第104話.錯綜する思惑


 唐突な発言に、深玉を覗く全員の目が丸くなる。

 色気のある淑妃は瞳を潤ませると、飛傑を上目遣いに見つめる。


「もしも、もしもお慈悲をいただけるのなら……あたくしにこの梅干しを、陛下手ずから食べさせてくださいませんか?」


 依依はどっと背中に汗をかいていた。


(ま、まさか今、動き出すなんて……)


 ――そう、依依は深玉の根性を舐めていた。


 他の妃がいない現状を活かそうとしていた深玉だが、疲労困憊では何もできないだろうと踏んでいた。だが彼女は、ここぞという場面でしっかりと行動を起こしたのだ。


(その勇気には畏れ入るけど! もはや感服してるけど!)


 飛傑はといえば無言である。

 彼はつまらないことで怒り出すような皇帝ではない。だからといって、美女の色仕掛けに相好を崩すような皇帝でもないのだが。


 勝機の薄さを感じ取ったのだろうか。正面に立つ深玉の口が、依依に向かってぱくぱく動いている。どうやら依依に加勢を期待しているらしいが……。


(無理ですからね、無理!)


 と、依依もまた、口をぱくぱくして返す。深玉がむっとする。依依、首をぶんぶん横に振る。この繰り返しである。


「依依はどう思う」

「はえ」


 急に飛傑に呼ばれ、依依は変な声を出してしまった。


「どっ、どう思うも何も……」


 なぜここで依依に水を向ける。


(家庭内の問題を洞窟にまで持ち込まないでほしい!)


 依依は混乱する頭でそんなことを思う。家庭というには後宮はいささか大きすぎるのだが。

 しかしここは、一般的な答えを返したほうが無難だろう。


「自分で食べたほうが、食べやすいんじゃないかなぁ、と……」


 深玉は人を射殺しそうな目をしている。


「でも疲れたときは、食べさせてほしいと思うときも、あるのかもしれないなぁ、と……」


 あ、ちょっと和らいだ。


「ふむ。それが、そなたの考えというわけか」

「ええっと。考えというほどのものでは、ないんですけど」

「どういうことだ? 余に詳しく教えてほしい」


 やたらのんびりと、飛傑は口を動かしている。

 戸惑うばかりの依依だったが、そこで耐えかねたように深玉が両手の袖を大きく揺らした。


「い、いいから皇帝陛下ぁっ。早くあたくしに梅干しを……」

「良かった、円淑妃。指は持ち上がるようになったのだな」

「……え?」


 深玉が目をぱちくりとさせる。飛傑は微笑んで依依を見やる。


「依依、早く梅干しをやってくれ。淑妃も疲れているだろうから」

「は、はい。どうぞ」


 言われるがまま、依依は深玉に梅干しを差し出す。


「……ええと、どうもありがとう」


 こうなっては深玉も断れず、大人しくつまむしかない。

 依依は密かに、感嘆の息を吐く。


(さすが、腹黒皇帝陛下だわ!)


 最近は鳴りを潜めていたが、そもそも飛傑はこういう人だった。笑顔でのらりくらり躱すのは、飛傑の得意分野なのだ。

 今回はわざと依依に話を振ることで、先に深玉の忍耐力が切れるのを誘ったのだろう。彼女だって手ずから食べさせてくれなんて口にするのは、相当恥ずかしかったはずだから。


 しかも深玉に恨まれているのは、役立たずだった依依だけである。飛傑はまったく損していない。


(そう考えると、なんか腹立たしいような)


 彼にうまいこと利用された、というわけだ。

 依依のじっとりとした視線には素知らぬふりをして、飛傑はさっさと腰を下ろして休んでいる。

 しばらくもぐもぐと梅干しを頬張っていた深玉も、飛傑から少し距離を置いて座り込んでいた。先ほどの一件が尾を引いているのだと思われる。


「依依。俺は少し先を見てくる」

「僕も行きます」


 すかさず名乗り出ると、宇静は訝しげな顔をした。


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