U. N. Lost World: Diary of Journey 作:皐月メイ

~第二章 西暦2977年2月19日 幻の古都 灰降る星夜空~


 西暦2977年2月19日、旧日本の関東地区に分類される辺りのとある古都。先の大戦争が終わって30年、旧日本領は一時、全土がMonsterの縄張りと化してしまっていた。しかし、現在は人類でもMonsterでもない第三の種がこの地を治めている。さらに、いくつかの都市では戦時中のMonster用不可侵フィールドが未だ稼働している。これらの条件が重なった結果、旧日本地区は局所的に戦争前の風景をとどめることとなった。



 リノリウムの床とコンクリートの壁に囲まれた無機質な廊下。等間隔で並んだガラスの先に見える光景はどれも似通ったもの。すれ違うのは同じ白衣を着た人間か人外のみ。一昔前ならば映画の中にしか存在しないような異形の化け物が闊歩するその空間に対して、15才の少女はあまりにも異質であった。しかし、誰も彼女を気に留める様子はない。なぜなら彼女はこの研究所の所長の娘であり、技術顧問を務めている秀才だから。1階廊下の突き当り、所長室にノックもなしに入る少女。部屋の主が煩わしそうに顔を上げる。


「ロージィ、ノックくらいしなさいと言っているだろう」


 娘の顔を見て眉間の皺がほぐれ、強面の顔が少しはましになった。嗜めるような口調とは裏腹に、娘の来訪を喜んでいることがありありと伝わってくる。


「御託はいいわ。私も暇じゃないの。それは所長のあなたが一番よく知ってるでしょ?」


 一方の少女は娘が父にとる態度とは到底思えないぶっきらぼうな物言いで応じる。ビジネスライクで冷え切った家庭に見えなくもない。そんな娘に苦笑いで応じた男は「少し長くなるから」と来客用のソファーと飲み物を勧めた。

 父のいつもらしからぬ真剣な態度に背筋を伸ばした少女は緊張をほぐすためにカップを口許に運ぶ。爽やかなアールグレイの香りが仄かに鼻孔を擽った。あとに苦みを残さない上品な味わいに思わず頬が緩む。そこには年相応の少女がいた。その瞬間だけは、祖国の運命からも、母の仇への復讐からも解き放たれた、ただの15才の少女であった。


「気に入ってくれたようだな。それはリアが———君の母が好んでいたものだ。」


 おいしい紅茶と滅多に聞けない母の話で気が緩んでいた少女は、父の顔が一瞬だけ酷く歪んだことに気が付けなかった。視線を上げたとき、既に父の顔には絵画の中の神様のような穏やかな笑みが張り付いていた。それが、少女の見た父の最後の姿だった。

 目を覚ました時、彼女は一糸まとわぬ姿で瓦礫の山の中にいた。近くにあった布で体を隠そうと瓦礫をどけて引っ張り出したそれは、所長室にかけてあったカーテンであった。



「…………様、マリアお嬢様」


 ユウカの声で微睡から意識が浮上する。どうやら寝入ってしまっていたようだ。30年も昔のことを夢に見た。記憶の中の父は既に劣化し始めているようで、顔が上手く思い出せない。大きな欠伸を1つして脳に酸素を送る。いつまでも夢見心地ではいられない。


「どうかしたの?まだ目的地にはついていないみたいだけれど」


 私たちは今、旧日本領のシコクという島からカンサイ地方と呼ばれていた場所へと海を渡っていた。Monster用不可侵フィールド。景観、景観と叫び続けた一部の人類による苦肉の策である。Monster用とは名ばかりで、実際はどんな生物も通さない。しかし、このバカげた装置のおかげで世界中のいくつかの地点に戦争以前の観光スポットが残っている。それを旅の目的にしているからにはあまり強く否定できないのかもしれない。


「お嬢様こちらを……」


 そう言って差し出された単眼鏡で未だ少し距離のある目的地を見る。人類の住めるはずのないその地に煙が立ち上っていた。Monsterが火を使うなんていう事例は未だ嘗て見たことも聞いたこともない。少なくとも2人の知らない何かがそこにあることは明白だった。


