第67話.緑茶月餅

 


 とにかく甘い金平糖を、依依は頬をゆるゆるさせながら食べる。

 その場では五粒だけ食べることにした。高級菓子なので、一度に食べきるのはもったいない。


(夕餉のあとにも、あと五粒……)


 とか考えつつ、ちらっと傍らの宇静を見上げる依依。

 すぐさま視線に気がついた冷たい顔つきの美丈夫と、ばっちりと目が合う。


「これ、本当にもらっちゃっていいんですか?」

「今さら返す気もないのだろう」


(部下のことをよくわかっておいでです!)


 何を言われても、もう布包みを手渡すつもりはない依依だ。

 えへへ、と依依ははにかんだ。


「ありがとうございます、将軍様!」


 どこかまぶしそうに目を眇めて、宇静がそんな依依を見下ろす。

 薄い唇が、名前を呼ぶ。


「――依依」

「はい?」


 ふいに宇静の手が、依依の後頭部を包み込む。


(えっ?)


 大きな手に抱き寄せられて、額が宇静の筋肉質な腕に当たる。

 依依は心臓の位置がふわりと持ち上がった気がした。


 もちろん、それは錯覚だったのだろう。

 すぐに宇静は手を離して、依依を解放する。


「気をつけろ。後ろの宮女にぶつかるところだった」

「……す、すみません」


 金平糖に浮かれすぎていたようだ。周囲への注意が疎かになっている。

 依依は気を引き締めた。道の隅に寄り、きりりとした表情で辺りを見回す。


 宇静が感心したように頷く。


「不審者が居ないか監視しているのか」

「いえ。金平糖だけでは物足りないので」

「は?」


 意味の分からない宇静が首を傾げる。


「昼餉の前に他にも何か胃に入れなくては、お腹が空いて注意力が散漫になります!」

「…………」


(あ! 月餅発見!)


 目を光らせた依依は、呆れる宇静を置いて軽快にその天幕へと走る。

 どうやら月餅専門店らしい。馴染みのある種類から、見たことのない珍しい具材を入れたものまで揃っている様は壮観だ。


 月餅は腹持ちが良くそれなりに保存も利くため、依依の故郷でもよく作られていた菓子だった。

 小豆餡や緑豆餡が一般的だが、若晴は栗の餡を使った月餅が好きだった。依依は秋になると大量の栗を拾ってきて、月餅を大量生産していたものだ。余った野菜をまとめて投入すれば、菓子ではなく主食としても食べられる。


(へぇ、おもしろい。果物や海鮮を入れた月餅もあるんだ)


 物珍しさに、商品が陳列された台を隅から隅まで見て回ってしまう。

 そうしつつ、追いついてきた宇静がとある箇所に視線を投げていることも、依依は気がついていた。

 あくまで興味なさそうにしているが、もしかすると。


(将軍様の好きな味なのかも?)


 ならば、と依依は一本指を立てる。


「おじさん、緑茶月餅ひとつ」

「ありがとうございます!」


 後宮の市に呼ばれる店というだけあってか、店主の物腰は丁寧だ。


 依依は自分の顔の大きさほどもある月餅を受け取った。

 月餅は小さく切り分けて、何人かで食べるのが一般的だ。

 しかし今は二人きりである。依依はもっちりとした生地を真っ二つに割った。


 そのうちのひとつを宇静に差し出す。


「将軍様、半分どうぞ」

「半分もいらん」

「相変わらず小食ですね」

「………………」


 ひったくるように取られた。負けず嫌いは相変わらずのようだ。


 だが休憩用にいくつか外に設置された椅子は、買い物疲れの女官や宮女たちで埋まっている。

 ここに混ざって菓子を堪能する豪胆さは依依にはない。というより、申し訳なくて近寄れない。


(どうしよう?)


 純花を頼って灼夏宮の庭を借りるとか?

 しかしただでさえ市の開催中は、人の往来が激しい。不用意に純花に近づくのは憚られた。


 困っていると宇静に呼ばれる。


「依依、こっちに来い」

「えっ? はい」


 宇静が向かったのは、宦官や宮女たちがよく使う通りだった。

 後宮内にある彼らの宿舎から、妃嬪の住む宮殿までの近道なのだ。

 適当な大きさの庭石に並んで腰かける。茂みが多いので、誰かに見つかる心配はなさそうだ。


「穴場ですね」

「たまに密会現場にも使われているがな」


 ……良からぬ情報が付け加えられた気もするが、依依は気にしない。


(では、いただきます!)


