第145話.帰る場所 (終)


        ◇◇◇


「お姉様ぁ!」


 飛び掛かるように抱きついてきた純花を、依依は受け止める。


「お姉様、お姉様! 無事で良かったわ、本当に……!」


 純花の双眸には涙が溜まっている。妹の小さな頭を、依依はよしよしと撫でてあげた。


「……ええ。私は大丈夫よ、純花」

「でも怪我を……左腕に怪我をしたって聞いたわ。平気なの?」


(皇帝陛下から聞いたのかしら)


 純花が不安がるのに、余計なことを。

 と思うものの、それは飛傑なりの誠意でもあるのだろう。


「それならまったく問題ないの。ほら、ほとんど跡も残ってないし」


 そも、依依の基準でいうと完全にかすり傷だった。彼女の身体には、猛獣と乱闘したときに作った消えない傷がいくつも刻まれている。


 胸を撫で下ろした純花はだったが、すぐにまた顔を上げる。


「でも、どうしてお姉様が後宮にいるの? しかも武官の格好で……」


 春彩宴や市などの行事が催されているわけではない。

 皇帝を除くと後宮に入ることができる男は、皇族か、あるいは上級妃の身内かに限られる。灼家は純花に姉がいるなど知る由もない。その許可が依依に与えられるはずはない。

 武官である依依が堂々と後宮に入ることができるなんて、普段からは考えられないことなのだ。


 そこで依依は、得意げに笑ってみせた。

 帯に触れると、そこから垂れる宝石に純花の視線が釘付けにある。


「これは? きれいな石……」

「あっ、こっちは違うの。夜明珠っていう高くて珍しい石らしいんだけど」


 今、純花に見てほしいのはもうひとつの授かり物だ。


「あのね。私、皇太后陛下からこれをもらったのよ」

「これ、まさか」

「そう。男子であっても自由に後宮に出入りができる、すっごい代物なんですって!」


 依依が腰に下げているのは、龍紋佩である。


(まさか皇太后陛下が、こんな手配をしてくれていたとは)


 女の園である後宮。その所有者が皇帝であっても、実質的な支配者は皇太后である。皇后不在の今、後宮内の権力は彼女に集中しているといっていい。

 皇帝以外に後宮に入ることができる男は、大事な部分を切り捨てて男でなくなったもの――宦官に限られるというのが、後宮の常識だ。


 しかしこの佩を持つ人間は、黄龍の気をまとう皇帝にどこだろうと付き従う権利が得られる。宇静にはすぐに許可を出したという皇太后だが、彼女は今回、瑞姫を助けた功績を持ち、依依にも同様の許可証を与えてくれたのだった。

 皇太后が口にしていた“特別な褒美”とは、瑞姫と共に過ごす温泉旅行ではなく、佩のことを指していたわけである。


 これを依依は、温泉宮を旅立つその日に飛傑より渡された。


(結局、いつでも瑞姫様に会える贈り物なわけだけど!)


 純花の頬が見る見るうちに、喜びによって紅潮していく。


「じゃあこれからは、もっとお姉様に会えるようになるのね?」

「皇帝陛下を警護するときに使うっていう名目だから、毎日ってわけにはいかないと思うけどね」


 深玉は身代わりの件について気がつきそうになっていた。一緒にいるところを見られたら、言い逃れはできないだろう。


 しかし純花は、ふるふると首を横に振る。


「なんでもいいわ。お姉様に会えるようになるってだけで、わたくし嬉しいもの!」


 考えないといけないことは、たぶん依依が思うより増えているけれど。


(うん、今だけは全部、いいや!)


 そう、依依はすっぱりと割り切ることにする。

 飛傑からの求婚。宇静からの告白。悶々としてしまうそれらを、一度忘れる。


「……そうだわ、お姉様。びっくりしすぎて、肝心のことを言いそびれちゃった」


 はにかんだ純花が、涙目でその言葉を口にする。


「お帰りなさい、お姉様」


 依依は、晴れ渡る空のように笑う。



「ただいま、純花!」



 今はとにかく泣き虫な妹を、力いっぱい抱きしめてあげたかった。











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 これにてウェブ版は完結となります。応援いただきありがとうございました!

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