「厄介ね…………」


 溜息とともに吐き出してしまった小言にユウカが静かにうなずいた。



 辿り着いた海岸は灰色と緑の世界となっていた。罅割れた道、倒壊した建物たち、そしてその隙間を縫うように埋め尽くす大自然の緑。文明の滅びた跡だけが取り残された世界。物悲しい風景が心にしみる————なんてことを思うような心はとっくに失ってしまった。そもそも世界の大半の地が荒廃しているのだ。このような光景はこの10年ほどで見飽きるほどに見てきた。

建物の端に時折姿を現す赤と白のコントラストに小さく十字を切って祈りを捧げながら進む。旧日本がどのような信仰体系をとっていたのかなんて知るはずもない。こういうのは気持ちだと思っている。そもそも、父が死んだあの日から神などという空虚な妄想に囚われることはやめにした。ただ、もし彼岸なんて云う非科学的なものがあるとするのならばせめて安らかに眠ってほしい、そう願っての祈りだ。

そうはいったものの、全滅地域においてこういった光景はさして珍しくないのが現実だ。昔は出会った全てを埋葬していたのだが、先の戦争で地球人口が20分の1未満になったのだ。とてもじゃないがそれら全員を弔うことなんてできない。そんな気の重さを紛らわせるための自己保身と言い換えてもいいのかもしれない。結局自分はその程度なのだ。失われつつある古の物語の主人公のような聖人君主にはなれそうもない。


『汝らは鬼ではないな。何者ぞ?いずこより来た?』


 突如、伸長2ⅿはありそうな大男が化け物じみたスピードで近付いてきた。先程まで姿が全く見えなかったのに、ほんの2~3秒のあいだに間を詰められた。自身の動体視力を超えたスピードで迫ってきたそれは、ほぼ人間と同じ姿をしていた。


『如何した、何故答えぬ。汝らは人間ではないのか?』


 またもや、眼前の男が知らない言語で話しかけてくる。旧日本の言葉だろうか。アジア系の言語は1つも分からない。


『ごめんなさい。私、言葉、少しわかる。彼女、わからない』


 ユウカが男と同じと思われる言葉で返答した。驚き彼女のほうを見る。


「お嬢様、彼が話しているのは旧日本の言葉です。私の祖父が日本出身で少々教えてもらっていたのが役立ちそうです」


 言葉の通じない異国の地がこれほどに心細いものだとは知らなかった。文化の滅亡とともに大半の言語も滅びてしまったこの世界では貴重な体験ともいえるだろう。

 ともかく、言葉がわからない以上戦力外となってしまった自分は彼らのことを観察するほかにはなさそうだ。どうやら男は1人ではなかったようだ。右奥の倒壊した家屋の陰に2人、少し奥のかろうじて姿を残しているビルの中に1人。案外用心深い。私たちでなければ簡単に狩れてしまうだろう。そして何よりの懸念事項が先程眼前の男が見せた人知の外にある身体能力だ。人間の脳の処理限界ギリギリまでスペックが上げてある自分の動体視力を上回るスピードとそのスピードを完全に制御しきる体幹。まるで人間とは思えない。かと言ってアジア地域での亜人の情報にこのようなものはいなかったと記憶している。そもそも旧日本の亜人改造施設は大戦の早いうちに破壊されつくし、旧日本は事実上の全滅だと言われている。自分の持っている情報が少なすぎてこれ以上のことはわからない。思考を放棄した直後、ユウカがこちらへと振り返った。


「彼らはオニ、西洋風に言えばオーガです。日本の神話や伝承によく姿を現す正真正銘の人間以外の知的生命体のようです。旧日本政府は途轍もないものを隠していたようですね」


「……ユウカ、もうちょっとましな嘘があるでしょうに。今は緊急事態よ、冗談を言っている暇はないわ」


「お嬢様、私が今までお嬢様に嘘を吐いたことがありますか?」


「ドラゴン退治のときにものすごい真顔で堂々と嘘ついてたわよね」


「…………その1回だけではありませんか。それにあれは必要な、いわば優しい噓というものです」


「……まあ、今はそれどころではないものね。そういうことにしておくわ」


 ドラゴン退治の時はユウカに散々泣かされた。あの時のことだけは絶対に許さない。閑話休題。それよりも今はこのオニとかいう生き物についてだ。ここまで明確な、どう見ても人類と同じ程度の知性を持った生命体が地球上に存在していたという事実はそう簡単に「そうですか」と受け入れきれるものではない。


