『カレイドスコープ(Lucy in the Sky with Diamonds誤解釈)』 作:杏埜雲
[1st verse]
セレスタの音色はマシュマロみたいに柔らかい。汚い靴を履いたやつが弾いているとはとても思えない。そんな音に誘われてか、妙なことを考え付いたものだ。絵本の挿絵のような世界は、ペーパー一枚で入れるらしい。白うさぎのポケットには似たような紙が入っていたに違いない。
「やあ、ルーシー」
キノコをせっせと川に放り捨てていた真っ黒な髪の少女はこちらを振り向く。かと思ったらくるりと一回転して向こうを向いてしまう。
「ジュリは寝てるよ。ヒース・ハウスで何があったんだい」
こちらを無視したルーシーは最後のキノコを手にする。クランベリーソースもかけずにフォークとナイフを突き立て、しばらくカチャカチャと動かす。のんびりとした声でルーシーは言う。
「ジュリはね、こういう時こう言ってくれるの、ミスター・カーペンター」
「僕はジョンだけど」
「ジュリはね、『今日はいい天気だね』って言うの」
「ジュリ、もうすぐ起きてくると思うよ」
「いつも最初は天気の話。いつでも空に雲はなし」
彼女はボロボロになったキノコを投げ捨てる。「ジョン」と誰かに呼びかけられた気もしたが、マシュマロを口いっぱいにほおばっているかのような声であったためよく聞き取れず、僕はどうにも答えあぐねる。ルーシーには変な声など聞こえなかったようで、キノコからくりぬいたダイヤモンドを服で拭いながら、はっきりと言う。
「ミスター・カーペンター」
しばらく間をおいて僕はきっぱりと否定する。
「いいや、僕はジョンだよ」
「ジュリにはマーマレード色の空がいい天気に思えるのかしらね」
「ん、彼は空色の鉛筆を失くしたんじゃないかな」
「クレヨンがあるじゃない」
「いや、もうないんだ。今度プレゼントしておくよ」
「緑のもあげてね。良いにおいがしない凸柑色(タンジェリン)の木を何十も植えないでほしいの」
僕は空を見て、木を見る。刺すような感覚に思わず瞼を半分閉じる。空はオレンジだ。マーマレード色と言われればそう見えなくもない。木はオレンジ色だ。タンジェリンと言われれば……
「いやいや、どちらも同じオレンジにしか見えないよ」
ルーシーは回回(ぐるぐる)の目をさらに回しながら、口元だけ笑ってこう言った。
「あら、パンをオレンジジュースに浸して食べる人は初めて見たわ」
「どういう意味だい?」
またまた無視された。ルーシーはダイヤを手にしたまま、マーマレードの空を駆けていく。僕はボートに乗り込んで、そのあとを追う。でも、途中でボートが沈み始めた。ボートはパンでできていたのだ。見る見るうちにパンにはジュースが染みこんでいき、船首から順にヘナヘナになり、終いには小麦の繊維があたり一面を漂っていた。オレンジジュースの川から何とか這い上がると、ルーシーはあきれた様子で僕を見ていた。
「僕はオレンジジュースに浸したパンを食べられないで残念だ、 なんてちっとも思ってないよ」
混乱しつつも本心からそう言う。するとルーシーは
「当り前じゃない。空の色が川に映ってただけよ。どうかしてるんじゃないの」
とのこと。確かに、僕の手はべとついていないし、僕の体からはカルキの匂いしかしない。
「水道水なんか流してるから変なものが生えてくるんじゃないか」
「言う相手を間違えてないかしら?別に私は水道水なんか流してないし」
[1st bridge]
水道水の流れる川岸には、カラーセロハンみたいな花びらをした花が揺れていた。オレンジ色の日光は、巨大な薄緑の花弁や薄黄色の花弁を通して差し込み、感覚器に有害そうな濁りを提供してくれている。
「だって、この花は僕に覆いかぶさるくらいには高くてでかいじゃないか」
「だからなんで私に言うのよ、つま先でストリートフットボールしてるやつには何も言わないくせして、これだからミスター・カーペンターは」
「ジョンだよ」
「誰よそれ」
ルーシーの目は黄色に燃えていた。正しい太陽の色だ。
