第42話.二人で前を見る

 


「……そうよ」


 声の震えを誤魔化すように、軽く咳払いをすると。

 純花は苦い笑みを浮かべた。その手元から豆豆ドウドウが逃げて、離れた場所まで駆けていく。


「すぐに気がついたわよ。だって――内部犯しか、考えられないじゃない」


 言いながら、純花は指折り数えて見せた。


「わたくしの食事に毒を入れる。わたくしの寝室に毒虫をばらまく。灼夏宮の周りに怪しげな呪符をべたべたと貼る。……誰にも見咎められずにそんな真似ができるのは、わたくしの女官だけ。林杏と明梅だけでしょう?」


 ――小さな二つの実は腐りかけている。


 純花の振りをした依依を見破ったあと、徳妃である桂才はそう囁いた。

 その言葉の意味を考えていて、思い当たったのは。


(二つの実。私はそれが、なのかもしれないと思った)


 思えば、林杏と明梅は最初から怪しかったのだ。

 犯人捜しをする依依に協力する素振りを見せながらも、質問をすれば言い淀んだり、言葉を濁す。

 まるで余計な情報を与えて、依依が犯人の正体に自力で辿り着くのを恐れているようだった。


 あの呪いの文も、二人の自作自演なのではないだろうか。

 それなら依依が一度も文を発見できなかった理由にも納得がいく。

 一年ぶりに行動を再開したのは、依依を脅かすため。余計なことをするなという警告だ。


 そうだ。それだったら、何かと辻褄が合う。


(でも……)


 しかし依依には、引っ掛かるものがあるのだ。


(それならどうして昨年の夏以降は、二人は何もしなかったの?)


 純花ではなく、後宮を去ったのは四人の女官だ。

 それなのに純花の身の回りでは、事件がぴたりと止んだ。少なくとも、呪いの文が届き出すまでは。


 そこには何か意味があるはずなのだ。


「林杏と明梅が、そんなことをした理由はなんでしょうか?」

「さぁね。密かにわたくしを恨んでいたのかもしれないし、灼家の誰かからの指示かもしれないわ」


 肩を竦める純花。口調こそ何気ないが、その華奢な肩は震えている。


「わたくし、灼家で嫌われていたもの。どこの馬の骨とも知れない男の血が流れているから」

「それは……」

「お母様は……灼思悦スーユエは、旅の一座の男と過ちを犯したの。その結果、わたくしが生まれた」


 その話は知っている。亡くなる前日に若晴が教えてくれたことだった。

 正しくは、思悦と男との間に生まれたのは依依と純花の二人。しかし凶兆の証である双子として生まれた故に、赤ん坊の依依は若晴ルォチンに連れられて灼家を密かに去ったのだ。


「灼賢妃は、ご実家で冷遇されていたのですか?」

「……大叔母様……祖母の妹ね。今の灼家の当主は、そういうわけでもないの。後宮に入る前の数年間は、そんなに辛くはなかったわ」


 今の当主は、と力を込めて言うあたり、前当主はそうではなかったのだろう。

 依依はなんといっていいか分からなくなる。言葉をかけたいのに、姉だと明かせていない今、純花にはどんな言葉も届かない気がした。


「春彩宴の日もね、後宮から逃げ出すつもりだったの」


 結局、依依は何も言えないまま、純花は話を戻す。


「豆豆は、もともと後宮の外から這入り込んできた子なのよ。わたくしと依依が初めて会った、後宮の外れ……あの近くに、豆豆が入ってきた抜け道があるの。その先は、後宮の外に繋がっている。豆豆はいつも、その道を使ってわたくしのところに遊びに来るの」


 ようやくひとつの謎が解けた、と依依は思った。

 依依に一夜の見張り番を任せた純花が、どうやって後宮を抜け出したのか。

 その答えは豆豆にあったのだ。豆豆が教えてくれた秘密の道を使って、純花は清叉寮へと向かった。


「後宮から許可なく抜け出すのは大罪よ。でも豆豆と一緒なら、脱走だって怖くないと思ったわ。だからあの日、手縫いした女官の服を衣装の中に隠して、あの場所に向かったの」


(てっ……手縫いした女官の服!?)


