第87話.大切になっていく



 依依と瑞姫は、回復したといっても病み上がりだ。

 今日は挨拶程度に済ませて、宇静たちは後宮を辞す予定だった。


 ――依依はその存在すら知らないだろうが、彼女の又従兄弟である灼シオンは、皇帝の密かな指示に完璧な形で応じてみせた。

 南王に与する湘老閣について調べ上げ、帳簿を確認するために乗り込み、税金面で不正な優遇を受けていることを摘発した。節度使が加担しており、発覚が遅れたのだ。南王は側近に唆されて、危ない橋を渡っていたことになる。


 飛傑が南王を追い詰めることができたのには、雄の功績が大きい。そして雄自身は、飛傑の慧眼に舌を巻いていることだろう。

 帳簿を検めるのは一年か二年に一度と定められているのをうまく利用しての不正であった。他の大店の状況も順次確認されている真っ最中だ。


「小兄さま。ひとつだけいい?」


 そこで――ちょいちょい、と瑞姫に手招きされる。

 依依は離れた場所で仙翠と何やら話しているようだ。あちらも織り込み済みなのだろう。


 それを確認した宇静は、大人しく瑞姫に近づいた。

 背丈の低い瑞姫が、なおも手招きを続けるので、中腰になって屈む。顔を近づけた瑞姫が耳打ちしてきた。


「……恋華宮であったことを仙翠から聞いたの」


 依依が薬を飲んで寝ていた間の出来事。それを瑞姫は女官から聞き及んだという。


「わたし、これからは小兄さまだけの味方はできないわ」


 宇静は目を見開いた。

 申し訳なさそうな瑞姫に、首を捻る。


「そもそも、最初から何も頼んでいないが」

「そうだけれどー!」


 瑞姫が頬を膨らませる。

 何やら瑞姫が、やたらと宇静と依依を近づけたがっているのには気がついていた。しかしこの妹が変な企みを抱くのは珍しいことではないからと、放置していたのだ。宇静としては、呆れるしかない。


「お前も、皇太后陛下も、俺なんかに気を使いすぎだ」


 宇静の母は、皇太后にとっての従姉妹だった。二人はとても仲が良く、まるで実の姉妹のようだったという。

 しかし母は先帝の子を宿しながら、先帝本人に密通だと断じられたことで心を病んだ。最後は、自ら命を絶ち無残に死んだ。


 未だに皇太后が負い目を感じているのは知っている。息子である宇静に、特別に計らっていることも。

 そんな母の苦悩を知る瑞姫は、宇静を手厚く遇する。飛傑もそうだ。彼はどうすれば宇静を守れるか、常に考えて行動している節がある。幼い頃から、そういう人だった。


 だが瑞姫はあっけらかんと言う。


「気を使ってるんじゃないわ。ただ小兄さまが大切なだけだもの」

「…………」


 宇静はひたすら不思議に思う。

 宮廷という特殊な場所においては、半分しか血のつながらず――しかもそれを認められない宇静は、むしろ彼女たちにとっては敵と呼ぶべき存在だろうに。


「ね、小兄さま。小兄さまも皇帝陛下に気を使ったりして、譲ったりしちゃ駄目なのよ?」


 ひそひそと瑞姫が囁きかけてくる。宇静と同じ青みがかった瞳には、焚きつけるような強い熱が宿っている。


「恋とはすなわち戦い。恋を冠する宮に住むわたしが言うのだから、間違いないでしょ?」

「お前は男に惚れたことなどないだろう」

「兄たちが格好良いと苦労するのっ」


 肩をぺしんと叩かれた。

 次いで背中を小突かれる。散々な扱いを受けつつ、宇静は依依のほうへと足を踏み出した。


「大丈夫ですか、将軍様?」


 笑いかけてくる依依に、宇静は目を眇める。


(……惜しいな)


 陽光の下、初夏の風になびく赤髪が見たかった。

 武官の格好をしているとき、彼女は鮮やかな髪を、黒い帽と頭巾の下に隠してしまうから。


「待たせたな」

「いえ。では、清叉寮に戻りましょう!」


 元気よく歩き出す依依。頭を下げる仙翠のほうもどことなく明るい顔をしているので、良い話ができたようだ。

 歩き出してしばらく。その背中に、宇静は声をかけていた。


「同じような状況に陥ったら、次から俺に毒を飲ませろ。俺ならば、替えはいくらでも利く」


 依依が立ち止まる。

 その横を、あっさりと宇静は通り過ぎようとしたが――すぐに足を止める。

 というのも袖を引っ張る手があったからだ。


 振り返ると、依依は赤銅色の目を細めて、こちらを睨んでいた。


「いやです。その考え方も、個人的にきらいです」


 そうは言うが、彼女とて武人である。こと戦においては綺麗事だけで済まないことを、理解しているはずだ。

 そして宇静のほうも言いたいことがあった。


「自ら毒を飲んだくせに」

「あれは緊急事態だったから」

「急いでいたら、お前は他人のために毒を飲むのか?」

「ええ! 飲みますねぇ!」


 これでは売り言葉に買い言葉である。

 眉間に皺を寄せた宇静は、息を切らす依依を睨みつける。


「替えが利かないのは、お前のほうだ」

「……なんですかそれ」


 もどかしい気持ちで、手を伸ばす。

 依依が身を引こうとするより早く、宇静の指先が赤い後れ毛に触れる。

 細く白い首筋ごと撫でると、びくりと震える。うろたえる眼差しを、宇静は静かに受け止めた。


「分かれ」

「…………っ」

「お前を失いたくないと、言っている」


 今まで宇静は、多くを望まなかった。

 皇位をほしがったこともない。幼い時分には、できる限り平穏な生活をと願ったこともあるが、それが叶わなかったとしても、あっさりと諦めていただろう。


 しかし今は違う。


「楊依依?」

「――わ、分かりましたから、耳元で話さないでください!」


 慌てた依依に突き飛ばされる。

 今日は女子に手荒にされる日らしい。しかし頑強な宇静はびくともせず、「本当に分かったのか?」と念押しする。


 依依は苛立ったのか、歯を剥き出しにして唸った。顔つきまで小猿めいてきたなと、宇静は密かに思う。


「つまりお互い、無理は禁物ってことですからね。将軍様もですよ! 破ったらただじゃおきませんから!」

「……ああ、分かった」


 ならば良し、と頷く依依。

 その後ろを歩く宇静は、口元を引き締める。



 もしも、半分に分けられないものがあるならば。

 ――もう誰にも、譲ろうとは思わなかった。







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 これにて第二部完結です。第三部開始まで、少しお時間いただければと思います。

 ごはんに身代わりに仕事に恋に、ますます依依の日々は騒がしくなっていきそうです。ぜひ☆をぽちっとして応援いただけたらありがたいです。



 また、6月7日に第1巻が発売したばかりの本作、なんとなんと、早くも続刊決定のご連絡をいただきました!

 これもひとえに皆さまの応援のおかげです。本当にありがとうございます。



 発売中の第1巻、加筆修正してめちゃくちゃおもしろく仕上がっていますので、ぜひぜひ第三部待機の間にでも、お手に取っていただけたら嬉しいです。

 書籍情報はこちらにて⇒https://kakuyomu.jp/users/yssi_quapia/news/16817139555192939232


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