第116話.皇帝の策略
(えっ)
依依はごくりと唾を呑み込む。
「い、いいんですか」
「預ける、と言ったのだ。そなたはこれを、どんな形で余に捧げられる?」
「それなら……霊芝は食用としては適していないので、薬用酒にするのがいいと思います」
依依は落ち込むことなく返答する。珍薬を扱うのは貴重な経験なので、手に入らないとしても嬉しいのだ。
そこで深玉が、おずおずと口を開く。
「ねぇ楊依依。霊芝って何に効くの?」
深玉も霊芝のことは知っているようだ。しかし、その効能については詳しくないらしい。
「霊芝自体が万能薬、だなんて呼ばれていますが、特に興奮を抑えるのに作用します。そういうわけで、淑妃にもおすすめですね」
「それどういう意味?」
(あっ)
失言だったようだ。
「言い間違えました。霊芝を摂取すると健康になるんです」
「ものすごく曖昧じゃないの……」
そこで飛傑が顎に手を当てる。
「酒として飲めるまでは、どれくらいかかる?」
「そうですね。三月……いや、半年は見てもらったほうがいいと思います」
それを聞いた飛傑が、やたら嬉しそうに微笑んだ。
「では半年後、飲ませてもらうのを楽しみにしよう。忘れるなよ」
「分かりました」
委細承知した、と頷いた依依は、そこで我に返った。
(……あれ? もしかして今、言質取られた?)
これでは霊芝酒ができるまで、依依は宮城に留まることになってしまったような……。
(まぁ、いっか!)
依依は切り替えることにした。大事なのは、霊芝を扱えるという事実なのだ。他のことには目をつぶっていい。たぶん。
「それにしても将軍様。まさか霊芝を発見するだなんて、本当にすばらしいです」
依依は心からの称賛を送った。
「別に、大したことではない」
なぜか宇静は、渋い顔でそう返してくる。褒められて照れるような可愛げはない人なので、ちょっと鬱陶しかったのかもしれない。
そういうわけで黙り込んだ依依だったが、心の中では小躍りしていた。
(しかも霊芝以外の茸も、ちゃんとおいしく食べられるものばかりじゃない!)
食用の茸と毒茸の判別は、その道の玄人でなければ難しい。
毒茸入りの鍋を食べ、村ひとつが壊滅した……なんて話も珍しくない世の中である。松茸を始めとするおいしい茸ばかりを仕入れてきた宇静に、依依は感動せずにいられなかった。
牛鳥豚や涼によると、清叉将軍の名を冠する前の宇静がどこで何をしていたのかは、公には知られていないらしい。
二年前、突然朝廷に参じて、そこで飛傑から清叉将軍に封じられたそうで、誰に習って修練を積んでいたとか、どこの軍に所属していたとか、そういったことは誰も知らなかったのだという。
だが剣術の腕だけならまだしも、彼の冷静さや、どんな状況でも鈍らない判断力は、一朝一夕で身につくものとは思えない。その忍耐強い性格は、山育ちの依依に近いものがある。
たとえばそれは、食べられる茸の見分け方を彼が知っていたように。
(ちょっと気になるけど……私が訊いても、教えてくれないわよね)
もしも寮で語るようなことがあったなら、牛鳥豚も知っていただろう。あるいは宇静の過去を知る人物は、全員が口を噤んでいるのかもしれないが。
なんとなく空夜は知っていそうだ、と依依は思う。宇静が軍を率いる立場に着任した頃から副官として活躍しているということは、空白の期間に出会った人だということだからだ。
「今から俺が料理の支度をする。依依、お前は少し休め」
「えっ」
唐突にそんなことを言われて、依依は困惑した。
上官に料理をさせて休む部下など、聞いたことがない。清叉寮ではまずあり得ないことだ。
「そういうわけにはいきません、私も働きます」
「いい。これは命令だ、さっさと休め」
宇静の口調はあくまで素っ気ないが、内容は部下への気遣いに満ちている。
「そうだな。少しだけでも洞窟のほうで休むといい」
飛傑もそこに加勢する。どうやら目の前の兄弟は、依依を休ませる方向で意見を一致させているようだ。
それが分かったので、依依は食い下がるのをやめた。
本音を言えば、かなり疲れていたのだ。ほとんど休みなく働き続けていたので当然である。尋常でなく研ぎ澄まされた感覚は元に戻ったものの、その影響か一気に強い疲労が押し寄せてきているのを、本人も自覚していた。
いったん決断すれば、依依の行動は誰よりも早い。
「では楊依依、遠慮なく休ませていただきます!」
洞窟に引き返し、外套にくるまった依依は、次の瞬間には眠りの国へと誘われていた。
饅頭の夢は見なかった。
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