 半分になっても大きな月餅に、口を思いきり開けてかぶりつく。


 ふわふわと柔らかな餅の感触。

 中の餡は緑茶の味で、意外とさっぱりしている。


「緑茶月餅、初めて食べたけどおいしいですね!」


 もぐもぐと頬張っていた口の中がなくなると、ぽつりと宇静が呟いた。


「昔、よく食べた」


 彼にとっての思い出の味なのだろうか。

 並ぶ月餅を眺めていた宇静の横顔を思い返す。どこか懐かしそうだった。きっと好きな味つけなのだろうと、何気なく買ったのだが。


「いつも兄は俺に、半分より多く分けてくれた」


 風が止んでいるからか、小さな声でもよく聞こえる。

 手を布巾で拭う宇静の目は、遠くを見ているようだ。


(兄ってことは……陛下の話?)


 飛傑と宇静の間にも、何人かの男兄弟が居た。

 だが彼らが、不貞の子扱いされた宇静に優しく接したということはないだろう。先帝が健在だった頃なのだから、今よりも宇静の置かれる立場は厳しいものだったはずだ。


「半分より多めになんて、優しいですね」

「そうだな。お前は少ないほうを俺に渡したが」


(うっ)


 さりげないつもりだったのに、ばれている。依依は冷や汗をかいた。

 宇静が口角を緩める。


「別に責めているわけではない。美味かったぞ」

「……そうですか」


 なんだか依依は調子が狂うのを感じる。

 原因は分かっている。普段は冷徹鬼将軍で通る宇静のまとう雰囲気が、妙に柔らかいのだ。

 というよりも、どこか今の宇静は弱々しかった。


 いつも彼が身につけている鉄壁の鎧が、砕けてしまったような。


「皇位が半分に分けられなくて良かったと、俺は今でも思っている」

「…………!」


 依依は息を呑む。


 国の頂点たる天子はひとりだけ。

 先帝の死後、皇太子であった飛傑は順当に即位した。


 だが宇静の目には、そうは映らなかったのかもしれない。

 もしも玉座が、月餅のように半分に割れるものであれば――違う結果になっていたかもしれないと危惧している。


(陛下は将軍様のことを信頼し、傍に置いているのかと思ってたけど……)


 それだけではないのかもしれない。


 飛傑が宇静に対して抱えているのは、並々ならぬ感情なのだろう。

 同情か、憐憫か、罪悪感か、それとも――依依の思いも寄らない思いなのだろうか。


 考え込む依依の前髪が、さらりと揺れる。

 赤い髪色を隠すために、頭巾の上から帽子を被っているので、髪はほとんど外に出ていない。

 だが揺らしたのは、今頃吹いた風によってではない。宇静が、依依の髪に触れていた。


 戸惑いながら見上げると、青みがかった黒目と目が合う。

 前屈みになった宇静の長い横髪が、依依の頬に垂れる。




「……また、半分に分けられないものがあったら、兄上は」




 ――その先、宇静がなんと言うつもりだったのかは分からない。


 というのも唐突に、大きな手のひらが依依の口に当てられていた。


(んっ!?)


 目を白黒とさせる依依に向けて、口元に一本指を立ててみせる宇静。

 静かにしろ、という意味だ。依依が目顔で頷くと、宇静はすぐに口を解放してくれる。


 彼の目は、後ろの茂みへと鋭く向けられている。

 そこからひそひそとしたやり取りが漏れてきていた。


「ああ、会いたかったわ!」

「俺だって、どれほど案じていたか……」


 依依の呼吸がぴたりと止まる。


 市の警備の仕事が与えられた際に、説明は受けていた。

 良からぬ商品を持ち込んだり、不適正な価格で売り込もうとする商人が居るので、それを取り締まるためにも見回りを行うこと。


 だが、最も注意すべきは別にある。

 三日間のみ後宮が開かれる間、警戒すべきは――。



(……ふ、不義密通!)



 ――すなわち密会、である。



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