『ユウカ殿、連れをこちらに呼んでもよろしいか?』


『はい、いいです』


『では、失礼して——————彼方敵にあらず、構へ解け、来い‼』


 ユウカとオニが一言二言交わし、ひときわ大きな声で叫んだ。その直後、5人のオニの仲間と思しき者たちが自身の動体視力が追いつくかどうかという異常な速度で寄ってきた。先程から認識していた3人は何とか捉えることができたが、謎の装束に身を包んだ残りの2人には完全に不意を突かれた。もしこれが戦闘だったなら自分は10回以上死んでいてもおかしくない。彼我の戦力差は目に見えて圧倒的。オニが友好的でよかったと心から思う。一番の問題はユウカなのだから。私は無限に生き返る。それこそ、死ねないのだ。しかしユウカはいつか死ぬ。いくら頑丈とはいえ毒を呑めば死ぬし、酸素がないと生きていけない。不死と有限の間に存在する壁は酷く、残酷なまでに厚い。そのくせユウカは私を守るなんて馬鹿なことを考えている。死ぬことのない私を身を挺して庇おうとするほどの大馬鹿だ。いざとなったら私が彼女を庇わなければならない。


「見ての通り、彼らは人類とはかけ離れた素晴らしい身体能力を有しています」


 ユウカの声で現実に引き戻される。最近思考が迷子になることが多い。老化だろうか。


「しかし人類と彼らの身体性能にさしたる差はなさそうです。彼らはキリョクなるものを操ることでその頂上的な力を操っているようですね」


 キリョク……おそらく日本の言葉だろう。仔細はわからないが人間にも扱うことができる類だろうか。正直に言うと私が最強でいられるのは死ねないからだ。身体スペックは全て人間の限界まで上げてあるが、それもあくまで人間の限界である。ユウカをはじめ戦闘型亜人の大半が人間の限界などとうに突破している。戦闘力だけで見れば私は最弱といっても過言ではないかもしれない。そんな私が強くなれるのならなんだってやるつもりだ。


「彼らは長年政府によって隔離、秘匿されていたそうです。それでも、知っている名所ならば案内してくれるとまで言っております。いかがなさいますか?」


「私としても現地ガイドが付くなんて願ったりよ。それに、先程の戦闘態勢を見るにここらのMonsterを片付けたのも彼らなのでしょう。心強い限りじゃない」


「私も同じ考えです」


 こうして、私たちは彼ら6人に女性4人を加えた総勢10人のオニ達と行動を共にすることとなった。



 それからの半年間は実に楽しかった。オオサカという場所に着いていたらしい私たちは陸路を通って旧日本の首都であるエドへと向かい、そこから針路を北に変え大陸へと向かった。彼らの案内はとても役に立った。名所の大半は戦争で消えてしまっていたが、ほんの少しだけ残っていた場所はどれも素晴らしいものだった。

 また、旅のさなかに少しずつではあるがキリョクの操り方も学んだ。忍者の末裔である景暁と宵待の2人に教えてもらった。キリョクは魔力のようなものだと思われる。大気中に薄らと広がっているキリョクに逆らわないように行動する。たったそれだけのことだった。しかしそれだけのことがひどく難しかったのだ。キリョクを感じ取ることの難易度がそもそも高く、その上風に左右されず独自に自由に動き回るその流れを読むことは至難の業ともいえた。それでも、ユウカにこれ以上の負担をかけないために必死になってマスターした。



 これはそんな旅の一幕、オオサカを出て2ヵ月と少々が経った頃、旧日本の首都エドへとたどり着いた時のことだ。旅路のさなかに2組のオニ達と出会い、一行は総勢31人の大所帯となっていた。エドの街は今の世界において何処にでもある滅びた大都会といった光景であった。


『おい、焔郭。猿どもが集まっている場所を見つけたが如何する?』


 斥候からの知らせが届いた。焔郭とは私たちと最初に出会ったオニの名前だ。彼が現在、部隊の指揮を執っている。

サルとは旧日本一帯を占領したMonsterのことだ。呼び名の通り大きな猿のような見た目をしている。特記するほどの能力は無く、言ってしまえばただ大きくて力強いだけの猿なのだが、その真骨頂は統率力にある。マザータイプをリーダーとした軍隊のように明確な指揮系統を持っているとさえ言われている。さらに大戦時には罠や挟撃など簡単な作戦行動を行っていたことから他のMonsterと違い明確な知性を有している。

