第62話.瑞姫の蒐集品
「義姉さま~!」
翌週のこと。
再び依依は恋華宮、その寝室を訪れていた。
依依を見るなり、ぱぁっと表情を明るくする瑞姫を見て、ほっとする。
最後に会ったときより、ずいぶん調子が良いようだと思ったのだ。
「瑞姫様。本日もご機嫌麗しゅう――」
「早く立ってちょうだい!」
挨拶の言葉も遮って、瑞姫が依依を立たせる。
お転婆な瑞姫を、仙翠は強張った顔つきで見守っている。
瑞姫はそれから、依依の空いた隣を見ると。
「今日は、小兄さまは一緒じゃないのね」
残念がる様も微笑ましい。
「将軍様も瑞姫様に会いたかったでしょうが、市場の警備の件で合議があるようです」
本来であれば依依も参加すべきなのだが、あとで説明の紙をもらえることになっている。
「……そうだった。もうそんな時期なのね」
娯楽の限られた後宮だが、年に一度だけ大規模な市場が開かれる。
来週から始まる市場は三日間続く。普段なかなか後宮の外に外出できない妃嬪や女官は、その三日間だけは自由に買い物を楽しめるという。
皇帝付き武官である依依も、宇静と共に飛傑を警護する。
大量の商人が出入りするので、春彩宴と同じく清叉軍はほぼ全員が駆り出される。
前日から依依はまた純花と入れ替わる。その件は純花にも伝えてある。
(純花に、ちゃんと市場を楽しんでほしいもの)
砂漠を越えてきた隊商も、海外から珍しい品々を運び込むという。
昨年は毒を盛られた騒ぎがあり、純花はひとつも商品を買えなかったと林杏が嘆いていた。
だから今年こそ、林杏や明梅と一緒に純花が買い物を楽しめたらいいと依依は思う。
「それにしても、いつも義姉さまを護衛してと伝えてたのに」
拗ねた顔をしている瑞姫。
「瑞姫様は、本当に将軍様が大好きなのですね」
「……兄を嫌いな妹なんて居ません」
瑞姫は真っ向から指摘され、少し照れたようだ。頬がほんのりと赤い。
(可愛らしいわねぇ)
この年頃の少女らしくなく大人びた瑞姫だが、こういうところは子どもっぽい。
にこにこしていた依依だが、そこで思いがけないことを訊かれた。
「義姉さまは?」
「はい?」
「小兄さまのこと、好き?」
「……えっ」
何かを期待するような、瑞姫の瞳の輝き。
その問いが、不慣れな色恋に関わる類のものなのだと依依は気がつく。
(私が、将軍様のことを好きか……?)
そもそも依依にとって、宇静は直属の上官だ。
剣の腕に優れる、眉目秀麗な鬼将軍。他人に厳しい人だが、彼はよっぽど自己を厳しく律しているから、清叉寮の誰もがその実力を認めている。
依依だって宇静のことをもちろん尊敬しているが……。
「え、ええと、その」
しどろもどろになった依依が、うまく答えられないでいると。
「……なんてね」
瑞姫が可愛らしくぺろりと舌を出す。
「ちょっと訊いてみただけなの。気にしないで」
瑞姫が引いてくれて、依依はほっとする。
彼女は口角をにんまりと持ち上げると、依依の袖をくいと引いた。
「それでね。今日は、わたしの蒐集品を見てもらおうと思って」
「蒐集品、ですか?」
(動物の首とかかな? あっ、それとも毛皮か爪?)
