第86話.元気を取り戻して



 翌日のこと。


 すっかり元気を取り戻した依依は、侍医に太鼓判を押されて宮城を辞した。

 といっても、ただの一武官である依依が飛傑の寝室で休んでいたとなると、良からぬ誤解を招きかねない。迎えに来てくれた宇静に連れられて、こそこそと人気のない道を通って出て行くこととなった。


 清叉寮に戻った依依を、涼や牛鳥豚が熱烈に出迎えてくれた。

 というのも彼らは、瑞姫を助けに行った依依が毒に倒れ、宮城の医務室で治療を受けていると認識していたらしい。


 そして、その日のうちに、依依は再び後宮へと入っていた。

 ――それも、武官の格好で。


(皇帝陛下から、特別に許可が出るとは……)


 ほぼ間違いなく、皇太后が手を回したのだと思われる。

 付き添いの宇静は後日でも構わないと言ってくれたのだが、瑞姫が会いたいと言っているとまで聞いてしまえば、とても後回しにはできない。


 常以上に口数の少ない宇静に連れられ、数日ぶりに恋華宮を訪れると。



「義姉さま、このたびは大変ご迷惑をおかけしました……っ!」



 なんと門扉の前。

 扁額の下あたりで膝をつき、額を地面にこすりつける瑞姫の姿があった。


「あ、頭を上げてください瑞姫様」

「いいえ。わたしは……」

「ああっ。泣かないで! ね! 僕は大丈夫ですから! ほら元気、すっごく元気ですよ!」


 二人の妹――純花も瑞姫も泣かしたとなれば姉の名折れである。

 依依は必死に言い募り、力こぶを作ったりなどして壮健さを証明する。すると苦虫を数十匹ほど噛み潰したような顔をした仙翠が、耐えかねたように瑞姫の肩に手をおいた。


「瑞姫様。依依殿もこのように言っていますから……」


 必死に抵抗していた瑞姫だが、病み上がりなのもあり、体格の良い仙翠にあっさりと立たせられてしまう。

 泣いてはいないが、しょんぼり顔をした瑞姫。だが依依は大きな変化に気がつく。


(瑞姫様、お化粧をしてる!)


 化粧だけではない。髪を結い、華やかな衣をまとった瑞姫の姿は見惚れるほど可愛らしい。

 つまり、着飾れるほど回復しているということだ。依依は嬉しくて満面の笑みを浮かべてしまった。


「瑞姫様、良かった。お元気になられたんですね!」

「……うぅ。義姉さまぁ~……」


 情けない声を上げながら、瑞姫が両手を開いて近づいてくる。

 しかしその肩を、やはり仙翠が押し留める。


「瑞姫様、誰が見ているか分かりません。依依殿を義姉などと呼ばないようお気をつけください。また、皇太后陛下が公認されているといっても、後宮内で皇族と武官が仲睦まじく振る舞うのは褒められたことではありません」


 主が全快して嬉しいからなのか、逆に遠慮がなくなったのか、仙翠が厳しく瑞姫を窘める。


 瑞姫がむっと唇を尖らせる。が、仙翠の言う通りだと思い直したようだ。

 溜め息を吐いて顔を上げると、そのときには皇族らしい、華やかさと凛々しさが同居する笑みを浮かべている。


「……このたびは、本当にありがとう。陸瑞姫は、皇族への忠義を尽くしてくれた楊依依への感謝を決して忘れません」


 後ろに下がった仙翠が満足げに口元を緩ませている。


「もしもわたしが死んでいたら、母や兄たちを悲しませていたでしょう。わたしは親不孝者になるところでした」


 その言葉に、依依は南王のことを思う。一度も会ったことのない人物のことを。


(皇太后陛下と瑞姫様は、お互い親子として思いやる関係を築いているけど)


 馬は、自らの陰謀に息子である南王を巻き込んでしまった。

 彼女の行動は、すべて息子を帝位につけるためだったのかもしれない。だが、結果的に南王は母の尻拭いをしようとして、多くのものを失ったのだ。

 黄泉の国で、彼女はどれほど自身の愚かな過ちを嘆いていることだろう。


「……瑞姫様、お願いがあります」


 それを思うと、依依は口を開いていた。


「ぜひ、純花の友人になってください」


 依依は、また武官寮に戻る身だ。

 しかし純花はこれからも長く、後宮で暮らしていく。桜霞が気にかけてくれているが、まだまだ純花には味方が少ない。


 これからも後宮で、純花は危険な目に遭うかもしれない。

 必ず助けるつもりであっても、依依はどうしたって純花とは遠い位置にある。

 そんなとき、彼女の身近で助けとなってくれる友人がひとりでも多ければと、依依は思うのだ。


(それに純花に友だちがたくさんできたら、私も嬉しいわ)


 分かりにくいところはあるけれど、純花は思いやりのある優しい子だ。

 そんな彼女の魅力を知る人が増えてくれればいいなと、依依は思っている。


 瑞姫はしばらく黙っていたが、やがてうふふと笑みを漏らすと。


「それは――わたしこそ、願ってもないことです」

「本当ですか?」

「わたしの命を救ってくれた烏犀角は、純花さまから贈られたものだとか。もはやわたしにとって、二人目の義姉さまとも言えます。近いうちに、きっとお茶会に招待しますわ」


(二人目の義姉?)


 よく意味は分からなくなってきたが、瑞姫が楽しそうににこにこしているので、まぁいいかと思う依依である。


「それと菖蒲のお花、ありがとうございます。さっそく今日、花湯にして使おうかと思いまして」

「本当ですか! 良かったです」


 すすす、と瑞姫が寄ってきて耳打ちしてくる。


「あの、それで義姉さま。……一緒に菖蒲湯に入りませんか?」

「いや、あの、それはさすがに」


 さすがに皇太后も許さないのではなかろうか。

 依依が首を振ると、瑞姫は残念です、と笑ったのだった。



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