第47話.思わぬ来訪者

 


 華麗に三人を拘束し立ち上がった美丈夫は、清叉軍将軍である陸宇静リクユージンである。


 灼夏宮に宇静が居るのは、もちろん偶然ではない。

 彼には、下手人を捕らえるために力を貸してもらった。妃の身代わりである依依が、彼女たちを捕らえることはできないからだ。


(槍はへし折っちゃったけどね)


 そして今回、紅桃ホンタオたちを誘き寄せるために流した噂も依依発案のもの。


 灼夏宮の近くで偶然遭遇したとき、飛傑フェイジェは言った。困っていることがあれば言え、力になる――と。

 依依は彼のその言葉を信じて、宇静を通してひとつのお願いをした。

 それは皇帝である飛傑が、純花の元を訪れるという噂を流す許可を得ることだ。


 わりと快く許諾が得られたため、こうして紅桃たちを捕らえることができたのだった。


「彼女たちや李家の処遇については、こちらで預かる。いいな?」

「はい。よろしくお願いします」


 依依は頭を下げる。

 紅桃のやったことがどのような罪になるのかは分からない。だが依依が口出しできる問題ではないだろう。


 用の済んだ依依は、そのまま踵を返そうとした。


「将軍様、ありがとうございました。では、私はこれで」


 その右腕を、後ろから掴まれる。

 振り解くこともできたが、依依はそうしなかった。相手が宇静だと知っていたからだ。


(大きな、武人の手)


 依依の手を掴む皮膚の皮はとても分厚い。

 今まで何度も何度も、血豆のつぶれるまで剣を握り締めてきた手の感触だ。

 幼い頃から修練を積んできた依依の手とも、やはり違う。力強い男性の手だと思う。


 ゆっくりと振り返ると、宇静はどこか切羽詰まったように依依をじぃっと見つめていた。

 少し目線を上げれば青みがかった黒髪は青白い月光を受け流して、神秘的な光を纏っている。


(こうして見ると、ますます美しい人)


 なんて呑気に考えていて。

 しばらく呼びかけるのをうっかり忘れていた依依は、遅れて口を開いた。


「将軍様、どうされました?」

「!…………いや」


 はっと正気づいたようで、宇静が手を離す。

 まるで当人も、手を伸ばしたのに指摘されて初めて気がついたようだった。


 彼は依依に背を向けると、拘束した女官たちの縄を手に取っている。

 あとは任せて大丈夫だろう。そう判断し、依依は宮殿の室内へと戻る。


(私の正体について、確認するつもりだったのかしら)


 勢い余って純花の姉である灼依花と名乗ってしまったが、潜んでいた宇静には聞こえていたはずだ。

 しかし確認されない限り、依依からわざわざ説明する必要もないだろう。


 そうして純花の私室へと踏み込むと、暗がりで気配が動いた。


「待たせたわね。林杏リンシン明梅ミンメイ


 窓辺に佇んでいた二人が揃って顔を上げる。

 紅桃たちは気づかなかったようだが、明かりを消した純花の部屋で待機していた林杏と明梅は、ずっと庭での遣り取りに聞き耳を立てていたのだ。


「あの、灼依花様……」

「林杏、今の私は灼賢妃よ」


 言いかける林杏を制せば、頷いてくれる。

 改まって――つまりね、と依依は指を立てた。


「林杏は、明梅が紅桃たちの味方だと思っていたのよね?」

「……そうです」


 躊躇いがちに林杏が頷くと、明梅が「えっ」という顔をする。

 気まずいのかそちらに顔は向けないまま、林杏は説明してくれた。


「今は……紅桃、でしたね。そう名乗っていたあの女官たちは灼家に仕えている頃から、密かに純花様に嫌がらせをしたり、陰口を言っていました。だからてっきり、紅桃たちを追い出すために明梅がいろいろ画策しているのかなって」

「紅桃たちが灼賢妃の品位を落とすような真似をすると、困るからよね?」


 林杏が首肯する。ただでさえ小柄な女官は、ますます萎縮して小さくなっている。


(林杏は、上級妃つきの女官という立場を大切にしていた)


 そんな林杏が今回の事件の首謀者でないのは分かりきっていた。純花が失脚すれば、林杏も路頭に迷う羽目になるからだ。

 しかし嫌がらせを行う女官たちを追い払うために、明梅が暗躍していると思い込んだ林杏は板挟みになってしまった。

 依依に積極的に協力してくれなかったのもそれが原因だろう。大量に届く呪いの文を隠していたのも、明梅の仕業だと思って庇っていたのだ。


 次に、依依は明梅へと目を向ける。


「でも明梅は、紅桃たちから純花を庇いたかったのよね?」

「……!」


 息を呑む明梅。


 明梅は普段はほやんとしているが、勘の鋭い子なのだろう。

 纏足している紅桃を食い入るように見つめていたのも、彼女が元同僚だと気がついたから。

 だがそれを、依依には伝えられなかった。心優しい明梅は、紅桃の抱えている心の闇ももしかしたら察していたのかもしれない。


 林杏と明梅が顔を見合わせる。

 お互いに言葉はなかったが、小さく頷き合ったようだった。


 林杏が真っ赤になった鼻を擦る。


「……あたしたち、解雇されるんでしょうか?」

「これは純花の言葉だけど――『解雇なんてしないわよ。だってそんなことしたら、わたくしの女官がひとりも居なくなっちゃうじゃない』……とのことよ」


 目を丸くする二人に、それに、と依依は続ける。


「純花には、林杏と明梅が必要よ。……あなたたち、これからも純花のことをよろしくお願いね」


 ぽん、と軽く女官たちの肩を依依は叩く。

 言葉に篭められた願いを受け止めてくれたのだろうか。二人の瞳には強い決意が漲っている。


 だって、依依の役目はこれで終わりだ。

 純花を狙う輩は捕らえた。これで純花は後宮へと戻ってこられる。

 つまり、もう、今までのように依依は純花には会えない。


(だけど、十分だわ)


 若晴ルォチンの遺した言葉を頼りに、遥か遠い都まで歩いてきた。

 一目見たかった妹を、一目どころか何度も見られたし、何度も言葉を交わしたし、名前を呼んでもらうことまでできたのだ。


 これ以上、何か望むとしたら贅沢が過ぎるだろう。


(さて、これからどうしよう。若晴に報告したいこともあるし、武官を辞して故郷に戻ろうかしら……って、あら?)


 今後について思いを巡らそうとした依依だったが、なぜか林杏と明梅の表情は固い。

 これで万事とはいわずとも、大体のことは解決した。そのはずにも関わらず、である。


「ちょっと、二人ともどうしたの?」


 不審に思って訊いてみると、林杏がおずおずと言う。


「……あの、実は」

「ええ」

「皇帝陛下がいらっしゃっています」


 いつだって反応の鋭い依依だが、そのときばかりはさすがに硬直した。

 林杏の言葉に理解が追いつかない。いや、本当は分かっているのだが、認めたくないというか。


 するとよくできた女官である林杏は、聞こえなかったものと思ったらしい。

 わざわざ、私室から繋がるその部屋――つまり寝室の方角を畏れ多そうに指し示しつつ、繰り返してくれたのだった。



「あちらに、皇帝陛下がいらっしゃっているんです」










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読んでいただきありがとうございます。


このたび、本作『後宮灼姫伝』の書籍化が決定いたしました!(それに伴いましてタイトルが変わりました)

詳しくは近況ノートにてご報告させていただいております。書籍版もがんばりますので、今後もよろしくお願いいたします。

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