第43話.確かめること
……くすくす、と密やかな笑い声が、その小さな部屋からは響いていた。
それは、女官たちが休憩のために使用している部屋だ。
といっても、勤勉にはほど遠い彼女たちは、昼餉の時間のあとはそこに集まり、点心やお茶を楽しみながら散々駄弁るのが常である。主の側近として重宝がられているために、他の仕事は下っ端の女官たちに任せきりにしているのだった。
話題には事欠かない。後宮には、いくらでも話の種が転がっているからだ。
あの妃とあの妃の仲が険悪だとか。どこそこの女官が身を投げたらしいとか。あの人が懐妊したかもしれないだとか。
根も葉もない噂を面白おかしく語るのが、彼女たちなりの暇の潰し方だった。
中でも、特に盛り上がるのは呪われた妃の話だ。
その話になると、はしゃぎ立てるような笑い声が何度も響き渡る。
そのときだった。
――ふと、大きな音を開けて扉が開いた。
一斉に女官たちはそちらを見る。誰が入ってきたか見留め、その顔が例外なく強張った。
そこに立っていたのが、話題の中心だった人物。
「えっ。な、なんで」
「灼賢妃。どうしてこちらに」
二人の女官が慌てふためいて立ち上がる。
しかし三人の中で最も年嵩らしい女官が、最初に落ち着きを取り戻して賢妃を見据えた。
「灼賢妃。御用向きをお伺いしてもよろしいでしょうか」
「李美人はいらっしゃるかしら?」
叱責に近い問いかけに対し、口調ばかりは柔らかく返す賢妃。
だがその瞳は油断ない光を湛えている。後ろに立つ小柄な女官も、三人の女官をじぃっと注視していた。
年嵩の女官の後ろに、慌てて二人が隠れる。
「この屋敷の主人である李美人は留守でございますよ。にも関わらず勝手に踏み込むのは、いかがなものかと思いますが」
「勝手に踏み込んだりはしていないわ。正門から入ってきたのよ」
「だとしても女官の休憩所にまで入ってくるなんて、非常識です」
「先日、李美人はわたくしのことを無視して立ち去ったの。あのときは
後宮では、下級妃から上級妃に挨拶するのが常識だ。
妃が通るとき女官や宮女たちは道を空けるし、彼女たちが通り過ぎるまで顔を上げることもない。
李美人はそんな不文律を無視して、賢妃である純花の前で挨拶もなく立ち去った。
しかも、彼女に先に声にかけられたにも関わらず、だ。
その件について注意に来たことには、まずまずの正当性があると言える。非常識なのは自分ではなくあくまで李美人だと、賢妃は主張しているのだ。
しかし年嵩の女官は、思わず眉を顰める。
「……そんなことで」
「あらぁ? それは李美人からのお返事と受け取っていいのかしら?」
袖の中に呟いたほんの小さな囁きを、しかし賢妃が聞き返す。
三人はぎょっとして、まじまじと賢妃を見つめた。
「わたくし、耳はとってもいいのよねぇ。千里先の言葉も聞こえてしまうくらい」
「……申し訳ございませんでした、灼賢妃。主に代わり私どもが謝罪します」
後ろから飛び出してきた恰幅の良い女官が、妙に高い声で謝る。
だが、表情に反省はない。隠しきれない苛立ちを滲ませた女官と向き合うと、しかし賢妃はにこりと笑った。
「分かればいいのよ、分かれば。……ああ、留守だという戯れ言も、一応は信じてあげるわね」
嫌みを言うと裳裾をなびかせて、再び部屋を出て行く。
そのあとを、ひとりだけの女官が追っていく。
二人の姿がようやくなくなると、三人の女官は顔を見合わせて唸った。
「何、あの人。李美人の屋敷まで来るなんて、よっぽど虫の居所が悪いのかしら」
「女官をひとりしか連れてなかったわね。あれが最後に残ったの?」
「見覚えのない様相の女だったけど、とにかく醜かったわね。ふふっ!」
――そんな話し声も、もちろん余すことなく聞き取りながら。
小さな屋敷を出てきた彼女の耳元に、すぐ後ろから声がかかった。
「……ねぇ、ひとつ訊いていい」
「なんでしょう」
「あなたから見たわたくしって、あんな感じなの?」
「あんな感じかなぁと思って、演技してみました」
「……ふぅん。詳しくは聞かないでおいてあげるわ」
「恐縮です」
「ところで――
呼ばれた依依は、振り返った。
そこに立っているのは、女官に扮した純花である。
といってもその外見は、普段の愛らしい彼女とは似ても似つかぬものに様変わりしていたのだが。
「灼賢妃。彼女たちの中に、確かに居たのですね?」
「ええ。あの中の……」
その先の純花の言葉を。
依依は、ゆっくりと反芻した。
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