第38話 オッサン少女、辺境伯領へ

「これはひどい」


 思わず口からこぼれた、第一声。


 目の前に広がるのは、海に向けてなだらかに続く緑の山野。

 領地の境目には、特に境界などはない。精々、「ここからエメリウス辺境伯領」みたいな標識が街道沿いにある程度だ。

 だが、そこから先の、おそらく人が住む村落が、どこもかしこも瘴気の霞に覆われている。


 本当に、何度も疑問が湧く。

 ここまで領民を絶望へ叩きこむなんて、ここの新領主、ゲロウメって何をやらかしたんだ?

 この調子だと、領地の全てが王都のスラムより酷い有様だということになる。


 あり得ない。

 ノルム村もそうだったけど、この国の南部は温暖で、耕作に適しているから食料は豊富だ。ましてや、海が近いのだから海産物も。

 つまり、食うに困らないはず。

 そればかりか、辺境のこの領地は貿易のための港もあるという。隣国との仲は険悪でも、海はその先まで続いている。つまり、経済的に潤って当然なんだ。


 胃のあたりがむかむかしてくる。これ、絶対に、ゲロウメが無能だからではない。山賊の残党にレイープされかけた時のような、おぞましさを感じる。

 この地に住む人たちは、四六時中、休むことなく凌辱され続けている。老若男女の別なく。


「うう……出来ることなら、逃げ出したい」


 一瞬でもそう思うくらい、この瘴気は酷かった。もちろん、踏みとどまるわけだけど。

 だからこそ、その「圧」を感じる。これをはねのけない限り、この地の浄化はできるはずがない。


 ……てなわけで、この領地で最初の宿場に泊まることになったんだけど。

 ああ。瘴気のニオイが、ここまで酷いとは。出された食事からまで漂ってくる。


 人はパンのみにて生きるにあらず。


 ってやつだ。パンの中に込められた、作り手のマナで生かされてるんだ。それが瘴気になってるなんて……。

 瘴気を感じ取れないはずのみんなも、食事の間は口数も少なかった。料理そのものには問題ない。素材は新鮮で味も悪くない。ただ、食べるたびに気が沈んで行く。


 居てもたってもいられなくなって、俺は立ち上がった。


「どうしたのですか、エミル」


 アンジェが驚いて声をかけて来た。他のみんなも呆気に取られてる。


「もう、我慢できません!」


 そして、ブレスレットに触れて。


「変身!」


 宿屋の食堂にいた全員にガン見されながらの全裸ダンス。恥ずかしいとか言ってられない。この瘴気は死活問題だ。

 瘴気にまみれた料理なんて!


「魔法少女エミル! 明るい魔法で浄化するわよ♡」


 というわけで、力が及ぶ範囲の全てを浄化した。人も、料理も、食材も、全てを。


「さあ、いただきましょう」


 と、みんなに食事を勧めた。

 ああ。これでようやく食べられる!


 変身したまま、食事を再開。当然、その場の全員から注目を浴びてるけど、仕方がない。

 仲間たちからも質問攻めにあったけど。


「料理がもっと美味しくなる魔法をかけただけです」


 今はそう答えるだけだ。

 海〇雄山みたいに「この瘴気を込めたのは誰だあっ!」とか怒鳴り込んだって意味はない。この領地では、誰もが瘴気にまみれてるのだから。

 で。


「食事が終ったら、部屋で話したいことがあります」


 そう、みんなに告げた。


* * * *


 アンジェが加わったので、男女とも四人部屋が二つとなった。まずは一人で変身解除してから、他のみんなにも入ってもらう。


「危惧していたとおり、この領地は瘴気にまみれてます。人だけではなく、料理や食材まで、あらゆるものが瘴気におかされてます」

「……なるほど。道理で不味い酒だったわけだ」


 ブールがボソリとつぶやいた。

 ビシャルがそれに合わせる。


「それで浄化したわけだな? エミル」

「ええ。食べ物で体の内側から瘴気を受けるなんて堪りませんから」


 そこでアンジェに向かって。


「ここは、領地全体がスラム街のような有様です。貧民ではないのに、同じくらいに誰もが瘴気に蝕まれてます」


 アンジェはうなずいた。


「それを、宰相閣下に伝えろと?」

「ええ。とても重要なことです。私も、まさかここまでとは思ってもみませんでした」


 料理から立ち上るのは旨そうな湯気だけにして欲しい。瘴気なんて願い下げだ。

 この世界は、全てのものにマナが宿っている。この辺境伯領では、それが全部、瘴気に置き換わってるのだ。


 足を踏み入れただけで、誰もがどんどん瘴気に侵され、絶望にまみれて行く。それって、どんな地獄なんだよ。

 生きながらにして怨霊になりそうだ。


 と、言うわけで。

 食事のたびごとに、俺が変身してすべてを浄化するはめになってしまった。

 さすがに全裸ダンスは部屋でこっそりやることにしたけど。毎回、衆目を浴びてたら、俺の魂が持たないからな。


 で。

 いつの間にか「食事の場を盛り上げてくれる美少女天使」なんてのが、通り過ぎた宿場で伝説になってたらしい。


* * * *


 そんなこんなで、駅馬車はようやくエメリウス領の領都フェメリへ到着。夕日に照らされる城門で、長い列に並んでいるところだが……。


「うぐっ……」


 思わず口元を押さえた。

 こみ上げる吐き気。


「酷いですか?」


 前のアンジェが気遣ってくれた。俺はその背中に顔をうずめて答える。


「都全体が瘴気に埋もれてます。王都のスラム街並みに」


 通って来た宿場で漏れ聞いた限りでは、新領主による急な増税が重くのしかかっているようだった。だが、それだけでここまでの瘴気が湧くだろうか?

 いくらなんでも、全員が全員、売マナするほど困窮しているとは思えない。一体、何をやったらこうまでなるのか。


 新領主のゲロウメに会って、問い詰めたい。小一時間どころか何時間でも。


 門を通過してすぐの広場で、俺たちは駅馬車から降りた。

 護衛の依頼はここまで。御者のおっさんとしばし別れを惜しんだ後、依頼達成の判を貰った書類を受け取る。これをこの町の冒険者ギルドに提出すれば、報酬の後金を受け取れるわけだ。


「じゃあ、達者でな」


 そう言って、御者のおっさんは広場の一角の宿屋へ。俺たちは領都の中心にあるギルドへ。

 領都は王都に比べるとかなり小さいので、ここのギルドは一つだけだ。なので、大通りをみんなでゾロゾロと歩いたのだが。


 怖い。怖すぎる。


 顔が見えない。

 夕暮れの中、行きかう全ての人の顔が、瘴気に塗りつぶされて真っ黒だ。

 マジで、生きながらに怨霊と化している感じ。これに比べたら、王都の共同墓地で見た本物の怨霊の方が遥かにマシだ。


「みんな……ごめんなさい」


 体の方が限界を迎えてしまった。

 よろよろと通りの端に向かい、建物の壁に縋りついて胃の中の物をぶちまけた。激しいえずきが止まらない。


「エミル! 大丈夫か!?」


 ブールをはじめ、みんなが声をかけてくれるが、どうしようもない。


「……変身」


 人目を気にする余裕なんて全くなかった。全裸ダンスに続いての「明るい魔法」宣言。

 そして。


「浄化!!」


 全力での浄化。目の届く限り全ての範囲を。ありったけの全てのマナで。


 そして、久しぶりのマナ切れ。

 魔法少女の衣装が消えると同時に、俺も意識を失った。


 あ。やべ。大通りなのにマッパで倒れるなんて……。

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