第128話.爽やかな人


「ところで楊依依。……誰なの、あの方は」


 衣を借りて、お礼を言って引き返そうとした依依を、深玉は呼び止めてきた。


「え? あの方って?」

「今の爽やかな殿方よっ」


(爽やかな殿方……)


 依依の頭から三人が消し飛び、ひとりだけ浮かんでくる顔があった。


「涼ですね。僕の同期です」

「……涼様、とおっしゃるのね」

「涼様?」

「なんでもないわよぅっ」


 なんだか深玉の様子がおかしい。頬もまた赤くなっているが、やはり熱があるのだろうか。


「淑妃、もしかして熱が……」

「ふんっ、気安く触らないでちょうだい」


 確かめようとした手を払いのけられた。


(涼に抱えられている間は、借りてきた猫みたいに大人しかったのに……)


 と悲しく思っていたら、深玉が小さく咳き込んだ。


「それと楊依依、ごめんなさい」

「……どうしたんですか急に。悪い物でも食べました?」

「違うわよ! こんなことになるなんて思わなかったの。あたくしが、足が痛いなんて言ったせいで……本当にごめんなさい」


 依依は目を見開く。

 深玉は、依依が彼女を庇って怪我を負ったのを気にしているようだった。


「淑妃のせいじゃありませんよ。傷の手当てをすると言ったのは僕ですし」

「でもあなた、皇太后陛下にも皇妹殿下にも気に入られているそうじゃない。場合によってはあたくし、首を斬られるかもしれないわぁ……」


 ふふふ、と暗い笑みを浮かべる深玉。

 そんなことにはならない、と言ってやりたい依依だが、皇太后についてはなんとも言えない。彼女は必要であれば、それがどんな手段であろうと選び取れる種類の人間だ。


「もしそんなことになったら、僕が二人を止めるのでご心配なく」


 深玉はどこか唖然としている。


「……本気で、一武官程度が皇族の選択を止められると?」

「言い切ることはできませんけど。話せば分かってもらえます、きっと」


 直接言葉を交わしたことで、彼女たちが話の通じる人だと理解している。……否、婚姻云々についてはまったく話が通じないのだが。


「あなたが皇帝陛下に重用されている理由が、ちょーっとだけ、分かった気がするわぁ」


 深玉は返事を求めていないようだった。だから依依はそんな独り言については、聞こえない振りをする。


「……ねぇ、それで、ちょっと気になっていたのだけど」

「なんです?」

「あたくしたち、どこかで会ったことなかったかしらぁ?」


 ぎくりっ、と依依は肩を強張らせた。

 依依は何度か、後宮で純花の身代わりを演じている。純花の振りをして、深玉とも顔を合わせている。


 今まで多くの時間を共に過ごしながら深玉が気がつかなかったのは、洞窟の暗がりのおかげもあったのだろう。しかし、今はその恩恵がない。


「あ、ああ! それなら市のときに、円秋宮で会いましたもんね」


 意識して、喉の奥で低い声を出す。小鳥が囀るような愛らしい声を持つ純花と異なり、依依の声はもともと低めだし、掠れている。

 だが、深玉は騙されてくれなかった。ますます疑わしそうに依依を見ている。


「違うわよぅ。そのときじゃなくて……もっと前よ。どこだったかしらぁ? ええと?」


 深玉は記憶を探ろうとするように、うんうん唸って目蓋を閉じている。

 このまま放っておいたら危ない。彼女は依依が純花の振りをしていたと気がついてしまうかもしれない。

 依依は全力で誤魔化すことにした。


「そういえば涼は、優しい女の人が好きらしいです!」

「ななっ、なんですってぇ!?」


 興味を示していた涼の名前を出してみれば、深玉の声がひっくり返る。


「りゃ、涼様があたくしを優しくて美しい妃だとおっしゃったの!?」

「いや、そんなことは特に……」

「そういう女子が、あの方のお好みってことね。そうなのね!」


 深玉は頬を赤らめて盛り上がっている。

 なんだかよく分からないが、依依の目論見通り、深玉は記憶を探るのを忘れてくれたようだった――。



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