第94話.黒布との衝突


 雨と呼ぶにはまばらすぎる矢だ。不意を打つ一撃としては、あまりにも練度が低い。


 ある意味では幸いというべきなのか。隊列を組んでいれば味方が逃げ道を塞ぎがちで、逃げ場がない場合もあるのだが、平野でこれを大人しく食らう兵はいないだろう。


 依依も前に出ると槍を振って、馬車に向かって飛来してきた矢の悉くを弾いた。

 そこに、馬に跨がった男たちの雄叫びが重なる。

 突進してくる襲撃者の人数は、全部で三十人といったところだろうか。

 格好はそこらの村民という具合で気になるところはないのだが、特徴的なのは全員が頭にぐるぐると黒い布を巻き、目と鼻以外を隠していることだ。


(顔を隠してる?)


 そのせいで、年齢についても把握が難しい。

 振り返った依依は鋭く告げる。


「潮徳妃、絶対に馬車の外に出ないでください。いいですね?」


 桂才の返事を聞く暇もなく、依依は駆け出した。


 向かってくる男たちの得物を、再度確認する。だいたいは剣に弓矢だが、気になるのが、後方の男二人が構える武器だった。鎖の先端に錘をつけた流星錘である。

 襲撃に反応し、四つの馬車も慌ただしくも動き出していた。その周りを庇うように、武官が剣を抜いている。


 だが、もたついている者が多い。無理もないことではあった。昨日はともかく、今日の空気は全体的に緩んでいる。戦時中というわけでなし、日頃から訓練に臨んではいても、誰も本当に襲撃があるなどと思ってもいない。休憩中だったというのもあり、意識の大半が車輪の取り替えに向いてしまっていた。


 それは依依も同じだ。嵐に跨がって待機していれば、襲撃直後から依依には機動力が備わっているはずだった。


(こんなときこそ用心深くするべきだって、知っていたのに)


「剣を取れ! 馬車を守れ!」


 宇静が指揮を執る。皇帝陛下を守れと鼓舞しなかったのは、ここに飛傑がいると敵が知らない可能性があるからだ。むやみに情報を渡すのをきらったのだろう。実際は、きらびやかな馬車だらけで、清叉軍が守っている貴人となると自ずと答えは知れてくるのだが、それはそれである。


 依依は槍の切っ先を中段で構える。

 次の瞬間、清叉軍と襲撃者が衝突し、激しい剣戟の音が響いていた。

 依依もまた、馬上から伸ばされた剣を掻い潜り、向かってくる男の肩に槍を突き立てた。

 落馬する男から槍を引き抜く合間にも、依依めがけ白刃が振り下ろされる。後ろに飛んで躱しざま、襲撃者の腹に蹴りを入れる。


 敵味方が入り乱れ、土埃が舞う。愛馬と合流しようにもこれでは無理だ。

 焦燥感を覚えながら、依依は槍を振るう。人数としては清叉軍が勝るが、守りながらの戦いではこれくらいの数は誤差の範疇だ。むしろこちら側に不利だと言える。


「あ!」


 土煙の向こうに見えた光景に、依依ははっとする。


 流星錘の使い手は集団ではなく、馬車のほうを追っていたのだ。

 馬車と馬では、言うまでもなく後者のほうが早い。

 飛傑の乗った馬車に、流星錘が叩きつけられていた。屋根と壁の一部が無残に砕け、地面に散らばる。

 大きく傾いた馬車から投げ出されたのは飛傑その人だった。彼の身体が地面を転がる。


 走りながらも依依は一瞬、迷った。飛傑を助け起こすべきか。流星錘の使い手を叩くべきか。


「!」


 迷う依依の眼前で、宇静が素早く飛傑を助け起こしていた。飛傑に肩を貸し、宇静が山に向かって移動していくが、そんな二人に向けて再び流星錘が放たれようとしている。


「っふ!」


 依依は手にした槍を投擲する。穂先が流星錘を操る男の背を貫き、どうと倒れる。

 錯綜する状況の中、依依は視線を飛ばして確認する。

 瑞姫と桂才が乗った馬車はそれぞれ速度を出して道の向こうへと消えていく。馬車を守るように牛鳥豚や涼たちが走ってついていくのが見えた。そちらに追っ手はいないようだ。

 訓練のおかげか、混乱の最中でも彼らは役目を見失っていない。それは何よりだが。


(嵐や将軍様の馬まで、ついていっちゃってるけども!)


 のんびりと草を食み、水を飲んでいた嵐たちは、飛んでくる矢や怒号に驚いたのか、慌てて走って行ってしまう。

 軍馬として訓練していても、言葉通り、訓練しか知らない馬でもあるのだ。

 それに馬とは元来臆病な生き物である。乗馬中であれば依依がすぐに宥めて落ち着かせてやれたのだが、ここでも離れていたのが仇に出た。


「きゃああ!」


 絹を裂くような悲鳴に、依依は振り返る。


 見れば取り残された深玉の馬車が、別の流星錘に狙われていた。車輪を取り替えたばかりの馬車は襲撃に際し、大きく出発が遅れてしまっている。

 人体に当たっていたら、一溜まりもなかっただろう一撃だ。運良く攻撃は当たらなかったのだが、混乱に陥った馬がいななき、前足を振り上げる。


 大きく傾いた馬車から、子桐が投げ出されかける。

 しかし悲鳴を上げる女官を引っ張り上げ、代わりに落下していたのは深玉だった。


「円淑妃!」

「いいの! お行き!」


 深玉が叫ぶ。彼女を守ろうと剣を構えた味方が、錘を受け止めきれず吹っ飛ばされる。

 次に狙われるのは深玉だ。だが距離が離れすぎている。依依は傍に倒れていた襲撃者から弓を奪い、矢筒から一本の矢を引き抜いた。

 弓矢とも粗雑な作りだが、文句を言っている場合ではない。


 狙い澄まして、きりりと引き絞って放つ。

 鎖を持つ男の右手を、その矢が射抜いた。ぎゃあと絶叫した男の胴を、味方の剣が斬りつける。


 そのときだった。

 男の頭を覆っていた黒布が、はらりと落ちる。


 依依は目を見開いた。


(あの髪色は――!)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る