実際にこれまでの旅路で幾度となく戦った。存外に厄介な相手ではあったが、旧日本が滅びるほどの何かを見出すことができていない。


『数は?』


『それが……200はくだらないかと……』


 斥候の口から出た数字はこれまでに類を見ないものだった。今まで会った中では最多でも10体強であった。明らかに異常な数。そもそも100体単位のMonsterの群れなんて大戦時以来見たことも聞いたこともない。何かしらの異常事態が起こっていることだけは確かだろう。


『…………避けて通ることは可能か?』


『可能ではあるが、猿どもは例の結界を取り囲んでいる。其方の調査は如何する?』


『厄介な……』


 結局、私たちは夜を待ってみることにした。数少ない不可侵フィールドを用いてまで守ったものの正体を確かめたい。200体ものMonsterというのも気になる。そして何より、建物を狙う習性のない奴らは何を取り囲んでいるのか。気掛かりなことは多く、何かが引っ掛かっている。


 猿型Monsterの群れを見つけてから4日が経過した。猿たちはローテーションを組んで見張りを立てているようで隙といった隙を見つけられずにいた。そして何より、不可侵フィールド内部で煙のようなものが確認された。中に生存者がいるかもしれない。そんな可能性を知ってしまったら見て見ぬふりなどできない。それが私たちの総意となった。4日間で倒した猿型の総数は30と少し。一方で不可侵フィールドを取り囲んでいる奴らはいつの間にか300を超えようとしていた。

 ここで指を咥えて見ていても状況は悪化する一方であることは明白。そのため、次の夜にあの中へと切り込むこととなった。あちらは300弱、一方のこちらは全員合わせても50人強、実際に戦える人数はたったの26人。戦力差は絶望的といえる。天高く上った太陽の下、残った数時間で出来る限りの策を出し合うこととなった。


 猿型の掃討作戦は9日間にわたる長期戦となった。最初の3日は夜の帳が下りるのと同時に少しずつ暗殺するということを続けていた。3日が経過した時点での猿型の残存数は200弱であった。この時点で少なくとも200体は倒していた。しかし、その異常な討伐数があだとなった。4日目の明け方ごろ、巡回中の数体に大量の核の残骸を見つけられてしまった。私たちは猿型の知能の高さを見くびっていたのかもしれない。この時を境に奴らの行動パターンが明確に変化した。

 まず目に見えて変わったことが2点、巡回する見張りの数が増えたことと夜の見張りが増えたこと。これにより夜闇に紛れた暗殺が不可能になっただけでなく、こちらの非戦闘員を少し遠くまで逃がす必要が出てきた。私たちの休む時間も減った。あれこれと対策をするうちに状況はどんどんと悪化していった。5日目の夕暮れ時、遂に隠れていた場所が敵に見つかり数体の猿型がまばらに攻撃してくるようになった。6日目には計100体弱もの敵が波状攻撃を仕掛けてきた。細胞レベルでの改造を施した私やユウカは別に10日くらいなら不眠不休でも戦えるが、生身のオニたちは疲労が蓄積している様子だった。

 7日目の昼頃、斥候に出ていた忍者の一人が持ち帰った情報で戦況が大きく動いた。猿たちの中心、つまり不可侵フィールドのすぐそばにひときわ大きな集団があり、その中に3体大型の猿がいたとのこと。恐らくマザータイプだ。これまでの旅路でも一度だけ遭遇した。Monsterはマザーがいる限り無限に生み出され続ける。この戦いの終わりが見えてきた。そんな淡い期待が隙となり、その日の暮れごろに1人のオニが死んだ。これ以上の疲弊を避けるため8日目は少し離れたところで休み、9日目の明朝から一気にマザータイプを叩くこととなった。