怒りのコロナに目が潰されそうで川の上流に目を向けると、ひょろっとした手足が生えたオセロの駒たちがバケツで川に可溶性錠剤入りの水を流し込んでいた。白い駒が疲労困憊になると、ドタドタと半回転して、黒い駒がはたらきだす。その間、黒い駒の背中で白い駒は休んでいる。永久機関だ。
はっとして目を戻すと、さっきまでルーシーの瞳があった位置にはアルゼンチンみたいな太陽が鎮座していた。オレンジ色ではなく、黄色の太陽だ。ルーシーは怒ってどこかに行ってしまったようだ。彼女がいないのであれば、僕はここに用はない。
フロアタムが一つ、二つ、三つ。
[chorus]
ジュリが階段を下りてくる音がする。右手の紙を引き出しに突っ込み、左手の掌で顔をこすって自分の無事を確認する。目はチカチカするが、水道水でびしょ濡れだったりはしていないようだ。
ジュリは僕のところまで来ると、僕の前に置いてある絵を恥ずかしげに覗き込む。何枚かある絵のうち一番上にあるものからは、張り付けられた緑と黄色のセロハンテープが剥がれ落ちそうになっていた。
ジュリは首を横に振ると、卓上にある全ての絵を描き集めて、手の中でゆっくりと吟味しだした。「ダメ」「いや」「うん」といった呟き声を漏らし、僕の手に一枚の絵を押し付けてきた。一番のお気に入りらしい。
ルーシーはダイヤと共に空の中。
そんな絵だった。
[2nd verse]
以前はセレスタの音だと思っていたが、どうやらハモンド・オルガンの音だったらしい。電子的な音なのにマシュマロ調とはどういうことだ。猿の指で弾かれているに違いない。そんな音とペーパーに導かれてまたルーシーに会いに行く。
「やあ、ルーシー」
僕を無視してルーシーはてくてくと歩いていく。慌てて後を追う。飾り気のない橋を彼女に続いて渡っていく。特徴的な形の橋だ。
「こういうの、タイコバシって言うんだぜ」
ルーシーはそれを聞いて大爆笑した。転げ落ちそうだったので体を支えようとすると、ぴたりと笑い止んで、怖いほどの真顔でこういった。
「オノ・ボートにべったりのあなただからわかるのかしらね」
僕は苦笑いしてこういうしかない。
「刺激的な生活の方が楽しいだろう?」
そんな答えを鼻で笑い飛ばしたルーシーは、バランスを崩してもいないのに目を回している。
タイコバシを滑り落ちるように降りると、近くに泉があるのが見えた。バックギャモンの駒たちが困った様子で泉の周りを右往左往している。そちらに向かおうとすると、ルーシーが足を引っかけてきた。僕は転び、無様に横たわる。
「そっちじゃないわ。ミスター・カーペンター」
「ジョンだよ」
転ばされたことについて非難される前に、彼女は河原に続く階段を降りていく。僕は急いで飛び起きてついていく。彼女が視界から消えたのは一瞬の事だったが、河原に降りたとき、彼女はもう見当たらなかった。僕は途方に暮れ、近くにいた集団に彼女を見ていないか聞きにいった。
「ひあ、いへえああ」
帰ってきた答えは大方こんな感じだった。彼ら全員が回転しない木馬の玩具にまたがりながら、口をもごもごさせていた。
「ほえはほうほ、おへえ、“ウォウン”へあいあい?」
「ウォウン!」
「ウォウン!」
「もしかして、ジョンって言ってる?」
「ほんおあえをおんだおい!」
「へんいうぃえううぇんあっあ!」
「首を縦に振るか横に振るかして。僕の名前を知っているのかい?」
熱心に肯定の意を示した木馬人間たちにもう一つ尋ねる。
「僕がここに来る前に、女の子を見なかったか?」
そう尋ねたとたんに後頭部に石みたいなものが当たる。振り向くと、遠くにルーシーがいるのが見えた。僕の両足は宙に浮いた。恐怖を感じて大声を上げると、木馬人間どもが笑い出した。僕はふわふわとルーシーの方に浮遊していく。木馬人間どもは今や大爆笑していた。彼らの口からマシュマロパイが何個も飛び出していた。彼らの笑い声は十分に遠ざかり、僕はルーシーの隣に着地した。あたりにはカラーセロハン製の花びらをもつひょろりと高い花が何十本も生えている。