などと依依が物騒なことを考えているとは知らず、瑞姫は仙翠に指示を出している。
仙翠と別の女官が、別室から飾り箱をそれぞれ運んでくる。特に仙翠の手にするほうはだいぶ重そうに見えるが、長身の女官は表情ひとつ変えていない。
瑞姫が首元に提げた鍵を取り出す。
女官に渡された鍵は二本。よっぽど高級なものが仕舞ってあるから、管理を厳重にしているようだ。
そして赤い敷物の上に置かれた箱の鍵が、ほぼ同時に開かれると。
小さな鏡がついた箱の中には――きらびやかな簪の数々が並んでいた。
「わぁ、すごい!」
あまりおしゃれに興味がない依依も、思わずはしゃいだ声を上げてしまう。
紅玉、青玉、黄玉のついた玉簪。透かし彫りの飾りがついた平打ち簪。
真珠の垂れ下がる簪や、大輪の花が咲く簪。それに簪だけでなく、美しい
ざっと数えただけでも、二箱分を合わせて五十本以上はあるだろうか。
依依には詳しいことは分からないけれど、繊細な細工や装飾の施された装飾品の数々は、そう簡単に手に入るような代物ではあるまい。どれも一級品だと思われる。
「わたし、いろんな簪を集めるのが趣味なのです」
はしゃぐ依依に微笑みながら、瑞姫が仙翠の持ってきた箱から一本の簪を取り出す。
白や桃色の小振りな絹花をいくつもつけた簪だ。一目見て、依依は可憐な瑞姫に似合うだろうと思ったのだが。
「ねぇねぇ。これとか、どうかしら」
依依の髪の飾りを外すと、瑞姫は手にしていた簪をそっと髪に挿してくれる。
出来映えを確かめた瑞姫が破顔する。
「ね、やっぱり素敵。義姉さまの赤い髪によく映えるわ」
仙翠が手鏡を掲げてくれたので、依依も見てみる。
よく磨かれた鏡の中から見返してくる自分に、その簪は確かに合っているように思う。
「良かったらもらってくださる?」
「えっ。こんな素敵なもの、受け取れません」
依依は断るが、瑞姫は「ううん」と手を振る。
「わたしが、受け取ってもらえたらうれしいの」
ここまで言われたら断れない。
「……ありがとうございます、瑞姫様」
依依はありがたく受け取っておくことにする。
「瑞姫様は、いつから簪を集めるようになったんですか?」
「小さい頃から、こういったきれいな飾りや宝石が好きだったの。だからお母様や兄さまたちも、しょっちゅう簪を贈ってくれるようになって」
そういって瑞姫が指差す。
「大きい箱には、家族からの贈り物を入れてあるの。これは大兄さま、こっちは小兄さまが、わたしの九歳の誕生日にくれたのよ」
大事そうに教えてくれる。
瑞姫に喜んでほしくて、二人の兄がどれがいいかと選ぶ場面も目蓋の裏に浮かぶようだ。
「最近は新しい服を着たり、簪を着けることもできないけど……でもやっぱり、美しいものを見ると心が安らぐわ」
整理された箱の中身を眺める瑞姫は、どこか寂しそうに見える。
瑞姫は、来週からの市場に参加できないのだ。
この様子では、恋華宮に商人を呼ぶこともしないのだろう。というのも、呪われた姫と噂が立っている以上、瑞姫に近づきたがる商人は居ない。
横顔を見ていた依依は、ふと思いつく。
(瑞姫様に、何か贈り物がしたい)
護衛の仕事はあるが、休憩時間も少しはもらえるはずだ。
依依の給金で買えるものは限られているけれど、簪のお礼がしたいし、少しでも瑞姫の心を晴らしたい。
(こっそりと買い物するくらいなら、大丈夫よね?)
宇静にも相談してみよう、と思いつつ、依依は再び箱の中を見やる。
手つかずの小さい箱のほう。その中に珍しい色の羽根飾りがついた簪を発見して、依依は目を奪われた。
光沢のある朱色の羽根。
否、角度によっては橙色にも見える。
目にしたとたん、どこか懐かしいように感じて依依は手を伸ばした。
「瑞姫様。こちらの簪は――」
「すまない。遅くなった」
依依は手を引っ込めて振り返った。
駆けつけてきたのは宇静だ。よっぽど急いでいたのか、わずかに息が切れている。
「あら、小兄さま!」
頬を緩めた瑞姫が宇静に駆け寄っていく。
人が多くなってきたからか、仙翠と女官は箱の蓋を閉じ、別室に下がる。
しかしそこで、瑞姫がとんでもないことを言い出した。
「小兄さま見て。義姉さまに簪をあげたの」
「る、瑞姫様っ?」
驚く依依の背を押して、瑞姫が無理やり宇静の前に立たせてしまったのだ。
「どう? とっても似合うわよね?」
宇静が、目の前の依依を見つめている。
たった数秒間の沈黙。それなのに依依の心臓がどくり、と脈打つ。
(……どうしたのかしら、私)
先ほどの瑞姫の問いかけが、尾を引いているのだろうか。
宇静のほうをまっすぐ見られずにいると、彼が口を開く気配がした。
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