第114話.しばらくの休憩
「これで拭け。風邪を引くぞ」
「あ、ありがとうございます」
宇静が放り投げてきた布巾で、依依は帽子と髪、手足を拭う。
その様子をじっと見ていた深玉が、小首を傾げた。
「帽子、取ったほうがいいんじゃないの。それじゃ拭きにくいでしょうに」
(えっ)
深玉は親切心から指摘したのだろうが、依依はぎくっとしてしまう。
赤目だけなら誤魔化せても、赤髪まで見られたらそういうわけにはいかない。宇静と飛傑は依依の事情に精通しているが、深玉は違うのだ。なぜ灼家の人間が正体を隠して皇帝の傍にいるのかと、訝しむことだろう。
「だ、大丈夫です。お気に入りの帽子なので」
「はぁ?」
「何言ってるのこの武官」という目が痛い。視界の隅で宇静と飛傑も呆れ顔をしていた。
焦りをにじませた依依は、そこで名案を思いつく。
「そ、そうだっ。服を乾かすついでといったらなんですが、いったんお茶でも飲みませんか」
「……そんな余裕はないんじゃないの?」
そう提案するが、深玉は渋る。
「もしかしたらすぐ近くに、あの不届き者たちが潜んでいるかもしれないし。今はとにかく歩いて、山を下りたほうがいいんじゃないかしらぁ……」
尤もな意見ではある。
(おそらく、黒布は今も皇帝陛下を追ってるはず)
依然として状況は不利だ。深玉のように気が急いてしまうのも無理はない。
しかし地上に出られたということは、同じだけ味方と合流できる可能性が高まったことを意味している。
(みんなだって動いてるはずだし)
先に温泉宮に到着したであろう面々は体制を立て直し、今このときも飛傑を発見するためにあちこちを捜し回っていると考えられる。
彼らと黒布とで大きく異なるのは、補給の有無だ。清叉軍の陣地となる温泉宮には大量の食材があり、水場が確保されている。この違いは非常に大きい。
戦では当然ながら、補給があるとないとでは部隊の動き方が変わる。
あの男たちが何日間、山に籠もっていたのかは分からないが、潤沢な食料を隠し持っているとは考えにくい。そういった事情は安っぽい装備からも窺える。
だから現状は、深玉が考えているほど悪いことばかりではない。
――それに時刻は真っ昼間。
太陽は高い位置に昇っている。気温も上がりつつあるようだ。今は焦って移動するより、心身の疲れを拭う場を設けるべきだろう。
(皇帝陛下も将軍様も、同じことを考えてるみたいだから)
温泉宮が五里先と分かっても、すぐに出発しようと言い出さなかった。今日は大事を取って、明日になったら移動するつもりなのだ。
「だからこそ、です。皇帝陛下も円淑妃も疲れています。休めるときにきちんと休まないと、身体が持ちません」
けれど、依依の説明は簡易的なものだ。というのも理由がある。
本人の自覚は薄いのだろうが、深玉は少しふらついている。慣れない生活と緊張の連続で、特に彼女には疲労の色が濃い。理論立てて説明したところで、頭の中で整理はつかないはずだ。
飛傑たちが出発を取り止めたのも、彼女を気遣ってのことだろう。
(それなら休みがてら、改めて理由を説明したほうがいいわ)
「……分かったわ」
納得したわけではないだろうが、深玉はあっさり引き下がった。飛傑のいる前で、自分の意見を強く主張するつもりはなかったのか。あるいは「皇帝陛下も疲れている」という依依の言葉に心が動いたのかもしれない。
「俺は周りを少し見てくる」
宇静は返事を待たずその場を離れていった。さすがというべきか、彼の表情にも足取りにも疲労は感じられなかった。
「では、支度をしますね。お二方は座って待っていてください」
働かざる者食うべからずというが、山中で皇帝と四夫人にさせるべき仕事はない。依依はひとりで積極的に動き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます