第130話.混浴温泉
(こ、皇帝陛下と将軍様ぁっ?)
悲鳴を上げそうになって、思わず両手で口元を押さえる。
なぜこの二人が……と仰天する依依だが、そういえば扉の真横にあった案内の看板に、何か書いてあったような気がする。
(そうだ、確か……)
大して注意を向けなかったそこに何が書いてあったのか、ようやく依依は思い出した。
――そう、混浴温泉。
考えてみれば、それが用意されているのは当たり前のことであった。
体裁もあるので、皇帝や妃はそれぞれ別の宮に泊まったのだろうが、外で、しかも一糸まとわぬ姿で会える絶好の機会を、色惚けした彼らが見逃すことはなかっただろう。
ここで落ち合って、余人に邪魔されない時間を楽しんだはずだ。色狂いだったとされる先帝に至っては、入り浸りだったのではなかろうか。
(すっごく出たくなってきたんだけどー!)
だが出入り口に向かおうにも、温泉の構造からして必ず察知される。
こうなっては仕方がない。依依は気配を殺しつつ、なんとなく手持ち無沙汰で、二人のほうに目を向けてしまう。
二人とも長い髪を解いているので、いつもと印象が違う。揃って全裸ではあるが、腰にきっちり布を巻いているので、依依は狼狽えずに済んでいた。
一見すると双子かと見紛うほど容姿が似ているのだが、服を脱ぐと、その違いは一目瞭然だった。
がっちりとした肩幅、鍛え上げられた腹筋。
あちこちにある古傷と、宇静は武人らしい体つきをしている。
(さすが、将軍様はいい体つきだわ。強靱な肉体だって一目で分かる)
飛傑のほうは、傷ひとつない滑らかな身体をしている。
筋肉量としては宇静に及ばないが、その引き締まった美しい裸体は多くの女人の目を奪うことだろう……。
(って、二人の筋肉を観察している場合じゃないのよ)
依依は顎先までお湯に浸かり、息を殺す。気配に鋭敏な宇静には、この距離では気づかれる可能性がある。用心するに越したことはない。
「皇帝陛下。なぜ混浴風呂なぞに……」
「先帝が遊びほうけたのだろうこの場所を、一度自分の目で見ておきたくてな」
なるほど、そういう理由だったのかと依依は納得した。深玉や桂才と待ち合わせてて、とか言われなくて良かった。その場合、明日から飛傑を見る目がちょっと変わってしまいそうなので。
だがしかし、依依は心から思う。
(早く出て行ってくれないかしら)
飛傑の目的はすでに達成されたはずだ。さっさとこの場を立ち去ってほしい。
だがむなしくも願いは届かず、飛傑は湯に入ってきてしまった。
それに宇静も困惑顔で続く。二人が距離を置いて、それぞれ腰を下ろしたところで、いよいよ依依は危機を悟った。
ふぅ、と熱っぽい息を吐いた飛傑が、おもむろに首を傾げる。
「宇静。そなた、ほしいものがあるのではないか?」
(しかもなんか、話し始めちゃった……)
これは長風呂の予兆ではないだろうか。
依依の頬を冷や汗、ではなくただの汗が流れ落ちていく。
全身が熱い。でも今さら、お湯から上がることはできない。依依は唇をぎゅっと噛み締め、我慢我慢、と心の中で唱える。
「申してみよ」
「私がほしいと駄々をこねれば、陛下は自分のほしいものでも譲るおつもりですか」
「そなたには、その権利があるからな」
依依は思い出す。皇位が半分に分けられるものであったなら、あるいは飛傑は――と、宇静が憂えていたことがあった。
そんな彼の懸念は、やはり当たっていたのかもしれない。飛傑が宇静に対して抱く、罪悪感に近い感情は、依依では計り得ないほど並々ならぬものなのだ。
しかし宇静は、あっさりと首を横に振る。
「何もいりません」
それから彼は、飛傑に目を向けた。
「私がほしいものは、そもそも陛下の持っているものではありませんから」
「……!」
望めば、あらゆる金銀財宝が手に入る。得られないものはない。それが天子というものだ。
しかし宇静は、飛傑が持っていないものがほしいのだと口にした。
ここが朝廷であれば皇帝を侮辱していると取られかねない、危険な発言だ。無論、人の目や耳がないからこそ、宇静はそう言ったのだろうが。
「……手厳しいことを言う」
飛傑が指先で湯を掻く。
水面に映る自分を睨みつけるようにして、飛傑は小さな声で語る。
「余は皇帝になぞ、なりたくなかった。だが母に逆らうこともできなかった」
「皇太后陛下もまた、大切なものを守るために必死だったのでしょう。ですが陛下は、今後も母親の傀儡として生きるおつもりなのですか?」
「……それはずいぶんな言い草だな」
「兄上」
お湯の揺れる音で、飛傑が身動いだのが分かった。
宇静が、兄と呼んだからだ。もしかするとそれは二人にとって、十数年ぶりに交わされる兄弟としての会話だったのかもしれない。
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作画をご担当くださるのはさくみね先生です。元気で明るい依依がとにかく可愛い……!
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