8日目の夜、度重なる連戦で気が高ぶっていた私は公園だったと思われる場所の蛇口と持ち運んでいる手桶で水浴びをしていた。今は12月の終わり、旧日本一帯は冬にあたるためとても寒い。普通の人間ならこの寒さに耐えることができないだろう。最近傷つくことが少なかったから自分が人間をやめたのだということを忘れそうになる。オニたちと行動を共にしていることもそれに拍車をかけている。エウロパやセンタメリアでは亜人は人として扱われることが少ない。対戦の英雄であろうとそれは例外でなく、物の値段が高くなるなんてことは日常茶飯事だった。だが、長い間世界から隔離させられていたオニたちは私たち2人を人間として扱ってくれる。


「こちらにおられましたか、お嬢様」


 突如背後から降りかかってきたユウカの声で思考の世界が霧散する。振り返ってみるとユウカの服が少しだけ乱れていた。足元のコンクリートは何か強い圧力がかけられたように罅割れ凹んでいる。どうやら私を探して走り回っていたらしい。


「まったく、あなたはいつも心配し過ぎなのよ」


 そういった自分の顔がほころんでいるのがわかる。この世界で私を心配してくれるのはユウカしかいない。私たち2人の関係に名前を付けるなら、それはきっと「共依存」だ。ドロドロに溶けてしまって、少しずつ混ざり合って、歪な型の中で固まってしまった私たち。誰も私たちを分かつことはできないし、私は絶対に離さない。


「ユウカ、そんなに走って汗をかいたでしょ?こちらにおいで、流してあげるわ」


 ユウカのほうに体ごと向いて大きく腕を広げて見せる。月明かりが雲の隙間から差し込み、公園全体を照らし出す。ほんの一瞬だけユウカの顔に朱が差した。しかしすぐにいつものユウカに戻る。可愛げのない仏頂面。何も知らない連中はそう形容している。しかし、彼女の真顔に同じ顔なんてない。いつも少しだけ違う顔をしている。今は私の裸体を見たことへの羞恥心と私の行動への怒りや呆れが半分ずつといったところだろう。半世紀も一緒にいれば何となく理解できるようになった。


「お嬢様、こんな人目に付きやすいところで水浴びだなんてはしたないですよ。それに、そもそも私もあなたも汗なんてかかないでしょうに」


「あら、でも常日頃から人間の振りをしておかないと面倒に巻き込まれることが増えると思わない?」


 呆れたように溜息を吐くユウカ。しかし、彼女の肌が月の光を浴びて薄く銀色に輝いているのを見逃すことはない。やはりユウカは美しい。見た目や言動はとてもかっこいいのにたまに見せるポンコツな一面は庇護欲を掻き立てられるほどに可愛らしく、亜人としての力を使っている時のユウカは私の知る世界の中で最も美しい。そんな彼女を失わないように、私は私にできることを全力でやろうと空に浮かぶ半月に誓う。


 9日目の朝、最後に作戦を詰めていた。といっても誰がマザータイプを担当するかということだ。戦い慣れている私とユウカで一体ずつ担当してもあと一体残ってしまう。結局、オニたちの中で一番強い焔郭とサポートの上手い宵待の2人が担当することになった。残りの猿型は150体弱。はじめより減ったとはいえ、彼我の戦力差は依然として如何ともし難いものがある。明確な策などなく、ただオニたちが開いた道を通って親玉を倒すだけだ。

 3体のマザータイプのもとまでは驚くほどすんなりとたどり着いた。焔郭と宵待の2人は赤い猿型のもとへと駆けていった。ユウカは白い猿型に急襲されたがその攻撃を何とか捌いている。しかし、あとの一体が見当たらない。どこかに隠れ潜んでいるのか、はたまた斥候の見間違いか。周囲に目を光らせていると1体の猿型が私の上を飛び去った。何事かと見上げた時にはすでに、私の上半身と下半身が分断されていた。

 体は復活したが敢えて倒れたまま周囲を伺う。ユウカの戦っている白い猿型は私の動体視力をもってしても微かな残像しか捉えることができない程にすばしこい。ユウカは極限まで細胞硬度を高めているようで防戦一方だ。焔郭と宵待が対峙している赤い個体は白よりもさらに二回りほど大きく、見た目通りのパワータイプのようだ。2人とは相性の良いようで宵待が隙を作り焔郭が確実に一撃を入れている。では、私を殺したと思われるあとの一体は何処だろうか。少なくとも目視での確認はできない。そして、キリョクの流れを読んでみてもそれらしいものが見当たらない。ヒントは私の上を飛んで行った個体にあるのだろうが、この乱戦でどの個体だったかは全くわからない。

