ!」


 いや、それにしてもこいつ、超が付くほどのイケメンだ。しかも、ぱっと見た感じ、男か女か分からねぇ。男にしては少し髪が長め――ウルフカット、とか言うのか――だったが、線が細くてもそれなりに肩幅があるのと、男物の服を着ているから、辛うじて男かなって感じ。中性的で、目鼻立ちが整ってるし、色白だし、こいつ女装させたら女でもいけるんじゃね?


 ただ、俺はこいつに見覚えがあった。必須科目の講義のいくつかで、今までにも遠目に顔だけは見たことがある。特段誰かとつるんでいるっていう訳でもなく、いつも一人で講義を受けていた奴だ。


 いや、訂正。俺が知っているだけでも二回ぐらいは、同じ講義に出席していた女の子達から声をかけられていたなぁ――そりゃそうだよな、このルックスだぞ。絶対女の子にモテるだろうよ、畜生。


 そのイケメンが、さっきから何やらこちらをじっと見ている――いや、あのな。一応言っておくが、俺にはないからな?


「な、何だよ?」


「いや、何でもないよ。ボクは久世くぜあきら、よろしく」


「……新行内しんぎょうち一吾いちごだ」


 俺が名乗ると、久世はすらりとした細い右手を自分の顎に当てて、まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。


「新行内君、か……随分と珍しい苗字だね。キミ、出身はどこ?」


「千葉県旭市」


「へえ、同じ県内なんだ……って、ごめん、旭市って千葉県のどの辺りだったっけ?」


「チーバ君の耳の辺り」


 俺がぶっきらぼうに答えると、久世は一瞬呆気に取られ、続いてさも可笑しそうにクスクスと笑った。


「チーバ君って、あの赤い犬みたいなマスコットキャラクターのこと?」


 俺は軽く肩をすくめ、逆に尋ねた。


「そういうお前は、どこから来たんだ?」


「ボクかい? ボクは京都の出身なんだ、京都市左京区」


「へぇ」


 まあ正直なところ、こいつがどこから来た誰なのかなんて、俺には皆目興味がなかった。自分の事を聞かれたから、ただ条件反射的に聞き返しただけのことだ。


 久世は更に何かを言いかけたが、部屋のスピーカーから独特な音色のチャイムがなり、他の生徒たちも皆席に着いた。それから程なくしてこのゼミの教授――高梁たかはし教授が部屋に入って来た。


 高梁教授は髪の毛をきっちりと七三に分けた、細い銀縁の眼鏡をかけた穏やかそうな初老の男性だった。初老と言っても、髪の色は結構黒々としていて、中年と言われても通るかも知れない。大学の資料によると、専攻はイタリア政治史らしい。


「皆さん初めまして、今回このゼミを担当する高梁です」


 高梁教授はそう言ってから、まずはゼミに参加している生徒の点呼を取った。市川、伊東、植山、大谷、川原田、北川と、男子生徒には「君」付け、女子生徒には「さん」付けで点呼が取られているようだ。


「次、久世さん?」


 手元の名簿とにらめっこしながら、高梁教授が辺りを見渡す。隣にいた久世が、軽く右手を上げて言った。


「あの、先生……君付けでお願いします」


 ほんの一瞬、ゼミ中の生徒達が小さくどよめいた。特に女子などは、席の近い者同士で顔を見合わせ、小声でキャーキャー騒いでいる――そうか、他の奴らもこいつの性別を測りかねていたのか。


 高梁教授は少しの間、手元の名簿と席に座る久世を見比べていたが、「では久世君」と言ったきり、そのまま点呼を続けた。


「次……えっと、新行内君?」


 俺の苗字が初見の人間は、だいたい同じような反応を示す。俺は別段気にする訳でもなく、軽く右手を上げて返事をした。


 それから程なくして点呼が終わり、高梁教授から今後のゼミの進め方の説明があった後で、ゼミの生徒がそれぞれ自己紹介をすることになった。いわゆるアイスブレイクってやつらしい。


