第55話.皇帝からの呼び出し2

 


「楊依依。そなたには、余の妹と友人になってもらいたい」



 依依は赤銅色の瞳を、ぱちぱちと瞬かせる。


 以前呼ばれた謁見の場ではなく、案内されたのは飛傑の私室だった。

 皇帝らしい豪奢な調度に囲まれた空間である。つまりそれだけ、内密な用件だということだ。


 外に見張りこそ立っているが人の下げられた今、この場に居るのは飛傑と宇静、それに依依のみ。

 果たしてどんな無理難題が課せられるのかとどぎまぎしていた依依だが、着座している飛傑から告げられたのは意外な言葉だった。


「妹って……もしかして、仙翠シェンツイさんが仕えてる?」


 皇妹つき女官だという仙翠は、何度か依依に力を貸してくれた。

 彼女のおかげで何度か依依は後宮の外に出ることができたのだ。


 肘置きにもたれた飛傑が、鷹揚に頷く。


 朝議を終えたあとなのだろう。天翔る黄竜が精緻な刺繍で描かれたきらびやかな衣をまとう姿は、そのまま絵姿になりそうなほど鮮やかで美しい。

 麗しの風貌の皇帝ではあるが、その本性を知る依依はまったく油断できない。


「そうだ。妹の名は瑞姫ルイヂェンという。呪われた姫などと呼ぶ不届き者も居るが」

「また呪いですか?」


 思わず依依は声を上擦らせる。


(呪われた妃の次は、呪われた姫?)


 いったい宮中ではどれだけの呪いが横行しているのか。依依のこめかみが痛む。

 ふう、と飛傑も同意するように大きく息を吐く。


「あれは、余の唯一の同母妹でな。二年前ほどから原因不明の病で体調を崩し、恋華宮レンカキュウという生まれ育った宮で休んでいる。しかしそなたの話を聞き、会ってみたくなったそうだ」

「私の話?」


 なんの話だろう。そもそも誰が話したのだろうか。

 疑問に思っていると、さらりと宇静から教えられた。


「……よく寝物語をせがむから、俺が話した」


(すぐ傍に居た!)


 普段以上に口数が少なかったのは、彼なりに気まずかったからなのか。


 宇静によると、彼は暇だとぼやく瑞姫に、依依の後宮での活躍についていくつか語っていたらしい。

 詳細は濁し、ただの物語だと偽っていたそうだが、瑞姫はすぐに見抜いた。


「『そんな物語はどんなに探しても見つからないし、不器用な小兄様にいさまが何もないところからお話を作れるわけがない』と言われ……」

「当たってますね」


 ぎろりと睨まれた依依はさりげなくそっぽを向く。


「結局、仙翠に頼み事をしているのを逆手に取られ、お前のことが瑞姫に知られてしまった」


 宇静も何やら疲れた様子だ。

 眉間の皺は多いものの、飛傑によく似た異母弟である彼もまた驚くほどの美丈夫である。


 臥せっているというが、瑞姫という姫君はなかなか食わせ物らしい。

 二人の兄を手玉に取っているとは見事、と依依はまだ見ぬ姫に感心してしまう。


 飛傑が話の続きを引き取る。


「普段はけして望みを言わぬ、気丈な子だ。だからこそ駆け回る小猿シャオユェンを眺めてみたいというなら、叶えてやりたいと思ってな」


(小猿言うな!)


 文句を言いたかったが、依依はぐっと我慢する。


 飛傑の遠くを見る眼差し。

 彼も宇静も、妹のことを心から案じているのが伝わってくる。


(そりゃあ妹のことだもの、心配よね……)


 依依だって、ひとりきりの妹に会うために都くんだりまでやって来た身。

 妹を気遣う二人の気持ちは、よく分かるつもりだ。依依に会って少しでも元気を取り戻してくれれば、という思いがあるのだろう。


 そう思いつつ、依依は疑問の答えにようやく辿り着いていた。

 まだ、純花が呪われた妃と呼ばれていた頃のことだ。


(宮廷道士と諍いがあった様子の将軍様。それに、呪いなんて信じないと苦しげに言っていた樹貴妃)


 皇太后は樹家の出身で、飛傑と瑞姫はその子どもに当たる。

 そして宇静は皇太后に仕えていた樹家の侍女の子で、桜霞インシァは遠縁だが同じく樹家の姫と、四人とも関係は近い。


 飛傑や宇静だけでなく、桜霞も後宮内に留まる瑞姫と親交があるはずだ。

 つまり宇静と桜霞はあのとき純花ではなく、瑞姫のことを考えていたのだ。彼女の病気のことで、周囲と揉め事があったのだろう。


 疑問が氷解すると同時、ぜひ瑞姫に会ってみたいという気持ちになる。

 しかし依依は、飛傑に低頭し答えていた。


「陛下。瑞姫様と友人になると、お約束することはできません」

「……何?」


 飛傑が訝しげに聞き返す。


 宇静が首を動かし、ぐるんとこちらを見る。

 険しすぎる双眸が「本気か」と訴えてきている。だが、依依はいつだって本気だ。


「誰かに頼まれて友人になることなどできません。友とは互いを知り、絆を育んでできるもの」

「一理あるな。それで?」

「ですから今、姫君と必ず友になると豪語することはできません」


 依依と瑞姫は、お互いに人づてでしか相手のことを知らないのだ。

 会ってみれば気が合わないかもしれないのだから、依依に大言は吐けない。


 罰せられるかとちょっぴり不安に思った依依だが、返ってきたのは柔らかい吐息だった。

 飛傑は口元に笑みを浮かべている。


「相変わらず、そなたはおもしろい」


(これ、褒められてる?)


 けなされているかもしれないが、とりあえず「畏れ入ります」と返す依依。


「いいだろう。ではそなたに瑞姫の話し相手になることを命ずる」

「は。謹んで承ります」


 想像とはだいぶ違うが、皇帝の勅令であることに変わりない。

 膝を床につき、深く礼をとる依依を、飛傑はすぐに立たせる。


 そこで野暮な質問だと理解しつつ。

 依依はとりあえず大事なことを訊かねばならなかった。


「あのー。ちなみにその妹さんって、どちらにいらっしゃるんでしょうか?」


 ふ、と飛傑が笑う。

 分かりきっているだろうに、と言いたげな表情で、彼は短く告げた。



「無論、後宮だ」



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