 再び、1体の猿型がこちらへと走り寄ってきた。大きく飛び上がったその個体の真下にちょうど宵待がいる。嫌な予感がする。


『ヨイマチ、飛ぶ‼』


 覚えたての日本語で叫んだ。指示は伝わったらしく宵待は大きく飛び上がった。その直後、先程まで宵待がいた空間を吸い込まれるほどに真っ黒な腕が横なぎに通り過ぎた。汗なんてかかない体なのに、嫌な汗が額を伝うような懐かしい感覚を覚えた。私の相手は不可視であるようだ。

 戦況は一進一退、僅かにこちらが有利であった。ユウカと白は互いに決定打を持たず互角、黒は私が目を光らせている限りこちらに手出しできない。そして赤は少しずつではあるが焔郭と宵待によって削られつつある。赤が倒れれば戦況は一気にこちらに傾く。しかしそれはこちらにも言えることで、誰か1人でも欠ければこちらの勝算は絶望的となるだろう。

 私は3回ほど生き返ったあたりで襲われることがなくなった。私を殺すことができないと学習したのだろう。代わりに多くの猿型がけしかけられてきた。一体一体を慎重に捌きつつ戦場に目を光らせておく。


『エンカク、飛ぶ‼』


 すれすれのところで焔郭が黒い腕を避けることに成功する。しかし、その隙をついて赤い個体が殴り掛かる。その軌道を宵待が見事に逸らして見せた。腕を振りかぶり体勢を崩した一瞬を見逃さず、焔郭が追撃を入れる。焔郭の踵が赤の頭部を地面に縫い付けた。そこに手裏剣の嵐が舞う。赤い個体の体が溶けるように消え始めた。茜色の空に焔郭の雄叫びが木霊した。戦況が大きく動いた。

 赤を倒した2人はユウカの助太刀に入ってくれた。とはいえその速さに翻弄されて防戦一方であることに変わりはない。また、1体の猿型が戦場の空を翔けた。


『ヨイマチ、飛ぶ‼』


 私の指示を聞いた宵待が華麗なバク転を見せた。しかし、空中で姿勢の制御をする一瞬を見逃してはくれなかった。着地した宵待の胸元からは赤くデコレーションされた白い腕が生えていた。毛に覆われた腕が引き抜かれる。重力に引きずられて宵待の体がゆっくりと地面に吸い寄せられる。焔郭の声にならない叫びが戦場を駆けた。人間よりも少しだけ赤いという程度だった焔郭の肌がどんどんと赤みを増していく。充血しきった瞳に理性の光はなく、そこにいたのは1匹の獣だった。

 そこからは圧倒的だった。白い残像が焔郭の前を通り過ぎたと思うと、彼の手には大きな猿の腕が握られていた。そのままその太い丸太のような腕をまるで雑巾を絞るようにやすやすと捻り切ってしまった。そしてその腕だったものを自分の真後ろに突き出す。するとその腕に漆黒の猿が突き刺さった。遂に黒を捉えた。焔郭はそのまま黒い個体に馬乗りになると容赦なく拳を振るった。黒の反撃で傷が増えていくが、流れる血に構うことなく彼は黒を殴り続けた。その顔は神話に出てくる悪魔そのものだった。

 結局焔郭は黒い個体の頭部が原型を残さなくなるまで殴り続けた。Monsterは核を潰さない限り再生し続けるため頭を潰したところで意味はないのだが、今の彼に言葉が通じるとは思えなかったため何も言わずに見守っていた。途中何度か白い個体が襲ってくることもあったが、全て視線もよこさずに受けきって見せた。黒の上半身がほとんどなくなってしまうと、彼は興味を失ったかのように立ち上がりすさまじい旋風を起こして走り出した。数秒後に見た彼の足の下には白い毛玉が転がっていた。彼はその毛玉に馬乗りになると先程と同じように目にもとまらぬ速さで殴り始めた。

