第80話.病の正体
飛傑が許したからには、女官は従わねばならない。
仙翠は、躊躇いがちながらも寝室前に集まる女官のひとりを呼んだ。ついでに、他の面々は別室に下がるようにと言い含める。
しんと静まり返る室内に、間もなくして、見覚えのある飾り箱が運ばれてきた。
依依が頼んだのは、飛傑や宇静からの贈り物が入った大きな箱ではなく、小さな箱のほうだ。
――『大きい箱には、家族からの贈り物を入れてあるの』
そう教えてくれたのは、今は意識のない瑞姫だった。
あの言い方からして、小さい箱には、家族以外の人間からの贈り物が入っているだろうと思っていたのだ。
(この人……)
箱を手にやって来た女官に、依依は目を留める。
以前にも、仙翠と共に箱を運んできた女官だ。
市の際には、商人風の男と密かに会っていた。彼女の顔色は真っ青だったが、表情は仙翠のそれとは違っている。
何かを怖がるような、怯えているような顔つき――尋常でない脂汗を流しながらも、女官は小箱を部屋の片隅へ怖々と置く。敷物を敷くのも失念している様子で、壁際に下がってしまった。
仙翠が、瑞姫の細い首に提げられた鍵をそぅっと外す。
依依は鍵を受け取ると、箱に近づいていった。そんな依依を女官は震えながら見つめているが、視線は合わせなかった。
「仙翠さん。空気が通るように、部屋につながる窓や戸をすべて開けてもらえますか?」
仙翠は言われた通りにする。その作業は宇静と桜霞も手伝ってくれた。
生ぬるい風が部屋に入り込む。今日はかなり風が強く、寝台から下がる紗幕が巻き上がるように揺れた。
「それと全員、布か何かで鼻と口元を押さえてください」
仙翠が絹の手布を、飛傑から順に配っていく。しかし女官だけは、すすめられても首を振った。
ただでさえ呼吸の弱々しい瑞姫には、そのままにする。彼女の眠る寝台には天蓋がついているし、風もあるのでしばらくは平気だろう。
依依は一同を見回してから鍵を開けて、慎重に箱の蓋を取り外す。
開いた箱の中には、何度見ても美しい簪や笄の数々が飾られている。そこに依依は、目当ての簪を見つける。
意識して呼吸を浅くしつつ、それを指差すと。
「この簪に使われているのは、
最初に反応したのは宇静である。
布を手で押さえた宇静は、依依の指差した――赤にも橙色にも見える不思議な色合いの羽を、まじまじと見つめている。
「……毒を持つ鳥など、聞いたことがないぞ」
「南に住む珍しい種で……僕の薬の師は、数十年前に一度だけ見たことがあるそうです。とある国では水や酒にその鳥の羽毛を仕込んだり、装飾品として加工して、要人を暗殺するのに使われるという非常に強力な毒です。ですので香国の医者では、誰も知らなかったでしょう」
若晴は若い頃、よく旅をしていたのだと言う。
まだ、思悦に仕えるより前のことだろう。よくよく考えれば、依依の育て親は謎だらけである。
「この羽を持つ鳥を、僕は二年前にも見たことがあります。北の寒村近くの山を飛んでいた美しい鳥でしたが、師は一目見るなり毒鳥だと断定していました。瑞姫様を苛んでいるのは、この毒の症状だと思われます」
「二年前……瑞姫が体調を崩した時期と重なるな」
ぼそりと飛傑が呟く。
鋭く振り返る先には仙翠が控えている。
「仙翠。この簪の贈り主は何者だ?」
「馬昭儀……いえ。元妃である、南王の母親です」
今や簪を運んできた女官の顔からは、完全に色が失せている。
「先帝が倒れられるより前だったかと思います。受け取られたのは皇太后様でしたが、珍しい簪ならと、皇太后様から瑞姫様に譲られた品です」
「……そういうことか」
俯きがちの飛傑が息を吐いた。
彼は気を取り直すように、依依を見据えると。
「それで。その毒は、どうすれば解毒できる?」
「はい。それにあたっては仙翠さん、お願いがあります」
依依は仙翠に向き直った。
「僕は今から、この簪に触れます」
「…………は、い?」
仙翠は理解ができないという顔をする。他の面々も唖然としていた。
「待って……ください。先ほどあなたは、羽根には強い毒があると言いましたよね?」
「ですので、今からそれを証明します。僕が倒れたら、毒があるということになるでしょう? それが確認できたら、瑞姫様の喉に、この薬包に入っている薬を水で流し込んでください」
懐の隠しから取り出した薬包を、依依は卓子の上にそっと置く。
全員が、依依の告げた言葉の意味を噛み砕こうとしている。
その沈黙を勘違いした依依は、大事なことを付け足す。
「あっ、もちろん、薬が疑わしいようでしたら先に僕で試していただけたら」
依依はにこりと微笑む。
(薬を毒か何かだと誤解されたら困るものね)
疲労困憊の鳥にも手伝ってもらって必死に用意した、特別な薬だ。
極めて珍しいものだから、用意した分を捨ててしまえばもう余分にはない。
「では、やってみます」
必要なことはすべて言ったとばかりに、もう依依は躊躇わなかった。
「待て、依依――!」
そうして指先で、簪の羽根部分をぐっと掴み、息を吸った数秒後のこと。
――ぐるり、と依依の視界が傾く。
(……あ、ちょっとこれ、まず……)
とても立っていられず、依依はその場に倒れ込んだ。
誰かが叫ぶ声が遠くから聞こえるが、目を開けていられない。脈が乱れているのを感じる。すでに四肢が痙攣し、がくがくと震え出している。
身体が、言うことを聞かない。
依依は何度か呻いたが、その声が声になったかどうかも分からなかった。
(ど、毒蛇、とかと、くらべものにならない、わね)
山奥で毒のある生き物を、そうとは知らず調理しては、ばたんと倒れ込んだ日々を依依は走馬灯のように思い出していた。
毒には少しばかり耐性のついているものと思っていたが、とんでもない。毒鳥の毒は、他の追随を許さないきつさがある。
瑞姫は本当に、少しだけ簪に触れたか、あるいは気管支に吸い込んだだけだったのだろう。
そのおかげで今まで保っていた。でなければ、身体の小さな瑞姫では長くは耐えられなかったはず。
しかし長い期間、毒と戦い続ける日々は苦しいものだったろう。
「は、やく……瑞姫様…………に」
一刻も早く、瑞姫に楽をさせてやりたい。
その一心で、強い吐き気をどうにか堪えて、依依は途切れ途切れの言葉を紡ぐ。
だが倒れていた依依の身体は、ぐいと持ち上げられる。頭の中身ごとぐわんと揺らされたようだ。
あまりの気持ち悪さに、ぐえっと嘔吐きかける依依に、誰かの影が覆い被さってきて。
――その直後。
唇に何か、熱いものが押し当てられていた。
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