第68話.密会現場

 


 妃嬪並びに後宮で働く女官は、すべてが皇帝である飛傑の所有とされる。


 皇帝のものでありながら、それ以外の男と通ずるのは後宮では犯罪だ。

 女官であれば大人しく年季明けを待つべきなのだが、恋愛感情というのはなかなか制御が利かないものなのか。毎年のように、市や春彩宴といった後宮が開かれる機会を狙い、密会や逢い引きを企む男女は後を絶たないという。


「ここに来るまで、誰にも見られてないよな?」

「私はじゅうぶん気をつけてたわ。あなたこそ平気でしょうね?」


 宇静と依依が潜んでいるのにも気がつかず、やり取りする声が聞こえる。

 その姿は依依たちからは見えない。声からすると二人とも年若いようだが。


 依依は目の前で屈む宇静に目配せをした。すぐに気がついた宇静が頷く。


 ……だが、そのときだった。

 宇静の首元を覆う毛皮が、依依の鼻をするりと撫でた。

 依依の鼻がとたんにむずむずとする。


(ま、まずいわ。く、くく、くしゃみが――っ)


 手で押さえようとするが、間に合わない。

 とっさに宇静が依依を抱きしめる。




「…………くちゅっ」




 大変に中途半端なくしゃみの音が、小さく響いて。

 ぴくっ、と受け止めた宇静の肩が揺れる。


「誰だ!?」


 反応は素早かった。

 茂みの中から、慌てて商人らしき格好の男と女官が現れる。

 だがそこで、二人は揃って固まった。


 というのも当然である。

 目撃者を確認しようとしたら武官二人が抱き合っていて、しかもその片割れが将軍だったのだから、驚かないはずはない。


 宇静が諦めたように依依を離す。

 しょんぼりした依依だったが、そこで声を上げそうになった。


(この人……)


 女官の顔に見覚えがあったのだ。

 恋華宮の女官――つまり、瑞姫の世話をしている女官だ。


 先日、宮殿に行った際も、贈り物の簪が詰まった小箱を持っていた。

 彼女は依依には気がつかなかったが、宇静を見て顔を真っ青にしている。


「しょ、将軍。これは……」


 何かを弁明しようと、女官が口を開くと。


「俺たちは何も見ていない」

「……えっ?」


 女官と商人が、ぽかんと間抜けに口を開く。

 いち早く、その言葉の示すところに気がつき――依依は唖然としてしまった。


(え? 許すの?)


 女官の密会は大罪だと口にしていたのは宇静その人だ。

 だが清叉軍将軍の下した判断であれば、依依が口出しすることではない。


 二人は明らかに安堵の表情をしていた。


「かっ……感謝いたします!」

「とっとと失せろ」


 慌てて去って行く背中を、依依はなんともいえず見送るが。

 宇静はそんな依依を振り仰ぐと。


「依依。お前の目には、あれが密会に見えたか?」


 出し抜けの問いに、依依はきょとんとする。


 よくよく思い出してみる。

 茂みから漏れ聞こえてきた言葉。その声色にも、緊張はあれど甘さはなかった。

 そして、おそろしい将軍を前にして死をも覚悟しただろうに、最後まで手を取り合うことも、寄り添い合うこともしなかった。


 しかも最終的に、目を合わせることもなく、反対方向に逃げていった二人の姿……。


「…………いえ」


 依依は、首を横に振った。

 あれは、離ればなれになった男女の逢瀬ではなかったのだ。


「密会……、というよりは、悪巧みの相談をしているようでした」

「そうだな。俺もそう思う」


 その答えは、宇静にとっても満足のいくものだったらしい。

 彼は世間話のような気軽さで続ける。


「楊依依。男のほうを追えるか?」


 遠ざかってはいるが、まだその背中は補足できる。

 足の速さでいえば、清叉軍で依依に匹敵する者はひとりも居ない。


「もちろん!」


 大きく頷いてみせると。

 先ほどの失態を取り返すように――依依は即座に走り出した。



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