第129話.予期せぬ来訪者
(……なんてことがあったわね、そういえば)
「円淑妃、別に不愉快に思ってるような感じではなかったわよ。涼の名前を教えてくれってせがんできたし」
鳥肌が出たのか、涼は二の腕をさすっている。
「それって、いずれ報復するためとか?」
「違うと思うけど。……あー、助けてもらったお礼をしたいとかじゃない?」
依依は適当なことを言った。深玉が何を考えているかなんて依依に分かるはずがない。そんなものが理解できていたなら、洞窟での日々はもっと気楽だっただろう。
「お礼も何も、円淑妃を助けたのは将軍閣下と依依だろ?」
(まぁ、それはそうなんだけど)
深玉は宇静のことを怖がっている。勘が鋭いというべきか、依依には出会った頃からいやなものを感じているようなので、彼女から依依たちに感謝が告げられることはないだろう。
「また、会えるかな」
涼が何かを呟いたが、依依は聞いていなかった。引き続き、牛鳥豚の根性をたたき直すのに忙しかったのである。
◇◇◇
その日の夜も、とにかく依依はたらふく食べた。
川魚のなます。金粉が散らばる羮。
とろ火で煮込んだ牛肉と卵の含め煮。蒸籠で運ばれてくる包子に小龍包、馬拉糕。
玉器に盛られた瑞々しい林檎をしゃくしゃくと白い歯で噛み、酒杯を味わったところで、依依はふーっと満足げな息を吐く。
「温泉宮、最高だわ……!」
とにかくごはんがおいしすぎる。お願いすると際限なく運ばれてくるので、依依としては永遠に食べていられる気がする。
(ひとりなのは、ちょっと寂しい気もするけど)
依依は、みんなで集まってわいわいがやがやと食事するのが好きだ。しかしこの宮に、清叉軍の仲間たちは呼ぶことができない決まりである。
少しだけしんみりしたところで、ふと思い立つ。
「そろそろ温泉に行こうかしら!」
行李を開けて替えの衣を用意したところで、はたと気がつく。
「そうだったわ。温泉に入る前は甘味を食べて、栄養を補給しておかないとね」
補給も何も食事を終えたばかりの依依なのだが、顔よりも大きい月餅をもぐもぐと食べて部屋をあとにする。
温泉宮には数多くの温泉があり、それぞれ泉質や効能が違っている。依依は昨日の間に、立ち湯、美人湯、寝湯などを回っていた。
温泉の効果もあってか、左腕の傷はほとんど治りかけていた。それに大自然と紅葉に囲まれて浸かる湯は、想像以上に心地よく、すっかり虜になっている自覚がある。
「んー、今日はこっちに行ってみようかしら」
せっかく巡り湯が楽しめるのだから、昨日とは違う温泉にも入ってみようと思い立つ。宮ごとに温泉の区画は分かれているそうで、自分の部屋から向かえる温泉であれば、どこでも好きに入っていいと女官から言われているのだ。
まずは更衣場で衣を脱いでいく。
入浴用の薄着だけをまとい、大量の卵を入れた籠を手にすると、依依は竹藪に囲まれた石造りの階段を下りていく。
「ふんふんふーん、作っちゃうわよ温泉たーまごー」
気分がいいので、自然と鼻歌を歌いながら、依依は湯殿に続く両開きの扉をがらりと開いた。
大量の湯気に包まれながら、まずはかけ湯をし、髪と身体を洗ったら、さっそく湯へと足を向ける。
ここは大きな岩風呂になっているようだ。乳白色のにごり湯を、ちゃぷちゃぷと両足で掻き分けT進んでいく。
ちょうど真ん中あたりまで来たところで、依依はゆっくりと腰を下ろした。
「ふぃー、極楽極楽ぅ……」
老人のような息を吐いて、肩まで湯に浸かった依依はうっとりと目蓋を閉じる。
先帝たちが政務をほっぽり出して時を過ごした理由も分かろうというものだ。一度この極楽浄土を味わってしまえば、抜け出すのは容易ではないだろう。
湯煙で曇る空を見上げて、依依は呟く。
「またいつか、純花と二人で来られたらいいなぁ……」
温泉宮のように、豪華な温泉でなくていい。観光客が集まる温泉街を一緒に回ったりとか、そういうささやかなものでじゅうぶんだ。
そんなことを思いながら、依依は籠ごと卵を温泉に浸ける。つやつやと光る卵を、にこにこしながら眺める。
「卵ちゃんたち。全部、私がちゃーんと食べてあげるからね」
そのときだった。卵に話しかけていた依依の耳が、思いがけない音を拾った。
「……ん? 足音?」
しかも二人分だ。
まさかここで人に会うことになるとは思わず、依依は焦る。ほろ酔いのいい気分は一瞬にして醒めていた。
(こ、この宮、他の宮の温泉とも繋がってるの?)
今のところ、誰とも会ったことがなかったので、てっきり貴人の温泉とは繋がっていないと思っていたのだ。
果たして誰だろうか。依依は岩陰に身を隠して、目を凝らして観察する。
そうして湯煙の中、姿を現したのは――。
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いよいよ明日8月4日より、マンガUP!にてコミック連載がスタートとなります。
とっても面白く見所満載の漫画にしていただきました。ぜひ漫画でも「後宮灼姫伝」を応援いただけたら幸いです!
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