第54話.皇帝からの呼び出し1

 


大哥ダーグー! 今日はおれと稽古しませんか!」


 基礎体力向上訓練のあと。


 修練場の一角で頬を流れる汗を拭っていた依依は、その声に振り向いた。

 そこには想像通り、目立つ三人組のひとりである――鳥の姿がある。


 一斉に修練場がざわめく。


「あいつ、怖い物知らずだな」

「俺この前、楊依依ヤンイーイーに半殺しにされましたよ」

「槍でも剣でも、誰も敵わねぇもんな……」


(何よ、大袈裟ね)


 むくつけき男たちの囁く声に、依依は肩を竦める。

 そう――誰も敵わない、などと大袈裟だ。少なくとも今まで生きてきた中で、依依が敗北を認めた相手は二人も居るのだ。

 それが多いのか少ないかは、ともかくとして。


 掴んだ木刀で自身の肩を軽く叩いた依依は、直立不動の鳥にその切っ先を突きつける。


「いいけど、殺す勢いでやるわよ」

「大哥になら、おれ……いいです」


 赤い顔で答えられても反応に困る。


「そこは殺されない努力をしなさい」

「うす!」


 きゃあっとか言いながら跳び上がる鳥に、嬉しげな顔をして牛と豚が駆け寄る。


「良かったですね、坊ちゃん!」

「うん! おれ、頑張る!」


 町娘のようにきゃぴきゃぴと騒ぐ三人を眺めつつ。

 依依の頭の中には、彼らには似ても似つかない華麗な少女の姿が描き出されていた。



『――依依。あなた、わたくしの女官になりなさい!』



 それは数十日前のこと。

 双子の妹である純花チュンファにそう告げられたものの、依依は変わりなく、今も武官として生活している。


 というのも理由は単純。女官登用試験は春と秋の二回のみなのだ。

 まだ春の試験が終わって間もないので、秋の試験まで日数がある。


 最近の純花は呪われた妃の噂も止み、少しずつ後宮に馴染む努力をしているという。

 彼女には心強い味方である女官の林杏リンシン明梅ミンメイが居るが、それでも心細いのだろう。


(「早く後宮に来てよ!」ってずっと言われてるのよね……)


 迷い犬である豆豆ドウドウが首に括りつけた筒の中には、たまに純花からの文が入っている。

 依依としても、可愛い妹である純花を傍で見守りたい気持ちはある。

 ……が、果たして素直に後宮入りしていいものか。


(出てくる食べ物や飲み物は全部おいしいけど、宮規は覚えきれないし、皇帝は腹黒いし)


 純花の身代わりとして、数日間だけ妃として後宮に入っていた依依。

 だが女官ともなれば、年季が明けなければ基本的に後宮から出られない。

 外朝で武官として働くのとは違う。後宮というのは、山や野を駆けるのが好きな依依にとって不自由極まりない場所だ。


(むしろ純花を連れて、故郷に戻れないかしら)


 若晴との思い出がたくさん詰まった故郷で、純花と姉妹水入らずの生活を送る。

 依依の目蓋の裏で、「毎日毎日、猪のお肉はいやよおおお」と泣き叫ぶ純花の姿が閃く。


(純花ったら。猪肉だって贅沢品なんだからね?)


 しかし、生粋の姫である純花に田舎暮らしは酷かもしれない。


「いってえええ」


 考え事を遮る呻き声に、依依は我に返った。


「もう、そんなに痛がらない」

「いえ、痛いっつーか、これは大哥に打たれた喜びの声なんで」


 何やら気持ち悪いことを言っている鳥だが、隣をふらふら歩く彼の肩には大きな痣ができている。

 依依がひどい暴力を振るったわけでも、力加減を誤ったわけでもない。依依の攻撃を避けようとした鳥が悲鳴を上げながら転倒して、右肩を地面に打ちつけたのだ。


 依依は痛がる鳥を放っておけず、付き添って部屋に戻る最中だった。


「私の作った塗り薬を貸してあげるから。三日もすれば治るわよ」

「大哥、なんてお心が広い……!」


 感激して泣き出す鳥を無視して回廊を進んでいると、ちょうど外出先から戻ったらしいタイと出会した。

 宇静の部下である上級武官だ。ぽってりと出たお腹は、とてもじゃないが武官のものとは思えないが。


「あ、泰のおじさ……」


 言いかけた依依はそっと口を噤む。


「む? 今、おじさんとか言いかけなかったか?」


 しまった。心の中で泰をなんて呼んでるか悟られてしまう。

 依依はとっさに誤魔化した。


「いいえ、おじさまと」

「そうか、おじさまなら…………いや待て」


 一瞬納得しかけた泰だが、ほとんど同じだと気がついたようだ。

 依依はぽん! と音を立てて手を叩いた。


「そんなことより! 何かありましたか?」


 無理やり話題をぶった切ると、泰がはっとする。


「あ、ああ。そうだった。皇帝陛下がお前をお呼びだぞ」

「陛下が?」

「謁見には将軍閣下も同席してくださるそうだ。とにかく宮城へ向かえ」


 飛傑フェイジェに呼び出されるのは、皇帝付き武官に任ぜられて以来のことだ。

 いよいよ皇帝付きとして初めての任務が与えられるのか。


「さすが大哥。陛下の覚えめでたいっすね!」

「う~ん……」


 鳥は我が事のように喜んでいるものの、依依はいやな予感が拭えない。

 皇帝陛下こと陸飛傑は、わりと性格が腹黒い。上に立つ人というのはああいうものなのかもしれないが、そんな飛傑からの勅令と聞けば、とてもじゃないが浮かれた気分にはなれない。


(あんまり面倒事に巻き込まれたくないんだけど)


 しかしもちろん、ただの武官である依依に皇帝の呼び出しを断るという選択肢はない。

 依依は鳥に塗り薬を預けると、飛傑と宇静ユージンが待つ宮城へと足早に向かうのだった。



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