第66話.金平糖

 


(うわぁ、うわぁうわぁ!)


 天幕の間を、依依は赤銅色の目をきらきらさせて歩いていた。


 飛傑を護衛しているときは、さすがに観察だけに集中するわけにはいかなかった。

 しかし護衛任務も問題なく終えた今は、見るものすべてに視線を奪われてしまう。


 市で売られているのは、妃嬪向けの装飾品や絹だけではない。

 陶磁器や硝子で作られた工芸品。さらには西方から運ばれてきたのか、見慣れぬ果物や菓子らしきものも並んでいて目移りしてしまうのだ。


(すごいわ! こっちの変な形をしたのも食べ物なのかしら?)


 軒先に立つ、愛想の良い中年の男店主に訊いてみようとすると。


「止まれ。――おい、止まれと言っている、小猿シャオユェン

「ぐえっ」


 首根っこを掴まれ、依依の息が詰まる。

 すぐに解放された依依だったが、抗議の視線と共に振り返ると、呆れた顔の宇静と目が合う。


「ひとりで勝手に進むな。戻れなくなるぞ」


 つまり、はぐれないか心配してくれたらしい。

 言われてみると、確かに数分前より人の往来が多くなっている。昼が近いからか、最も市が混み合う時間帯のようだ。


「すみません、ありがとうございます」


 宇静がふんと鼻を鳴らす。

 仏頂面の彼を後ろに従えて、依依は店主に話しかけた。


「これ、なんてお菓子ですか?」


 依依が気になっていたのは、棚の真ん中に目玉商品として置かれている菓子だ。

 表面には小さな突起がいくつもついている。黄色や青色、桃色など、様々な色合いが可愛らしい。

 かなり小さいが、三十粒ほどが布に包まれて販売されている。


 武官に訊かれるとは思っていなかったようで、やや面食らった様子ながら店主が教えてくれる。


「これは西の国で貴族に好まれる、金平糖というんだよ。甘い砂糖のような味の菓子だ」

「へぇ、金平糖」


 初めて聞く菓子名だ。西から運んできたということは、砂漠を渡ってきたのだろう。

 砂漠を越える際は、駱駝らくだという生き物の背に少量の荷物を載せて移動するらしい。若晴が昔教えてくれた。


 駱駝だけでなく、もちろん人件費や船代だけで相当なものだろう。

 そのせいか金平糖の値段はかなり高いというか、ぼったくりにも近い。

 依依の俸給でたとえるなら、三十粒でおよそ二か月分。


(これは……残念ながら、私には手が出ないわね)


 とほほ、と依依は肩を落とす。


 お金は大事にするようにと常々、若晴からも口を酸っぱくして教えられてきた。

 別にお金に困っているわけではないが、菓子に大枚はたくわけにはいかない。


 そのときだった。

 気落ちする依依の後ろから、淡々とした声が聞こえた。


「一袋もらおう」

「まいど!」


 えっ、と依依は目を見開く。なんと宇静が金平糖をお買い上げしていた。

 さすが、一軍を従える将軍と言うべきか。その財力に圧倒されながら、依依は呟く。


「将軍様、甘いものがお好きなんですね」


 宇静は食堂ではなく個室で食事をとるので、今までは気がついていなかった。

 意外な発見だと思って訊くと、宇静が眉を寄せた。


「何を言っている。これは自分用に買ったわけではない」

「じゃあ、誰にですか?」


 普段は引き締まった口元が、わずかに緩む。


「どこぞの小猿が、物欲しげな顔をしていたからな」


(どこの猿のことよ!)


 無論、依依のことであった。

 むーっとする依依の目の前で、宇静がこれ見よがしに布包みを解いてみせる。


「ほら」


 開いた布を目の前に差し出されるが、依依はそっぽを向いた。

 宇静が信じられないというように目を丸くする。


「どうした。お前が食べ物に飛びつかないなんて……腹でも壊したか?」


 これで怒らせるつもりではなく、真面目に訊いている宇静だ。

 だが依依は腹を壊したわけではない。むしろ元気はあり余っている。


「そんなに高いもの、もらえませんよ」


 この小さな一粒だけで、依依の顔ほど大きな月餅がいくつも買えるくらいだ。

 さすがに遠慮がちになる依依だったが、宇静は珍しく引かなかった。


「妹の話し相手になっているお礼だと思えばいい」

「自分が好きでやっていることですし」


 それこそ、誰かにお礼されることではないと依依は首を振るが。


「俺も、勝手にお礼をしているだけだが」

「……ううっ!」


 そこまで言われては、もう依依は我慢できなくなる。

 そもそも菓子や点心が大好きな依依だ。気になる菓子を目の前に見せられて、ここまでよく耐えたと言えよう。


「では、遠慮なく!」


 先ほどまでの逡巡ぶりはなんだったのかというくらいの勢いで、依依はばっと手を出す。

 しかし手つきは慎重に、一粒の金平糖を持ち上げる。というのも無駄に力を加えれば、地面に飛んでいきそうなくらい小さい菓子なのだ。


 それを、口の中に放ってみると。

 くわっと目を見開き、依依は叫んだ。



「…………甘い!」



 たとえるならば、砂糖を丸ごと舐めているような感覚。じんわりと脳が痺れるほどに甘い。

 だがしつこくはない。舌の上で甘く蕩けていくように消えていく。まるで雪解け水のようだ、と思う。


 ときめきのまま、依依は突っ立ったままの宇静にも勧めることにした。


「将軍様も食べてみてください。これ、おいしいですよっ」

「俺はいい。全部やる」


 本当に興味がないようで、宇静は布ごと依依に押しつけてくる。

 致し方なく受け取った依依だが、そこで作戦を思いついた。


「あっ、将軍様。歯に何かついてますよ?」

「何?――あっ」


 開いた口の中に、依依は金平糖を放り込んだ。


 おい、というような目を向けられるが、依依は無視する。

 口に入れた以上は、吐き出すわけにもいかないと思ったのだろう。大人しく宇静は口を動かしていたが。


 ――かり、と金平糖が割れる、小さな音がして。


 その数秒後のことだった。

 涼しげな目元が、度し難いと言いたげにぐにゃりと歪んだ。



「…………甘すぎるだろう」



 雄弁すぎる表情に、依依は悪いと思いつつ笑ってしまった。

 店先で戯れる武官たちに、店主は困った顔をしていたのだが、しばらく依依たちは気がつかなかったのだった。



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