「小さい女の子を置いていかないでよ、ミスター・カーペンター」
「ジョンだよ。それに僕を置いていったのは君の方じゃないか」
「そんなことはどうでもいいわ」
どうも今日のルーシーはご機嫌斜めらしい。気分を紛らわそうとジュリの話をしてみる。
「そうそう、ジュリは新しい色鉛筆、喜んでくれたよ」
「そうね。彼があんまり嬉しそうに見せてくるものだから、少し意地悪言っちゃった」
「なんて言ったんだい?」
「雨の日の絵を描いてって言ったの。描いてくれたけど綺麗な水色の雨雲だったわ」
僕はジュリが灰色を嫌っていることを知っている。新品の色鉛筆の中で灰色だけはゴミ箱行きだった。ルーシーは彼女の背丈を優に超える花の根元に立ち、遥か高くにある花弁を見上げている。
「何かあるのかい?」
「あそこにダイヤモンドがあるの。あの花の中に」
「僕には見えないけど」
「私には見えるの。何で疑うのよ」
ルーシーは目を回回(ぐるぐる)させながら花の茎に触れる。
「彼は嬉しいと何でもかんでも線を伸ばすのかしらね」
確かに、花の茎は黒く、線のように細く、ひょろひょろしていて、少しの風にもひどく揺れている。
「ルーシー、ダイヤモンドが上にあるんだったら、この花はとっくの昔にぽっきり折れていてもおかしくないんじゃないか」
「そうね。今日は冴えてるじゃない、ミスター・オイスターズ」
前の呼び方よりもひどいじゃないか、と怒ろうとしたとき、上からテニスボールくらいの大きさのダイヤモンドが落ちてきた。僕は叫び声をあげて飛びのいたが、ルーシーは飛び上がってダイヤモンドをキャッチした。そのまま両足は地を離れ、どこかに飛んで行ってしまうつもりらしい。水色の空をルーシーは駆けていく。僕は追いかけようとするが、群生するひょろひょろの花をすり抜けてルーシーを追いかけるのは容易なことじゃない。
[2nd bridge]
僕が困り果てていると、耳障りなクラクションが鳴り響いた。見知った顔の運転手が、タクシーの中から手を振っていた。駆け寄ると、彼はヘラヘラしながら声をかけてきた。
「おい、人騒がせな野郎。俺はずっと待ってたんだぞ」
「僕はそもそもタクシーを呼んでない。それになんだこのタクシー、新聞紙でできてるじゃないか」
「運転手との気まずい沈黙と窓の外へ手持無沙汰に向けられる視線。これらを一気に解決する画期的発明さ。話のタネが車内にちりばめられ、後ろに流されていく社会を無益に見る必要もない」
コカ・コーラを一口流し込んだ運転手は、いいから乗れとジェスチャーで示す。
後部座席に乗り込むと、車内の天井は靄に満ちていた。頭を雲に突っ込んでいるような感覚で、気持ちのいいものではない。誰もいなかったはずの助手席から、これまた見知った声が聞こえる。靄のせいで顔は見えないが、きっとこいつは色男だ。
「恋人がどこかにいってしまったらどうしよう」
助手席の男のなよなよしい言葉に僕はハッと気づき、ジュージューの目玉をした運転手に大声で指示を出す。
「おい、空を飛んでいる女の子を追ってくれ!」
運転手はエンジンを何回もかけ直しながら答える。
「お前みたいな癇癪持ちの皮肉屋でも独りぼっちになるのは心細いのか?でもすまないな。悪いニュースが二つあるぜ」
「上院議員が交通事故起こしたとかだったらぶっ飛ばすからな」
「いや、いや。雨が降り出した。あと、空には何も飛んでいない」
慌てて窓の外に身を乗り出して空を見る。水色の雲から水色の雨が降り注ぎ、そして君はもういないじゃないか!唖然とする僕に、助手席の色男は慰めるような調子で口ずさむ。
「友達の助けがあれば、とべるさ」
新聞紙のタクシーは目的もなく走り出した。とはいっても、雨ですぐダメになりそうだ。駆動系がやられているのか、それともラジオから流れているのか、耳障りなオーケストラが車内に鳴り響く。どの楽器が一番大きい音を出せるか競争しているようだ。
助手席の色男の歌に運転手がとぼけた調子で答えるのを聞きながら、僕の意識は遠ざかる。
