第101話.深玉の思惑2
(純花と、雄様)
後宮に住まう純花は何も知らないだろう。そもそも純花の耳に入っていたら、依依に知らせなかったはずがない。
となると依依たちにとって又従兄弟である雄は、この件に関わっているのだろうか。
依依が出会った灼雄という人は、文官でありながら鍛え上げられた身体と、素早い反応速度を持つ武人だった。彼が悪事に加担しているなんて考えたくはないが、依依は雄の人となりについて詳しく知っているわけではない。
「それどころってねぇ。あたくしにとっては、いちばん大事なことよ。貴妃も徳妃も賢妃もいない今を、逃すわけにはいかないわぁ」
深玉は依依の諫言には聞く耳持たず、好き勝手なことを言っている。
依依は歯痒い気持ちになる。今まで何度か話しただけだが、深玉は決して愚かな女性ではない。そんなことを言っている場合ではないと、本当は理解しているはずなのに。
そこまで考えたところで、ふと依依は閃いた。
「まさか、馬車の車輪が外れたのは……」
「はぁっ? 違うわよ!」
うっかり心の声が漏れていたらしい。
あらぬ疑いをかけられていると気がついた深玉が顔を真っ赤にする。
「皇帝陛下にお近づきになるためだからって、そこまでするわけないでしょ。温泉宮についてからいちゃいちゃするほうがよっぽど賢いわ」
怒る深玉を、依依は変に思われない程度に見つめる。
(表情と声色に、嘘はなさそうだけど……)
「変なことを言ってすみません。円淑妃は、身を挺して子桐さんを助けてましたしね」
子桐を助ける深玉の姿に、依依は少なからず驚かされた。
妃として褒められた行動かどうか、という観点でいうなら、正しくはないのだろう。
だが依依にとっては違う。自分以外の誰かを躊躇わずに救ってみせた深玉は、人として好ましいと思えた。
(あんなの、誰にでもできることじゃないから)
深玉は依依の謝罪の言葉に、ふんっと鼻を鳴らす。
「違うわよ。あれはただ、咄嗟に動いちゃっただけ。今は子桐を助けたことを後悔してるくらいだわぁ」
「そうですよね。淑妃は咄嗟に動いちゃっただけですよね」
「なんなのよぅ、その生ぬるい笑みは……」
悪びれる深玉だが、その言葉が真実ならば、彼女の行動に打算はなかったということだ。
そもそも依依がいなければ、深玉はあの場で命を失っていたかもしれない。黒布は迷いなく、深玉のことも狙っていたのだから。
(今回の襲撃に、円淑妃は関与していないと見ていいわね)
清叉軍に内通者がいる、という可能性もなきにしもあらずだが、それならば深玉ではなく、皇帝が乗る馬車に細工したほうが手っ取り早い。目的が皇帝ならば、の話だが。
やはり車輪が外れたのは、今のところ偶然の産物と見るべきだ。運が黒布たちに味方しているということである。あれは馬車を襲うには絶好の事故だったのだろう。
「それで、協力してくれるのよね? お礼は弾むわよ」
考え込む依依の前で、なぜか深玉は話を戻してしまっている。
「いや、それは」
「んもう。煮え切らないわねぇ。あなただって若い男なんだし、気になる人のひとりや二人、いるんじゃないの?」
「気になる人……」
とある顔が、依依の脳裏に浮かぶ。
それを感じ取ったのか、深玉がにたりと笑ってみせる。艶やかな唇が、依依を誘うように言葉を紡いだ。
「その人と近づきたい、そのためなら手段は厭わない……そんな相手がいるのなら、あたくしの気持ちだって理解できるわよね。ね、そうでしょう?」
「はぁ」
(私が気になるのは純花なんだけど……)
いつだって双子の妹が気に掛かる依依である。
温泉に行けないのは可哀想だったが、こうなってからは、純花が賭けに勝たなくて良かったと思えてくる。彼女の身に何かあったら、依依はとても冷静ではいられなかっただろう。
(後宮は、外敵に対しては無類の強さを誇るもの)
無論、内側で渦巻く策謀についてはそうではないのが痛いところだが、外部からの襲撃に関しては後宮ほど安全なところはない。黒布が道中を狙ってきたのも、そういう理由からだろうが。
「というか……気になる相手って、皇妹殿下のこと?」
「ち、違いますよ」
依依は慌てて否定する。
ふぅん、と深玉は疑わしげな顔をしつつ、さらに問うてくる。
「じゃあもしかして、円秋宮の女官じゃないでしょうねぇ?」
「それも違います」
これについても、やはり依依は即座に否定した。皇太后だけでも手に負えないのに、深玉にまで変な誤解をされるわけにはいかない。今後いろいろ差し支える予感がする。
「それならいいけれど、あの子たちに手を出すのはやめてちょうだいね」
依依は絶句した。そんなに依依は手が早そうな、軟派で軽率な武官に見られているのだろうか。
しかしそういうわけではなかったらしい。深玉は溜め息交じりに理由を教えてくれた。
「今回、あたくしに同行する女官を選ぶにも一苦労だったもの。あなたがいると知って、あの子たちったら自分が行く、いや自分が、って全員暴走しちゃって……最終的には賭け事をやらせて、子桐に決まったのよぅ」
「それは……なんというか、すみません」
女官に手を出したわけでもなし。依依が全面的に悪いわけではないが、遠い目をする深玉には当時の苦労がにじんでいる。思わず謝ってしまった。
(まさか四夫人だけじゃなく、円秋宮でも賭けが行われてたなんて)
今後はなるべく、円秋宮に近づかないほうが良さそうだ。お互いのためにも。
――それにしても、と依依は思う。
深玉も、円秋宮の女官たちも。彼女たちはいつも、色恋沙汰を中心に動いている印象がある。
女性としては珍しいことではないのだろう。それも後宮に住まう身なのだから、自然なことなのかもしれない。
そんなことを思いながら、依依は訊ねていた。
「円淑妃は、皇帝陛下のことが好きなんですか?」
「はぁ?」
深玉が素っ頓狂な声を上げる。
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