第102話.深玉の思惑3


 妃への質問としては、あまりにも野暮なそれ。だが依依の表情には揶揄ではなく、真面目に答えを求める誠実さがあった。


 深玉はふぅ、と息を吐く。


「好きも何も、あたくしはあの方の妻なのだけど……というかあなた、十六歳だったかしら。いいわねぇ~、若くて」


 流し目で放たれた言葉には、小馬鹿にしているような調子がにじんでいた。

 依依は思わず、むっとする。


(淑妃だって、私より四歳上なだけなのに)


 そこまで年齢に開きがあるわけではない。だが深玉の声音には、融通の利かない子どもに言い聞かせるような優しささえあった。


「もちろん、皇帝陛下のことはお慕いしているわよ。でもそんなの関係ないわぁ。あたくしは他の女を出し抜きたいの。健康な男児を産んで、皇后の座に、ゆくゆくは皇太后の座に就く。それがお父様の……ひいては円家の望みだもの」

「家のために、生きるということですか?」


 その生き方は、若晴と二人で暮らしてきた依依には理解できない。


 しかし純花は、深玉と同じような立場に置かれているはずだ。

 大貴族である四家からは、必ず皇帝の妃としてひとりの娘が入宮を求められる。母親の思悦ができなかったことを、純花は代わりに果たしている。


「そうよぉ。選ばれなければ残される道は、実家へと戻されるか、官吏に褒美として下賜されるかのどちらかだもの。あたくしの場合は、寺にでも入れられるかもしれないわねぇ。選ばれなかった女に、価値なんてないのだから」


 袖口で口元を隠した深玉は、ふふっと軽やかな笑い声を漏らす。


「あたくしは美しく生まれた。美しさを磨くための努力もしてきたわぁ。湯水のようにお金を使い、古今東西のあらゆる美容法にも手を出してきた。すべては、あの方に選ばれるためよ」


 背筋を伸ばし、大きな胸を張る。何も恥ずかしいことはないのだと、深玉は自身を誇示する。


「それに運がいいことに今上帝は容姿の優れた方で、賢君でもあるわ。女にあまり興味を示さないところは難点だけれど、攻略しがいがあるとも言えるし」


 深玉の表情にも声音にも、嘘はない。

 だからといって、心からの本音でもなかったのだろうが――依依は率直に、思った。


(この人、かっこいい)


 深玉は何かを諦めて、後宮に入ったわけではない。示された道を歩きながら、そこで誰よりも立派で、きらびやかな結果を残そうとしているだけなのだ。

 そこで深玉が頬に手を当てる。


「今のところ突破口が見当たらないのだけど……あたくしの勘ではね、皇帝陛下にはすでに意中の相手がいるようなの」

「意中の相手、ですか」

「そうよ。でも四夫人じゃないと思うわぁ。残念ながらあたくしを含めてね。灼賢妃がその相手なのかと思ったこともあるけど……最近の様子を見る限りは、違うみたい。今回も同行者に選ばなかったしね」


 ほうほう、と依依は頷く。


 こと色恋において、女性の勘ほど鋭いものはない。深玉の言う通り、飛傑に意中の相手がいるとするなら、それが誰なのかは依依としても大いに気になるところだ。


「円淑妃の勘が当たっているとすると――もしかしたら皇帝陛下の思い人は、後宮の外にいるかもしれないってことですか?」

「そうよ、そういうこと。お前、意外と頭が回るわねぇ」


 褒められているのか、けなされているのかはだいぶん微妙だ。


「で。皇帝付き武官として、心当たりはあるのかしらぁ?」


 深玉の目が鋭く光る。どうやらそのあたりも聞こうと期待していたらしい。

 依依は考えるまでもなく首を横に振った。


「いえ、まったく」


 飛傑の周りには女っ気がない。深玉の言うような人物は、候補すら見当がつかなかった。


(将軍様なら、何か知っているかもだけど)


 異腹とはいえ兄弟なのだ。宇静には胸の内を明かしているかもしれない。機会があれば訊いてみたいところだ。


「そうなのね。もしもそれっぽい相手を見つけたら、あたくしに連絡してちょうだい」

「分かりました」


 自信はなかったが、依依は頷いた。


「じゃあ、皇帝陛下との距離が縮まるよう協力もしてくれるのよね?」

「いや、そっちは」


 それとこれとはまた別の話である。

 深玉の置かれた立場や考え方については、その一端を理解できた。だからといって、この洞窟で彼女の策を手伝う気は起きない。


 返事を濁す依依だったが、深玉は一枚上手だった。


「あと一応言っておくけど、あの怖ぁい顔した鬼将軍にはこの件は内緒にしてちょうだい。――それじゃ楊依依、確かに頼んだわよ!」

「あっ、ちょっと!」


 てきぱきと言い残すなり、さっさと立ち去ってしまったのだ。

 自分勝手な妃に置き去りにされた依依は、大きな溜め息を吐いた。



 ――『護衛対象が想定外の動きをして、あんたの判断を鈍らせることもあるだろうね。あんたの腕っ節だけじゃどうにもならないことが、次から次へと出てくるはずさ』



(こういうことね、若晴……)


 いつかの若晴の警告を思い起こし、依依は頭が痛くなってくる。

 思えば、最初の護衛任務でも苦労したものだった。

 苦い思い出を頭の中で振り返ろうとしたとき、前方からぱたぱたと足音が響いてくる。


「楊依依、何をぼぅっとしてるの。早く来なさい!」


 暗いのが怖くて戻ってきた深玉だった。依依は溜め息のような返事をしたのだった。


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