 何気ない発言に依依は度肝を抜かれた。あの女官服は純花の手製だったのか。

 妹の裁縫の腕前が空恐ろしくなる依依だったが、純花の話は続いている。


「だけど――あの日、豆豆は来てくれなかった」


 純花の声は掠れていた。見れば、彼女の瞳は弱々しく滲んでいる。


「可愛がった犬にも呆気なく見捨てられるんだって、悲しかったわ。ああ、これからも永遠に、わたくしはずっとひとりなんだって思」

「――っあああもう、面倒くさい!」


 それを目にしたとたん、依依は叫んでいた。

 びくっ、と純花が震える。彼女はしばらくぼけっとしていたが、だんだんと依依の言葉の意味が染みてきたらしい。分かりやすくまなじりをつり上げて怒り出した。


「な、何よ面倒くさいって。楊依依、わたくしがどういう気持ちで居ると思ってるの!?」

「でも、いやじゃないですか。こんな荒れ果てた庭で辛気くさい話ばっかり!」

「そう思うならちゃんと手入れしなさいよ! 灼夏宮よりひどいわよ!」

「確かに灼夏宮の庭もひどいですが、今はそれどころじゃありません!」


 そうだ。もっと大事なことがある。

 依依はがっしりと純花の肩を掴んだ。


「二人で犯人を見つけましょう!」


 妃相手に不敬かもしれなかったが、四の五の構ってはいられなかった。

 本気でそう思っているのだと、全身全霊で純花に伝えたい。そうしなければきっと届かない。


 目を白黒とさせた純花が、言い淀む。


「だ、だから犯人は」

「まだ分かりません」

「……林杏たちでは、ない……の?」


 純花の瞳に、期待の色が覗いた。

 しかし依依は頷かなかった。変に期待をさせて、あとで純花を傷つけたくはなかった。

 というのか、依依にもまだ犯人ははっきりと分かっていないのだ。


「それも分かりません。私、考えるのはまったく得意じゃないので!」

「……何よ、それ……」


 胸を張る依依に、純花は呆れ顔だ。


「だって後宮は、魑魅魍魎が跋扈する恐ろしき女の園でしょう? そこで暗躍する人物なんて、そう簡単に尻尾を掴ませてくれませんよ」

「ちょっ、言うに事欠いて魑魅魍魎って何よ!? 人のこと化け物みたいに言わないでくれる!?」


 きゃんきゃんと純花が吠える。豆豆よりも犬っぽい。

 怒りのままに喚き散らす彼女の顔を見て、依依は破顔した。


「ちょっと元気出てきましたね」


 ……あっ、というように純花が口元を覆った。


「やっぱりそのほうが、灼賢妃らしい。お可愛らしいです」


 からかわれたと思ったのだろうか。

 見る見るうちに、その小さな頬が赤く火照っていく。


「……っ馬鹿じゃないの!?」


 振り上げられた手を、依依は難なく受け止めた。

 力を入れすぎると折れてしまいそうなほど、ほっそりとした腕だ。


(私、よくこの子の身代わりなんかやれてるわねぇ)


 何やらしみじみと感じ入ってしまう依依である。

 しかし純花のほうはきーきーと喚いていた。


「ちょっと! 大人しく殴られなさいよっ」

「いやですよ」

「あなた、生意気よ!」


 帰ってきた豆豆が、楽しそうに純花の足元を跳ねる。遊んでいると勘違いしているらしい。

 実際に、このまましばらく遊んでも良かったのだが、そういうわけにもいかないので依依は切り出した。


「それでですね、私に作戦があります。灼賢妃が協力してくれれば、一連の事件の首謀者が分かるかもしれません」


 純花が動きを止める。


「わたくしはどうしたらいいの?」


 依依はにっこりと笑ってみせた。

 その笑みはもしかすると、少しは似ていただろうか。たったひとりの、高貴で繊細な妹に。


 そう思いながら、堂々と告げる。

 身代わりになれと命じた、彼女を真似して。



「では――私の女官になってください、灼賢妃!」



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