第30話.お茶会への誘い

 


 灼夏宮に戻ってきた依依は、寝台の上に座り込み、ひとり考えていた。


 腕組みをしてあぐらを掻き、ううむと唸る依依の姿は雅やかな後宮にはまったくそぐわないものである。

 林杏リンシンが目にすれば激怒していただろうが、幸い彼女は明梅ミンメイと共に他の部屋の掃除の最中だった。


 手伝いを申し出たが断られてしまったため、ありがたく依依は考え事に耽っているのだ。


 ――昨日は清叉寮で純花チュンファと再会し、しばらく話をしたあと。

 例の鋭い女官が迎えに来てくれて、依依は再び純花の身代わりとして後宮に戻ることになった。

 宇静がついていたので、出入りの検査も簡略化された。通常なら宦官は目視での検査があるというから、助かったどころの話ではない。


 依依と純花の会話の内容には、空夜コンイェ宇静ユージンがしっかりと聞き耳を立てていたらしい。

 それで大方の事情は察してくれたのだろう。改めて説明する必要はないとのことで、依依はあっさりと解放されていた。


 その代わり、純花の命を狙う輩について何か掴んだ際は勝手に動かず、すぐに情報共有するようにと言いつけられている。


(今後は、困ったらあの女官に連絡を取れば、将軍様に連携してもらえるってことだけど……)


 ちょっと警戒している依依である。

 もともと、純花が命の危険を感じているなら、清叉軍に相談するべきだとは思っていたが――将軍職という多忙で責任ある立場の宇静が、依依たちの話を無条件に信じてくれるというのも不思議な話だ。


(なんか、とんでもない見返りとか要求されるかも!)


 なるべく宇静は頼らないでおこう、と心に決める。

 既に彼ら清叉軍は純花の身柄を保護してくれているわけだし、協力としては十分なのだ。


「さて、どうやって犯人を探そうかな……」


 声に出して、改めて考えてみる。

 依依は懐の隠しから、ごそごそと二種類の帳面を取り出した。


 左手に持っているのは、いつもの若晴ルォチン帖。

 そして右手に持っているのは、新たに仲間に加わった純花帖だ。


 純花帖が爆誕したのは、単純に依依の物覚えが悪いからである。

 昨日、庭石に腰かけて純花としばらく話したのだが、後宮内の複雑な事情やら人間関係やらが錯綜する会話の途中、集中力の切れた依依はうとうとと居眠りをしてしまった。

 それに怒った純花が筆と墨に硯、帳面を手早く持ってきて、話の内容をすべて書き留めてくれたのである。


『あなたが字が読めなかったら、終わりだったわ……』


 とか言いながらぐったりしていた純花だが、綺麗な字でいろんな情報を書き出してくれたおかげで、犯人探しにも役立ちそうだ。


 その一枚目を、まず依依は眺める。

 そこには事の始まり――純花が命を狙われている、と認識したきっかけの事件について書かれている。


(純花の女官は、以前は六人居た)


 全員、灼家から連れてこられた人員だという。

 そのため、後宮に入る前から純花は六人と面識があった。

 特に仲が良かったのは、林杏と明梅。年が近いためだろう。

 他の四人についても、概ねの関係は良好だったようだ。


 ――純花が食事に毒を盛られたのは、昨年の春頃。

 帝が即位し、純花も後宮にやって来て間もなくのことだったという。


 用意された夕餉を毒見した女官が激しく嘔吐し、倒れてしまった。

 彼女は数日後には回復したが恐怖のため女官を辞し、後宮を去ったのだ。


(でも死ななかったってことは、よっぽど医官の措置が良かったのか。強い毒じゃなかったのかのどっちかね)


 ちなみに現在は、依依は毒見なしで運ばれてきた食事やお茶を味わっている。

 明梅という毒見役が居ると林杏は主張したが、依依は首を横に振った。

 そもそも依依自身が純花の身代わりなのだ。だから依依のための毒見は必要ないのだと話して、彼女たちには納得してもらったのだった。


(でも灼夏宮以外の場所で飲食するときは、そうもいかないわよねぇ)


 人目があるときはどうしても、明梅にその役割を任せなければいけないだろう。

 つくづく面倒だし申し訳ないと思うが、こればかりは致し方ない。


 純花帖を依依はぱらぱらと捲る。


 部屋に毒虫が放たれたのは、食事に毒を盛られた一か月後だ。

 毒虫の回収には明梅が奮闘した。純花と林杏は白目をむいて倒れ、途中から記憶がないそうだが、刺されて命に関わるような虫は見つからなかったらしい。

 このときは犠牲者は出なかったが、また二人の女官が後宮を辞した。


 その二か月後には、宮殿を取り囲むように呪符が貼られるという事件があった。

 そのときは宮廷道士によって、呪符を処理させたのだという。何やら胡散臭いが、専門の者に任せたということだろう。


 そして――この事件をきっかけに、四人目の女官まで、純花の下から去ってしまった。


「んー……」


 依依は首を捻りつつ、ぼふんと柔らかな寝台の上に後ろ向きに倒れ込む。

 あくまで、話を聞く限りなのだが。


(その誰かさんは、純花に殺意は抱いていないような気がする……)


 そう。

 たぶん、その人物は純花を殺す気はない。

 どちらかといえば嫌がらせに近い部類だ。しかしその目的はなんだろう。

 一年前に起きた三つの事件以降も、ちらほらと他の妃から不穏な発言があったと純花は言っていたが、実際に命の危機を覚えるような出来事はなかったらしい。


 つまり、今の状況は既に犯人の目論んだ通りになっている――と考えるべきだ。

 だから昨年の夏以降、事件らしい事件は起こっていない。


「純花を怖がらせる。女官を減らす。呪われた妃って呼ばれて、周りに距離を置かれる……」


 この中のどれか、あるいはすべてを達成したことで、犯人は満足しているのだろうか。


 当時使われた毒については、医官が調べただろうし。

 毒虫についても、やっぱり明梅たちが調べただろうし。

 呪符だって胡散臭い道士とやらが調べたはずなので、それら物的証拠については、今さら依依の出る幕はない。


(純花の身代わりをしつつ、怪しい人物を探っていくのが手っ取り早いかしら?)


 名案はないかなぁと唸っていたら、盆を持った明梅が寝所に入ってきた。

 依依はむくりと身体を起こす。


「明梅、どうしたの?」


 明梅は無表情のまま近づいてくる。

 恭しく差し出された盆の上から、依依はそれを手に取った。


 どうやら純花宛ての文が届いたらしい。

 花の香りつきの手紙に目を通した依依は、「ほほう」と瞳を光らせる。


 それは淑妃・円深玉からの、お茶会の招待状だった。



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