第103話.深玉の思惑4


 洞窟内で迎えた初めての朝は、爽やかとは言いがたいものだった。


 といっても、それが朝なのかは明確ではない。日の光が射さなければ、小鳥の鳴き声も聞こえない洞窟では、全員が起き出した時間を朝と思うしかなかった。


 依依も早朝だとは思うものの、もはや体内時計も狂っていると見たほうがいいだろう。燃料がないので仕様がないことだ。


(うう、頭もかゆくなってきたし……)


 依依は赤い長髪を隠すために、頭巾と帽子を着けている。汗をかくと蒸れるのだが、暗い洞窟だからと不用意に外すのは憚られた。

 同じような悩みを三人それぞれに抱えているだろう。濡れた布巾で首や手足を拭ったくらいでは足りない。夏真っ盛りでないとはいえ、汗をかけば身体は否応なしに臭ってくる。


(私には、純花からもらった香袋が頼りだわ!)


 こんなことになっても、懐の香袋からは淡く優しい香りが漂っている。

 気力体力ともにじゅうぶんとは言えないが、このまま立ち止まっているわけにはいかない。そうしてしまえば、暗くて寒々しい洞窟内で最期を迎えることになる。

 せっかく見つけた水場を離れるのに不安はあるが、そこはまた見つかるはず、と前向きに考える。それまでは宇静が腰に下げた水筒が頼みの綱だ。


 全員が水分補給を終えたのを見計らい、宇静が呼びかける。


「それでは、出立しましょう」


 飛傑が頷く。そんな彼の隣に深玉の姿がある。

 歩きにくいと分かっているので、むやみやたらに飛傑にひっついたりはしていない。ずっと大人しくしててくれ、と依依は願うばかりだ。


 ――唯一、皇帝にしっかりとした関心を寄せている四夫人・深玉。


 なぜか今代では少数派に属してしまっている奇異な妃だが、飛傑に接近するためだからと無茶な真似をされては困る。そうして生まれる不測の事態は、必ず避けなければならないものだ。


(でも言葉で説得しようとしても、分かってもらえないし)


 もうみんな死ぬんだー! みたいな感じで深玉が自暴自棄になっていないのは、喜ぶべきことだ。だからといって色恋にやる気を出されても困るのだが。

 黒布だけでも手を焼くというのに、深玉の動向まで気にしていては身が持たなくなる。


 深玉をじっと注視していると、隣の飛傑が先に気がついたらしい。


「どうした依依」


 ぎろりと深玉から睨まれる。余計なことを言うなよ、の目だ。


「……いえ。なんでもありません」


 短く答え、依依は松明を取りに向かう。


(まぁでも、やろうと思っても何もできないか)


 深玉はただの気まぐれで、あんなことを言ったのだろう。

 何か具体的な行動に出ることはないはず……と考えて、依依は今日も先頭についた。




 それからずいぶんと歩いたものの、特筆すべきことは何もなかった。

 何もない、というのは依依たちにとって二番目に避けたいことだったが、本当に何もないのだから仕方がない。ちなみに一番目は、黒布と遭遇するとかどの道を行っても行き止まるとか、そういう進退窮まれりな事態である。


 洞窟内の景色は依然として変わりない。暗くて、ひんやりとしていて、出口は一向に見えてこないままだ。

 そして歩いているうちに、依依を含む全員の口数がどんどん減ってきた。喋るのにも体力がいるのだ。


 ちらりと後ろを振り返る。飛傑はまだしも、深玉の足取りが重い。昨日から歩きすぎてふくらはぎが痛むのかもしれない。

 依依も同じ女ではあるが、深窓の令嬢であった深玉とは育ってきた環境が違いすぎる。肉体的な強さを深玉に求めるのはあまりに酷だ。


 それに彼女はほとんど泣き言も言わずにがんばっている。こうなると、先頭を行く依依が速度を調節するしかない。

 しかし昨日よりも今日は、全体的に歩く速度が格段に遅くなっていた。


(水場は発見できてないけど)


 このまま無理に進むのは危険だ。


「ここで少し休憩しましょう」


 同じことを宇静も感じていたのだろう。彼が呼びかけたところで、依依は腰帯に仕舞った布包みを開いてみせた。


「梅干し、食べましょう!」


 昨日のように夜の休憩時までとっておくつもりだったが、士気を鼓舞するのに食事は必要だという判断だった。

 疲れた身体を回復させるのに梅干しは有効だ。飛傑との約束で、ひとりにつき四分の一だが。


(少しはみんな、これで元気が出るといいんだけど)


 袖で手を拭った依依は、梅干しを四つに分ける。

 宇静と飛傑は、すぐに口に含んだ。味わうように口内で転がしているようだ。依依も同じようにする。


(ああ、塩気と酸味が最高……!)


 疲れた身体に染み渡る梅干しは、昨日以上の味わいだった。

 生涯食べた梅干しの中で間違いなく、いちばんおいしかった。一生しゃぶっていたいくらいだ。指はあとで舐めようと思う。


「円淑妃もどうぞ」


 感動しながら差し出す依依だが、俯きがちな深玉は答えない。


「淑妃?」

「…………」


 彼女は梅干しを受け取らないまま、飛傑のほうを向く。

 そうして、何を言い出すかと思えば。


「皇帝陛下ぁ。あたくし、疲れて指が……持ち上がりません」








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