 ゼミ生の名簿に記された苗字の五十音順に自己紹介が進んでいき、隣にいる久世の順番になった。


「皆さん初めまして、久世晶です。苗字は久しい世と書いて、名前は水晶の晶の字を書きます。趣味はお菓子作りとスノーボード、特技はアコースティックギターの演奏です」


 久世の自己紹介に、男子は何とも言えない微妙そうな表情を浮かべ、女子は何やら嬉しそうに黄色い声を上げる。俺からしてみれば、まあ、ある意味においてイメージ通りの趣味と特技だと思えた。


 それから程なくして、俺の順番が回ってきた。


「新行内一吾っス。新しい行の内って書いて新行内、一吾は漢数字の一と、口の字の上に漢数字の五っス。趣味は昼寝、特技は空手、以上」


 それだけ言って、俺は自分の席に座った。部屋の中にいた生徒達の何人かが、何やらクスクスと笑っている。そいつらが笑い始めたのは、俺が自分の名前の紹介をしてからだった。


 まあ理由は単純で、俺の一吾という名前の読みが、とある有名コミックスの主人公の名前と同じだったからだ。今までにも何度となく似たような反応をされたことがあって、酷いのになると「イチゴなんて名前、本当にあるんだな」とか言う奴もいた。


 今までこの手の連中はだいたい無視してきたが、さすがにその主人公の決め台詞を言えとか言ってきた奴の頭は、拳骨で軽く小突いてやった――それ以降、そいつは俺に一切近寄らないようになったけれども。俺だって好きこのんで一吾を名乗っている訳じゃないが、親が付けてくれた名前である以上、文句を言う訳にもいかない。


 隣の久世を見ると、こいつもクスッと笑いやがった。


「何が面白いんだよ」


 俺が軽く睨み付けながら小声で言うと、久世ははたはたと右手を振りながら、俺にだけ聞こえるような小声で答えた。


「いや別に、悪気はないんだよ。ただ、何だか可愛らしい名前だなって思ってね」


 自分の名前について、可愛らしいなどと言われたのは正直初めてだ。しかも、それを言った相手は、まさに絵に描いた王子様のような超イケメンだ。俺はげんなりとした気分になり、一言「ふざけんな」とだけ言い返した。


 そして高梁ゼミ基礎演習の初日が終わり、俺は自分のバッグを手に席を立とうとしたのだが、そこへ久世の奴が声を掛けてきた。


「えっと……新行内君。キミ、今日はこの後も講義があるの?」


 俺の今日の講義は、この基礎演習が最後だった。腕時計の針が示す時刻は、午後四時四十五分を回ったところだ。


 俺が返事をするよりも早く、久世が言った。


「もし時間があるんだったら、これから一緒に食事でもどう? ちょっと早い夕食」


「……」


「何だったらごちそうするよ。今日知り合ったのも、何かの縁ってことで……ダメ、かな?」


 俺はふと周りを見た。男連中は俺達二人のやり取りに特段興味を示している様子もなく、顔見知り同士で雑談を続けていたり、さっさと部屋を出ていったりしている。


 一方、何人かの女の子達は、何やらそわそわしながらこちらを――というか、正確には久世の方を見ている。さしずめ声を掛けたいが、久世の放つオーラが強すぎて近寄れないって感じだろうか。


 そして、当の久世はというと――何やらすがるような目で、じっとこっちを見ている。その様子に、俺は思わず鳥肌が立ちそうになった。


「……わーったよ。そんな目で俺を見るな、気色悪い」


 我ながら、何で久世の申し出をオーケーしたのか、その理由はさっぱり分からなかった。自分でも日頃から気まぐれな性格だとは思っちゃいたが、今回の気まぐれは、ちょっと度が過ぎるのかも知れない。


 ただ、俺がこの大学に入ってから、学生でわざわざ俺に声を掛けてきたのは、やたらとしつこかったサークルの勧誘なんかを除けば、こいつが初めてだった。


「やった、ありがとう!」


 男が男を飯に誘って何がそこまで嬉しいのか、俺にはさっぱり分からなかったが、とりあえず俺は久世と連れ立って学食――学生食堂へ行くことにした。

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