「んー、友達の助けがあれば、とべるさ。一を三回足せば文殊の知恵だよ」
「それは、四から一をひいても成り立つのか?」
フロアタムが一つ、二つ、三つ。
[chorus]
目が覚める。ベッドから転がり落ちる。櫛で髪をひと撫でして、やっとの思いで階段を下りる。一杯飲んで落ち着いた。バタートーストを齧っていたジュリが話しかけてくる。
「そういや、夢を見たよ」
「どんな夢だい?」
「ルーシーが出てきた」
「飛んでたかい?」
「颯爽とね」
「ダイヤモンドは?」
「がっぽりさ」
時計を見て、遅刻に気付いた。慌ててコートをひっかけ帽子をつかみ、ぎりぎりでバスに飛び乗る。二階席で煙草をくわえて、誰かが話しているのを聞きながら、いつしか僕はうつらうつらと夢の中。
[3rd verse &bridge]
ハモンド・オルガンに続いてタンブーラもなりだした。だからと言ってインドにいる気分にはなりゃしない。僕は停車中の列車に乗っていた。手持無沙汰な赤帽が窓の外に立っている。だれも荷物を預けないのは当たり前だ。彼は紙粘土で作られているから、重い荷物が持てないのだ。さらに悪いことに、愛想笑いのつもりか唇の端を引き上げ、そこらじゅう踊り回り、彼は無意識に乗客の目を眩ましていた。自分のネクタイが鏡でできていることに気付いていないらしい。激しく点滅するネクタイが目に痛い。
「そこ、旦那、荷物、いいぜ」
自分が窓を開けていたことに気付いていなかった。
「僕の荷物はもう乗っけてるよ」
「ふうん」
赤帽は踊りながらどこかに行ってしまった。発車の笛が鳴る。その瞬間、改札口の向こうに、奇妙な髪形をして奇妙な服を着た奇妙な女の子を見つけた。慌てて呼びかける。
「おうい、ルーシー!」
ルーシーは駅員から拡声器を借りていた。それなのに、彼女の声は響きもせずに、まるで耳元で話しているかのようだった。
「ミスター・カーペンター」
「ジョンだけど!」
「あなた、私を初めて見たときのこと、忘れてないでしょうね」
「ジュリが描いた絵の中だろう!?何枚目かは忘れたけど!」
「一枚目よ。最初の絵にしか彼は私を描いてないわ」
「そうそう、彼が僕の手に渡してきたんだ!」
「違うわ。彼が絵を描いているところにあなたが来たのよ。『何の絵を描いているんだい』って訊いてたじゃない」
踊る赤帽が踊り疲れて戻ってきた。彼の鏡製ネクタイにルーシーの目が拡大されて映っている。万華鏡みたいな、綺麗な回回(ぐるぐる)の目だ。発車の合図は鳴り続けている。
「ジュリはなんて答えたの。思い出してごらんなさいよ」
貨物列車が脱線し、積載されていた大量のダイヤモンドがプラットホームにまき散らされる。一斉に人々が群がるが、彼らの顎は次々と砕かれていった。ダイヤモンズは恐ろしいスピードで空に浮かんでいき、ルーシーも空に消えてゆく。
「思い違いだらけね、ミスター・ウォルラス。それじゃ、私は上の席で宝石をジャラジャラしとくから」
大工や牡蠣達と呼ばれるよりはまだましだった。電車はのんびりと動き出す。雲経由、マシュマロ行きらしい。
フロアタムが一つ、二つ、三つ。ルーシーの姿はすでに見えなかった。
[chorus]
そうそう、ジュリがなんて答えたか思い出した。彼ははにかみながらこう答えたんだった。
Lucy in the Sky with Diamonds.
その文句で僕はいろんなことが閃いたから、「あー」とか何とか言ったんだっけ。
〈References〉
Lucy in the Sky with Diamonds
Strawberry Fields Forever
With a Little Help from My Friends
A Day in the Life
I am the Walrus
Come Together
(All produced by The Beatles)
※本作品は実在の人物とは関係ありません。
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