 私とユウカは思い出したように黒い猿だったものに残っている核を全て破壊していった。こうして、9日間にわたる死闘はこちらに3人の犠牲を出して幕を下ろした。


 翌朝、不可侵フィールドの中から2人のオニが出てきた。日本式の鎧に身を包んだ彼らの案内で私たちは内部へと足を踏み入れた。そこは日本の古風な豪邸が建っていた。木を中心に作られたこの大豪邸はテンノウという旧日本の皇帝が住む場所らしい。辿り着いた場所は一際広い部屋だった。その部屋の一段高くなった場所に2脚の椅子があり、そこに一組の男女が座っていた。ここは恐らく謁見の間だ。ということはこの二人がテンノウということだろうか。


『よくぞいらっしゃいました。まずは、私の家の周りにおりました化物猿の群れを退治してくださったことに最大限の感謝を送らせてください』


 妙齢の男が口を開いた。皇帝にしては実に丁寧な言葉遣いだ。しかし、彼の発する独特のオーラが彼が人々の上に立つ人物であることを証明している。オニたちも随分と畏まっている。

 私たちはテンノウに様々なことを教え伝えた。焔郭たち一行はキュウシュウ地方の北にある島からやってきたそうで、日本の西半分の大半の地域を巡ったらしい。しかし、やはりというべきか生存者は1人も見つけきれなかったそうだ。私からは4大国の戦後復興について軽く話した。そしてテンノウからはこの国の終わりを教えてもらった。

 私はテンノウとオニたちに4大国へと移住することを持ちかけた。4大国は何処も復興と防衛に手いっぱいで領土回復運動に回す戦力に乏しい。彼らがいてくれればこれ以上になく心強い。しかし、彼らは首を横に振った。より正確には、テンノウがここに残ると宣言したため彼らも残るそうだ。何故そこまでテンノウという存在に拘るのか。そう聞いたらテンノウ自らが答えてくれた。


『私の一族、つまり天皇家の祖先は神様なのです。それは決して神話などではなく、本当の神様です。ある男神が人の娘と交わった結果が私たちの一族の始まりです。そして、鬼とは神代において神を守る兵でした。彼らは神性の限りなく薄まった私のことを未だに神として崇めてくれるのです』


 神が実在した。到底信じられる話ではない。しかしオニの存在がダーウィン以来の進化論を否定していることもまた事実だ。科学の光が照らしていたのはこの世界のほんの一部に過ぎないのかもしれない。

それに、とテンノウが話を続ける。


『私たち天皇とは国民の代表であり、国の象徴なのです。日本人が滅亡したというのならば、私たちだけ逃げるわけにはいきません。それが、この国、日ノ本を作った神から受け継がれてきた血の定めというもの。この国が亡びるとき、それは私たち一族が終わる時です』


 テンノウの意志は固く、結局滞在した1週間のうちに説得することはできなかった。旅立ちを翌日に控えた日の夜、私はユウカと2人で広い庭をぶらついていた。庭といっても30年以上人の手が入っておらずほぼ自然の森と化していた。


「良い国ね、ここは」


「ええ、こんな形ではありましたが祖父の故郷に来れてよかったです」


「ユージロウは良い方だったわ」


「自慢の祖父です」


 優しい声で語るユウカの顔は珍しく穏やかにほころんでいた。目が合うと恥ずかしかったのか空に顔を背けられた。つられて私も空を仰ぐ。そこには満天の星空が広がっていた。この世界には灯りが少ない。少し町を離れれば星が夜空を埋め尽くしているなんて光景はいくらでも見られる。しかし星空とは不思議なものでいくら見ても見飽きない。

 突如、見上げた星空に吸い込まれるような感覚に陥り、ユウカの手を取った。彼女も同じ気持ちなのか何も言わずに私の手を握り返してきた。暫く2人で空を見上げていると頬に何かが降ってきた。雲ひとつない冷めきった星空から降ったのは星ではなく雪だった。満月の薄明かりに照らし出された雪が灰色に鈍く光り輝く。そのさらに奥にはアメジストやルビー、サファイアなどをちりばめた天然の宝石箱。自然の美しさが詰まった光景に心を奪われる。


「ユウカ、私帰ったら神話について学びなおそうと思うわ」


 ふと思いついたことが口を突いて出た。彼女のほうを見ると目が合った。少ししてふっと微笑んだ彼女は星空なんかよりもよっぽど美しく映った。


「その時はお手伝いしますね、お嬢様」

                            To be continued…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る